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『ぼくは猟師になった』の頃は、いかにも若者らしい瑞々しさがあったが、もう千松さんも40。妻子もいるから、若さの勢いはなくなったものの、成熟した人間の深い考察があって、二作目のつまらなさは全くなかった。
前作はイノシンとシカ猟を通じて、命を奪って生きることを正面から見据えるという感じだったが、これは野性動物や森林と日本人がどう関わってきて、これからどうすべきかを、実生活を元に考えている。
学者が数値を見て出す答えより、毎日のように山林を歩き、狩猟しながら生きている著者の言葉にはずっと説得力がある。千松さんは猟師ならではの勘のよさの上に、学究者に相応しい頭の良さと探求心があり、文章も上手い。
普通は巻末にタイトルと著者名と出版社、出版年があれば十分の参考文献の内容まで教えてくれるし、その参考文献が学者の書く専門書だけでなく、猟師向けの雑誌からお役所のHP、子ども向けの絵本と多岐に亘っていて、しかもどれも魅力的に紹介されている。この部分のブックガイド的な価値だけでもたいしたものだ。
(それから、動物を描いた挿し絵が素晴らしい。写真より良くわかる。松本晶さんてどんな人?)
千松さんと服部文祥と内澤旬子の対談とかあったら夢のようだ。誰か企画して!
それにしても、こういう知力体力判断力洞察力に長けた男って、天変地異や戦争が起こっても大丈夫だね。奥さんが羨ましい。
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2008年に初版が発行された千松さんの前作「ぼくは猟師になった」は、どちらかというと狩猟のノウハウ紹介に寄っていたと思う。その後「ぼくは猟師に~」は狩猟ブームも相まって版を重ねて2012年に文庫化されたが、僕は初版をウキウキしながら購入したので、かれこれ8年になる。時が過ぎるのは早いわ……
今回は具体的な方法論ではなく、「現代日本で狩猟することの意味」を考えた道のりがエピソードを交えて編まれていて、その思想は狩猟文化考察にとどまらず、広い意味での「働くこと」の領域へとしみだしてきている。
「ふむふむ」「そうそう」と腹に落ちる言葉はたくさんあるのだが、1カ所だけ引くとするならば次の文章になる。
「日々山に分け入り、自分の手で獲物を殺し、解体するのは大変な労力がかかると思われがちだ。だが、僕の感覚では現金を得るための労働に時間を割いて、そのお金で誰かがさばいた肉を買うというのは、そちらの方が手間がかかっているように思える。自分で時間をコントロールし、工夫して捕獲した獲物の肉を食べる方がよっぽどシンプルだ。自分の手を汚さず誰かに動物を殺してもらっていることを負い目に感じることもない。なにより食べ物を得る工程に他人が入らないことは、思った以上に精神的に楽になる」p.252
とりあえず一般化して言えるのは、僕たちは便利さと引き換えにいろいろ手放したものが多すぎるということ。原始生活に戻りたいわけではないけれど、やっぱりバランスがおかしいんじゃないかと思う自殺者3万人の国、日本。
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「狩猟」というものが有るべき姿としてなかなか考慮すべきことが多く、むずかしいものであることがわかった。
狩猟に興味を持ったのは、シカ、イノシシ、サルおよびクマなどが過剰繁殖し農地を荒らして社会問題になっているので、ならば、家でテレビゲームをしているくらいなら、みんな狩猟をすればいいじゃないか、と思ったから。
でも、以下の記述がある。
「野生動物が好きで生態学を学ぶために大学に入った学生が、日本の森の現状を知って狩猟免許を取り、「生態系を守る」ために連日辛い思いをして鹿を銃で撃っていると言う話を聞いたことがある。僕はそこにはやはり無理があると思う。」
サルはこっちを向いて拝む格好をするので、撃つのがとても辛く猟師が嫌がるらしい。
問題点は
「獣害が山間部の暮らしを苦しめているとよく言われるが、山間部の主要な産業である農林業の衰退が獣害を招いているというのが実際のところだ。」
そして著者は
「生活の一部として行われる自発的で多様な狩猟の広がりによって、結果として生態系のバランスが整い、鳥獣害が減っている未来を夢想したい。」
としめている。
多くの人が狩猟免許を取って狩りに参加し、捕れた動物の肉を持ち帰って家族または仲間と一緒に(解体もやって)食べる、というのが有るべき姿なのか、と思う。
背景にある農林業の衰退、農村の荒廃問題は解決策が難しく、別途考えるのが適当ではないのだろうか。
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数少ない日本の肉食獣としての誇りをだなぁ。日本人は生態系の頂点としてのノブレスオブリージュを失っていることが品格うんぬん。
人って獣を恐れるけれど、人間といういきものは大型生物として、強者なんだよね。そこには誇りがあるべきなのに、あまりに群れて多いから良さ薄弱なんだよね。
脱ゆとり。
それは生態系レベルでの脱ゆとりを目指すべきである。
そう思った本。
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漁師という仕事の内容も知ることが出来るし、「生き方論」の本としても素晴らしい。千松さんの本はこれで2冊読んだが、すごいファンになってしまった。
〈本から〉
シカが増えれば寄生するマダニやヤマビルが増えるのも当然で、人への被害の増加につながっていく。
マダニは日本紅斑熱、ライム病などの病原菌を媒介するので、噛まれたときの処置を誤るとやっかいだ。噛まれたら、まず決してマダニの腹部をつままないこと。マダニの体液が血管に入ってしまう。無理に引っ張ると皮膚内に口器が残ってしまうので、口器を刺抜きなどでつまんで回すようにして抜くのが良い。漁師の間では反時計回りに回すととれやすいとよく言われるが真偽は不明だ。心配なら皮膚科を受診するのが無難だろう。
イノシシは鼻でいろいろ探ってから行動する習性があるので、普通ならたいてい電気ショックを受ける。逆に全身を剛毛で覆われているイノシシは、鼻さえふれなければ、電気柵の威力はほとんどないと言っていい。
現代では「シシ」と言うとイノシシを指すのが一般的だが、江戸時代以前は大型の四足動物の総称として使われていた。シカはカノシシ、カモシカはアオシシなどと呼ばれ、クマもシシに含める地域もあったようだ。
野口雨情が作詞した童謡「七つの子」を知らない人はいないだろう。かつて人里で多く見られたのはハシボソガラスだ。この童謡のモデルになっていると言われることが多い。ただ、ハシブトが澄んだ声で「カァー、カァー」と鳴くのに対し、ハシボソは濁った、「ガァー、ガァー」であることから、歌詞のイメージに合うのはハシブトだという異論もある。
イノシシにしても昆虫にしても、自然界の生き物は本当に律儀に自分たちの習性に沿った生き方を貫いている。そんな生き物を相手にするには闇雲に捕獲したり、殺虫剤に頼るのではなく、習性を理解したうえで対応する必要がある。自分の周りにいろんな生き物が生活していることを知り、自分の暮らしを見直していくことが自然のそばで暮らすということだろう。
人間だけが汚染を必死で退け、安全だ健康だなんて言って長生きを目指すのは本当に「地球にやさしいエコな暮らし」なんだろうか。
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『ぼくは猟師になった』や千松さんのトークが面白かったので手に取った。
今作は、もとは連載モノなのでやや話が断続的だったが、心に残るフレーズや指摘が多い。
一見、一服の清涼剤的な一冊かと思いきや、出典を丁寧に整理しつつ自らの考えもふんだんに添えて、力のこもった作品なのかもしれない。
林業・狩猟にかかわる政策についてとか、生物の生態や過去における人との付き合い方についての話は、それはそれで面白い。また、ヌートリアやハクビシン、カモといった関心ある生き物の生態等についてもまとめられていて勉強になった。
でもやっぱり、ワナにかかった獲物にとどめをさすときに脳裏に浮かぶという思い・感情(「気持ちのゆらぎ」)は、それにもまして印象的。
愛着をもっていたニワトリをキツネにくわえられて持ち去られたシーンで子供が号泣したという話、あるいはサルさえもいなくなると寂しいという話もそう。
また、原発による汚染には言及しつつも、「反原発」への違和感を唱えているのには説得力がある。いわく、都市偏重のライフスタイル(あたかも「都市に汚染が影響することだけがいやだ」といわんばかりの)自体問題だ、と。
現地で考えた環境倫理、といった風な良書。
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美しい景観の里山は人間が自分たちに都合よく作り上げた不自然な山だった。なるほどそうだったかもしれない。
動植物、自然環境に対する洞察、着眼に目からうろこが落ちる思いがする。さらに自分が食べる肉は自分で獲物を狩って自分でさばいて食べるという、基本的とも思える生き方や考え方に深く共感した。
市の図書館から借りて読んだけれど、これは蔵書として本棚に置きたい。
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「ぼくは猟師になった」の人。
前の本は、猟師になったワクドキと、どうだいいでしょう(ニヤリ)的な、まあ一種自慢げな話だったけど、この本ではだいぶオトナになったというか、シカやイノシシにまつわる過繁殖とか生息域とか、環境問題などを憂える内容になっている。
まあ単眼的には行政の施策への問題提起ではあるけれども、長期的には人間の活動そのものが引き起こす、自然破壊の問題につながっていく。
スギなどの針葉樹林だけでなく、広葉樹林も人間が改変してきた結果である。それらが荒れ果てて、獣たちの棲む場所がなくなったり、キクイムシが繁殖する。
人間が困るから害獣に認定されたりするのだが、だが獣は害をなしているのだろうか。
人間にとっては、その辺の答えは難しいところだろう。
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畑の鹿害をなんとかしたくて読み始めた本。自然とのつきあい方を根本的に考え直した方がよさそう、と思いました。
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理想的な自然との付き合い方だと思った。前作より考え方が進んでいて素晴らしい。角幡くんにまったくなく、服部文祥に少し足りないのはこの人のような知性だ。
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日々自然の中で暮らしているからこそわかる感覚的なことと、データなどの理論的なことがどちらも書かれていて、納得できる文章だった。データだけではなく現場を見ること、経験だけではなくデータも用いることで特にこうしたテーマは伝わりやすいのではないかと感じた。
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実際に狩猟を行っている著者が、現在の狩猟環境や狩猟に対する思いや葛藤を一冊にまとめてくれている。
実際に山で暮らしていないと分からない事々を読者にわかりやすく紹介してくれており、読んでから本書内容の諸々について読者自身が色々考えるきっかけを与えてくれる本で、僕みたいに山暮らししていないが自然好きな人は読む価値がありだなって思った。
一番印象的だったのは、自然の多様化について美しい里山が本当に素晴らしいのかという問いで、自然環境は人間が結論付けられるものじゃないんだなって感じた次第であった。
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運送業の傍ら猟師をしている筆者。「自分や家族が食べる肉は自分で調達したい」という純粋な気持ちで猟をしている。その体験を通して自然と人間との関わりや猟のルールを語る。
数多くの動物が登場し、猟を通して彼らの生態が紹介される。筆者が「ずっと森の中を歩いていると森のちょっとした変化にも気づくことができる」というのが何となくわかる。人間も猟のために森に入って行くと、自然の中の一部になっていくようだ。
「獣害はあっても害獣はいない」や、人間の生活に影響された動物はその肉にも当然影響が出るため「完全な自然食」などない、などの言葉に説得力がある。そして植物と動物の食物連鎖の中に、人間もその一部として繋がりがあると思わされる。
動物の生態から昔話の類いが生まれていることや、所々笑わせてくれる描写もあり、非常に読みやすく、そして「自然の一部である人間」を考えさせてくれる良作。
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前作の「僕は猟師になった」を大変面白く読ませてもらったその少し後、著者のドキュメントをテレビで見た。猟の際に獣と格闘し足に大怪我した著者が、手術すれば元通りになるにも関わらずあえて手術をせず障害を受け入れるという、野生動物に対する真摯な生き様に頭の下がる思いがしたものだ。
さて、本書。
猟師である著者の日々の生活、思想、日本の狩猟の現状や狩猟の対象となる身近な動物たちの生態などを詳しく教えてくれる。
そして獣害問題。里山の衰退による野生動物の増加と生活域の拡大、生態系の最上位にいた狼が絶滅したことや猟師の減少等によってますます深刻化している。外来生物の被害等も含め問題は山積だ。
ただ、里山の減少が社会の現代病のように思われているが実は理想的な里山が存続していたのは戦前の一時的なことで、それよりも古い時代にも獣害対策は大きな問題だったことは意外な事実で、現代の状況だけが特別に困難なのではなくて過去もそうだったように一つ一つ積み重ねていくことに対する希望のようなものも読み取れる。
自分も京都市近くに住み、しょっちゅう山遊びをさせて頂いている。また、自分たち家族が食べる野菜の少しくらいは借りた畑で作ったりしている。著者ほどの豊かな人生は送ってはいないけれど豊かな自然と恵みに感謝する気持ちが湧いてくる。
「僕が狩猟を続ける理由はいろいろあるが、そのうちの一つに自然界の生態系の中に入っていきたい、野生動物の仲間に混ぜてもらいたいという思いがある」著者がこの通りに生きていることに対するうらやましさとともに畏怖の思いを禁じえない。
動物の挿絵も美しい。