紙の本
どっちもどっち
2021/08/01 11:57
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投稿者:nap - この投稿者のレビュー一覧を見る
いずれにしろ、信じることができない人と一緒になろうっていうのは
やめたほうがいい。
いずれ、どこかでぶつかっておしまいになる可能性が高い。
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うーん
「幸せになりたいという呪いにかかっている」なるほど。
確かに今の世の中は、漠然としながらもそーゆー風潮なのかも。
志乃の言葉に頷けるものの、物語全体としてはイマイチだった。
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爽やかな…とは言えない読後感。
ただ経験の中には同じようなことは
見当たらないのに、思い当たることは
あるような気がする。
自分のことは自分で考えて決めて
自分の決定を信じる。
これが難しい。人に相談して助言を求め
ネットで似たようなケースを探し
誰かの判断を自分のものにすり替えて
まるで自分の決定のように思いこみ
世間に向かって胸をはる。
誰と話しても、その価値観は
借り物とまでは言わないまでも
何か自分以外のものに依存している。
私もそうだと思う。
自分の判断に裏づけがほしい。
誰かにそれでいい、と言ってほしい。
篤志はそこから抜け出した。
莢子を大切に思う心が、そうさせた。
甲斐もまた、自分の心に従った。
莢子を大切に思う気持ちも、篤志と同じ。
自分の考えで、自分が決め、その決定を
自分が信じてやれるのは…
もしかすると自分自身のことではなく
大切な誰かのために心を尽くす時
…なのかもしれない。
集団ではなく、個と個の関わりの中で。
考えさせられる作品だった。
瀧羽麻子氏の抑えた文体と、常に莢子の
視点に立ったままの潔い語り口は
逆に読者の視座をあちらこちらに
移動させてくれる。
誠学会をいろいろなものに置き換えて
たくさんの見方を手に入れることもできる。
非常に疲れた、が。
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最近、自分では予想した方向と違う本が多く、複雑
あまり好きな内容ではないけれど
融通の利かない主人公
「出会えてよかった」「自分で決める」
そういうのは共感できる
続こうが切れようが「出会わなければよかった…」
そんな出会いは何一つ無い
良くも悪くも出会えたからわかること…だから後悔はない
自分で決める…その決断は自己責任になって
返ってくるから、納得がいく
そんなことを改めて思う
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個人的にはとても好きな本でした。主人公たちと同じ年齢の辺りにまた読みたいです。人を信じるって難しいけれど、それが“人”なのだと思う。
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恋人と過ごす毎日が続けばそれだけで充分なのに、知らずのうちに結婚とか、子育てとか、女としての幸せみたいなものを意識して、それらをちゃんとできない自分は劣っているんだと、そういう自分の中の認めたくない女の部分と向き合えた気がします。
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しっかり者の事務職員・莢子は、大失恋後に交際を始めた篤志との結婚を夢見る。だが完璧な恋人に思えた彼にも思いもよらぬ秘密が……。30代女性の揺れる心と人生の選択を優しい目線で細やかに描く。読めば今よりちょっと自由になれる、すがすがしい成長物語。
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意外な内容でビックリ。
恋人の秘密がなさかの宗教関係者だったとは、まんまと不倫だと思わされた。
たしかに人を信じることは難しい。
私も同じ立場だったら、心から相手を信じられる自信はないなあ。
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先日、瀧羽麻子の作品をまとめ買いした。
そうしたら、『花嫁の花』が単行本の『オキシペタルムの庭』を改題したものだと気づかず、両方買ってしまった。
よくあることなのに確認しなかった私が悪いのでそれはいいのだが、タイトルは「オキシペタルムの庭」の方が作品に合っていると思う。
『ハローサヨコ、きみの技術に敬服するよ』以上にいつもの瀧羽麻子のテイストと違っていて、私にはホラーのようだった。
世にも奇妙な物語に出てきそうというか。
篤志の抱える秘密には、たぶん多くの人が抵抗を覚えると思う。
でも篤志の話を聞いてみると、意外と些細な事なのではないかと思えてくる。
そう思い直して読み進めると、問題はその秘密自体ではなくて、もっと深いところに根差していることに気付く。
オキシペタルムの花言葉がわかった瞬間なんて、恐ろしすぎて思わず本を投げ捨てそうになった。
誠学会の人々は信頼しあっているのではなくて、他者に依存しているだけなんだろう。
目の前にいる人間の本心というか自我のようなものが全く見えないと、確かに怖い。
しかし問題は篤志だけにあるわけではない。
莢子というか多くの女性は「幸せにならなきゃいけないっていう呪い」にかかっているらしい。
結婚しなくちゃいけない、相手はいい男じゃなきゃいけない、子供を産まなくちゃいけないといったような世間からのプレッシャーを受けているという意味だ。
でも、莢子の場合はその呪いよりも「幸せにしてもらう気満々」なのが問題だと思う。
終盤で「自分を信じる」という表現が出てきて、それが総括のように語られるが、私はもっと単純に「自立」が必要なんじゃないかと思った。
読みたかった物語とは少し違ったが、瀧羽麻子の違う一面が見えた。