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臨床心理士が、いわゆるスピ系ヒーリングや占いなどの世界をのぞき込み、そこから心の癒しを問う本。私も本当にこの違いについて考えるし、どう違うのか気になっていたので、とても面白く読めた。
野の医者で稼ぐには、スクールをやって生徒を集めているのが多いパターンだと思っていたけど、やはりそうなのかと言う思い。これは、実は臨床心理士でも同じで、彼らも野の医者になっていき、スクールを開いたりするのを何人も知ってる。私達は、スクール信仰にハマっているのかもしれない。得られなかった学歴コンプレックスにも近いような。
スクールと言う形態を取って資格を与えて(そう言うのは癒し・心の分野じゃなくても多いけど)、と言う形自体に、病んでいる姿を見ることが出来る。そして、踊らされて踊っているうちに治癒するケースもあるだろうけど、そうじゃないケースが置いてけぼりになる癒しの業界。この辺りをもう少し知りたい。
とは言え、これは本当にどの業界でもそういうことはあるなと思うので、ハマりこみすぎると、出られなくなるかな。
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笑える学術書を著そうとした著者の、チャレンジ精神に敬意を表します。
時々笑わせながら、でもきっちり自分の主張は伝える野心作。心理学科に入ろうかと思っている若い人に読んでもらいたいです。
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臨床心理士である筆者が、沖縄で出会った「野の医者」=スピリチュアルな治療者に調査する中で、「心の治療とは何か」「臨床心理学とは何か」を問う。
そういえば、大学時代に宗教社会学のゼミでもスピリチュアルについて学んだなぁ、と思い出してなつかしくなりました。
スピリチュアルとかニューエイジとか、あやしいなぁと感じつつも何がひっかかるのだろうとずっと思ってたのですが、この本を読んでやっとわかった気がします。つまりは金と思い込みの世界なんだ、と。
本当のところはどうなんだ?と問い続けながら、調査対象となる方々の中に入っていき、調査していく。これってまさに社会学!
とっても面白かったです。
じゃあ、キリスト教はどうなのか?
スピリチュアル的なところにとどまらない、思い込みの世界が現実だなんていう上っ面の慰めなんかではない、
確かに存在して、この世界の初めから終わりまで生きて働き続ける神様を伝えられているだろうか。真理に堅く立っているだろうか。
確かに、中には、スピリチュアルと何ら変わりないようなアピールがなされているとこもあるよな、とも思いつつ。
私たちはポストモダンの時代に生きている。
自分の外側にある、確かで揺るがないもの、を受け入れるのがむずかしい、時代の子。
でも、確かで揺るがないものは、確かにある。
愚かに見えても、スピリチュアルやほかの宗教とたいして変わらないように見えても、
真理を伝える者でありたいなぁと思いました。
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臨床心理士が野の医者(スピリチュアル・ヒーリングなどを行う人々)の治療とは何かを調べるアカデミックエッセイである。
こう書くと野の医者を否定している意見が連なるのではないかと思ったがなんとも言えずグレーな意見が続く。
それは著者のフィールドワークを行っていた時期とも関係している(就職浪人中)
なので彼自身は西洋医学では解明できない自分の進路を雷にうたれたようなスペシャルな事(啓示)がおきて、おぉー野の医者にはそれなりのミラクルが起きるのだと言いたい気持ちが勝っている。
だが起きない。
面接で落とされ続ける。
神々しい預言者は表れない。
何人ものイベントや野の医者に会い続ける。
そこで彼は野の医者のシステムや治療によって得られるものは何かの仮説はポツポツと手に入れ始める。
そのバラバラであったピースを並べ替えた時に彼は自分を癒すという壮大なカウンセリングの成果を手に入れる。
心の治療とは何か?
その大きすぎる難問が解けたわけではない。
ただ考え続けてのたうちまわった著者の前に現れたものは何とも素晴らしかった。
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烏兎の庭 第六部 1.19.20
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto//uto06/doc/nono.html
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面白かった。臨床心理士である著者が、民間のヒーラーなどの「野の医者」の治療を受けることで、「心を治療する」とは何か、を考えていくという内容。ただ怪しげな治療を受けてみました!ではなくて、テーマはいたって真面目。でも文章は冗談交じりで面白くて、とても読みやすいので、テーマや著者の言いたいことがしっかり入ってきた。私は、もし自分の心に何かあったら、臨床心理士さんにお世話になりたいな…と思いました。ヒーリングだとかセラピーとか、ちょっと怪しいよなあ、なんで受ける人がいるのかなあという自分の興味にも、ばっちり答えてくれる本でした。
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やはり似たようなことを考えるひとはどこかしらにいるわけで。そういう意味で、この本を手渡されたときは何だか安心した。
いわゆる在野の治療者というものから、一応学問的なものであるとされる臨床心理学を照らし出してみようという試み。在野ということで、宗教から心理学やら何やらまで拾えるだけ拾う。だが、どれにも言えることは、ひとつ、「信じる」という一点で成り立っているということだ。霊を信じるか、気を信じるか、イワシの頭を信じるか、認知を信じるか、信じるものに違いはあれ、何かを信じていることには変わりない。治療とは信じることから始まる。同じ事を、なだいなだは宗教を求めるひとの心から、明らかにした。
どうやら、何かを信じるということなしには生きることはできないようだ。では、なぜ信じることが可能なのだろうか。この驚くべきことがいまだに置き去りにされてしまっている。どんなに信じるメカニズムを、治療のメカニズムを明らかにしたって、結局それらを「信じている」というところからは逃れられない。ユングはだからこそ、「集合的」無意識なのだと言ったのだ。自分を超え出た何か。仏教なら弥陀の本願とでも言おうか。キリスト教なら、主というものか。彼らがすごいところは、そういう存在しない存在が、今のこの自分という存在を存在可能にしていると言ったところにある。「あちら側」というのを使ったというところに力があるのだ。
心の治療は時代の子だと筆者は言う。だが、マーケティングなどというものは、今に始まったことではない。それこそ、ひとがものというものを知ったその時から、あったといっても過言ではない。そして、誰が今はマーケティング重視だからと言って心の治療を始めるだろうか。たしかに、自らが傷を負い、治療を受け治療者となり、再び治療者を育てることで自分が治療される、そこには売り手と買い手の市場のようなものが見える。だが、マーケティングは結果的にそういう形をとっただけに過ぎない。心の治療をするのに、そのような形をとることの方がすごいことではないか。時代というものをどうして心の治療が感じ取れるのか。
ひとりの治療者にそのようなことを求めるつもりは決してないが、必ず同じところに行き着くはずだ。なぜ悩むのかではなく、なぜ悩むことができるのか、どうして悩んでいるとわかるのか、こういったことを考えていかなければ、数千年前と何一つ変わっていない。
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気になっていた本。やっと読めた。
「臨床心理学」とは何なのか。
他のケアシステム(野の医者)を知ることで,治療とは何か,臨床心理学との違いは何かを探っていく。
読み終わった後にこの題を見て,ある意味で総括になっているんだなと思った。
「宗教の末裔であり学問である」のが臨床心理学。
クライエント側からしたら学問である必要はないんだろうけど,それでもこの資本主義の世界で治療者とクライエントでない人にもその意義を説明してお金を出してもらうには,学問であることが大きな力を持つ。
・野の医者は自らが患者であり,治療行為が自らをも癒やす
・野の医者の治療とは軽い躁状態まで回復すること(精神分析の場合は悲しみをきちんと消化し,しっかりと悲しめるようになること。松木先生の帯にも)
治療者の技法にどれだけクライエントを巻き込めるかが治療成果を左右する。だから野の医者は喋り倒すし,臨床心理士は治療機序を詳しく書き込む。クラインマンの説明モデルとポストモダンについては普段からボスにも言われていることだけど,文化要因(経済水準,産業,性役割,宗教など)と説明モデルの関連について調べてみたいなあ。
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巷で流行っているパワーストーンやオーラソーマ、〇〇療法など個人的に怪しいと思ってしまうセラピーが、沖縄では流行しているそうで、臨床心理士の著者が実体験しながらそれらの実態にせまっていく体験記だった。
高野秀行さんに憧れて文書化を目指しただけあってとても面白く読むことができた。
セラピストたちの治療は気分が落ち込んだ時にそれを忘れさせるような一種の躁状態をつくることがゴールであり、一方、著者の心理療法は落ち込んだ自分としっかりとむきあい解決することがゴールと対象的ではあるが、どこを目的にするかでそれぞれ意見が異なっており、理解できないものなのだ。しかし、理解できないのは当然で、ダイバーシティーが謳われる世の中いろんな考え方があっていいと思うし、そのため様々な(怪しい?)セラピーがあってもいいのだろう。個人的には、じっくりと問題と向き合い、悩み解決の本質だと思っていたが、処理できないほどの問題にぶつかった時は他の手法で心が救われるなら、それはそれでいいのだと少し思えるようになった。
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かなり面白かった。大学院で学ばれている臨床心理学のいわゆる「正統派」とされている技法と沖縄の怪しいスピリチュアルとされているものが、どちらも同じ河合隼雄さんや山中庸裕さんなどの流れを汲むものだったというのはびっくりをした。本書はかなり軽い口調で書かれていて、おどけた調子での文章が多いが、著者が就職先を見つけるなかで様々な多くのスピリチュアルヒーリングを受けるなかで、再就職先が決まったときに「最大の癒しだ」と現金なことを書いていたが、これが臨床心理学でもヒーリングでもないけども、本当に癒しだろうと感じてしまった。
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「野の医者」とは、国家資格を持った医師ではなく、民間で心や身体のヒーリングを行っている方々。
沖縄にはそのような方々が多いらしい。
沖縄の病院で勤務していた臨床心理士の著者(京大大学院出身)はトヨタ財団の研究助成プログラムに採用され、野の医者の体験取材・フィールドワークを開始する!
「相対化です!」
とイインチョーが目を見開いて叫びました。
「権威や制度になっているものを相対化しようとしているんですね。そうやって当たり前の価値を揺らがせようとしているわけです。それは確かに新しい価値を生もうとする学問的行為です」
華々しく始まったのはいいですが、著者自身にも人生の危機が訪れる!
勤務していた病院を辞職することになり、求職活動も行う羽目に。
本書では野の医者の体験レポートと著者の求職活動がハイテンションの同時進行で描かれています。
「時代は笑える学術書です!アカデミックとコミカルを掛け合わせたアカデコミカル・ノンフィクション、これですよ!一山当ててやろうじゃありませんか!」
と編集者に宣言したようですが、確かにその目論見は成功しているようです。
予想外のことに著者の求職活動の要素も加わり、エンタメサスペンスの要素も加わっています。
野の医者の怪しげな治療を面白おかしく描写する一方で、学術的に鋭い考察も行われていて、返す刀で著者が拠って(依って)立つ臨床心理士という立場を考えるという。笑うところは笑って押さえるところは押さえています。
そして最後はほろりとさせる。まるで映画のようです。
しかし映画がハッピーエンドで終わったとしても、登場人物はそれで終わりではない。その後の人生を送らなければいけないのです。むしろそれからが始まりとも言えます。
幸い著者は立派に一冊の本を完成させ、安定した大学常勤講師の立場を得ることができました。
著者の創設したアカデコミカル・ノンフィクションというジャンルの続編を読んでみたい。
しかし本書のようなハイテンションで八方破れのような研究と文体は、ある種求職活動中の異常状態だったからこそ可能だったのではないかとも思えます。
研究も著書も一期一会な面があります。
本書は著者・東畑さんが沖縄で求職活動を行っていた時期だからこそ書けた唯一無二の書ではないでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/nazegaku/20180629/p1
http://iching.seesaa.net/article/460262543.html
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ところどころ飛ばして読んだ。作者の独白があったりと、長いコラムのような作品。さくさく読め、3時間もかからず読めた。
とても面白い。いまだ謎につつまれた心、そしてその治療とは何か?それを沖縄の野の医者の治療を体験することで解き明かしていく作者。詳細に記録された実体験も面白いが、結論もまた面白い。
人間の逞しさと危うさを感じた一冊である。
また、沖縄人または、沖縄の知り合いがいるひとはさらに面白く読めるだろう。
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ヒーラーをひたすら巡る冒険、といいつつちゃんと学者として「癒し」についても語られていて、とても興味深いです。私はお寺生まれですが、お寺にも近いものを感じると共に、分析軸として使えるな!と思いました。
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野の医者(現代医療では無い治療や癒しをする人たち)への興味と暖かい目を感じつつ、冷静な分析が面白い。物語としても、起伏に富んで面白かった。
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めちゃ面白い一冊。
何かを信じて笑って生きる。
それとも、事実が全てと考えるのか。
どちらも正しい。
キャリアも同じ…