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5編収録の短編集。
時間も空間も超えてゆるゆると行き来するような内容で、読んでいると不思議と心が安らぐ。タイトルの語感もいい。
解説が金井美恵子だったのもちょっと嬉しかった。
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磯崎憲一郎作品のほんの一部しか読んでいないけれど、この作家の「時間」というものの捉え方、特に「過去」というものを見つめるまなざしはとても特徴的だと思う。一種の「温かさ」というか、「目線」や「視線」というよりも「まなざし」と表現すべき、人の肌の温度や意思のようなものを感じる。
まるで自分の子どもを見つめるそれのような。
それは多分、過去の「切り取り方」によるものなんじゃないかと思う。
仰々しい前置きや有り難い後日談なんか無しにして、無限に続く時間軸の一部を、無造作に切り取ってそのまま記述するだけの。
「時間軸」という言葉を遣うと、人は大体、「過去があって、その上に今があって、その先に未来がある」という捉え方をするのだろう。そこには因果律的な「原因と結果」の思想があって、あくまで「今」を支点とした発想だ。
一方、この本で言えば最後の「恩寵」の一篇や、またはデビュー作の「肝心の子供」が分かり易いと思うのだけれど、磯崎さんは「過去」というものを無造作に切り取ることでそのまま手元に引き寄せて、(虚実綯い交ぜにして)見えたものを直接書き記しているのではないかと思う。時間軸上のそれぞれを、独立した個別の存在としてとらえているのだろう。
「終の住処」では、自分の妻や子どもを「他人」としか捉えられない男が描かれていて、著者自身も「自分の子供とはいえ結局は別の生き物なのだ」というようなことを何かのインタビューで言っていた(と思う)。
これもつまり、自分の子供(言うなれば「未来」)を、自分(「今」)が生み出したものではなく、独立した一つの存在として見ている、とは言えないだろうか。
けれどそこにはやはり断ち切りがたい「繋がり」があって、だからこそ、切り取られた時間軸の両端にある無限の広がりを感じるのではないだろうか。
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「過去の話」
旅行というのは日常からの逃避で
その意味では一種の祝祭で
擬似的な冥途旅と言うこともできる
それに行った人は、つまらない日常のありがたみを思い
新たに生きる活力を得るわけだ
そのまま帰ってこられない旅もあるんだけどな、本当はな
「アメリカ」
四次元的な直感能力を発揮して
生粋のアメリカ人に生まれた、もうひとつの自分の人生を幻視してみると
現実と同じく、幼かった頃の娘に対して威厳を見せようとしていた
恋人みたいに
「見張りの男」
凡庸でない人間はいない
己の凡庸さを認める人間と、認めない人間がいるだけ
「脱走」
孤独でない人間もいないだろう
己の孤独さを認める人間と認めない人間がいるだけで
「恩寵」
幕末から明治のはじめにかけて、ハワイに移民した日本人の話
サトウキビ栽培の労働に耐えられず、いじめられていた夫婦が
養豚に成功して村人との立場を逆転させる