紙の本
信頼社会へのニーズは流動性によって高まる。
2015/12/31 20:35
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投稿者:朝に道を聞かば夕に死すとも。かなり。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代では主君を変えるわけにはいかず、常日頃から忠誠を示していた方が得策でした。日本人が自己卑下傾向を示すのはそうした対応をした方が日本社会ではメリットが大きいから謙虚にしているだけのことであって、日本の社会にうまく適応していくための戦略に過ぎないので、日本人の心が謙虚ということではないです。社が存続の危機になっても「自分の給料下げてください」ってことはありません。もし就職試験の面接や異性とのデートなど積極的に自分をアピールした方がメリットも大きい状況にあると思えば、自分の長所を売り込みます。
性根じゃなく、私達はふだんの生活において自分はどう振る舞ったほうが得かということを意識的にあるいは無意識的に判断しながら暮らしています。
日本の企業が隠蔽や偽装をする本音は世間から「正直な組織」だと積極的な評価をしてもらえることが期待できないからです。痛くもない腹を探られるのではないかという不信感ベースから始まります。
私が一例をあげるとしたら、例えば流動性のかなり高い見ず知らずの人との付き合いを考えると、ネットでベビーシッターなんてのは、待機児童問題とか考えると、本当に喉から手が出るほど欲しい親御さんはいるかもしれません。もしそこでシッターさんの過失による事件が起こると、シッターさんじゃなくて、親の方が責められるってのは、人間同士の結びつきの不確実なところに預けたのが信じられないという安心社会の考えから来ます。
他人から裏切られる恐れはあっても他人と協力関係を結ぶことによって得られるメリットの方が大きいと信じるのが信頼社会の人々の発想です。安心社会だと相手がいつも同じ場合の固定した関係なら、相手の信用調査などをする必要もないので、その分の取引コストは不要になります。そういう意味で集団主義社会はとても経済的。正直者が報われるために使われるのが、評判であり、法、裁判といった保証機能となります。
ジェイコブスに「統治の倫理、商人の倫理」がありますが、社会と商人の社会は全く別のものであった時代は問題なかったけど、政治家が汚職するのは、商人のような行動があって、起業家が自社の利益を守るために消費者を平気で裏切るのも商人が統治者のように行動するためなので、人々が利益を追い求める姿は統治の倫理から見れば大いなる堕落に見えます。今の日本で倫理の復活が叫ばれるのも、今の日本で起きているのは、流動性が高まることによる安心社会から、信頼社会への移行期であり、倫理崩壊ではなく倫理の混乱となるのです。
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<目次>
第1章 「心がけ」では何も変わらない!
第2章 「日本人らしさ」という幻想
第3章 日本人の正体は「個人主義者」だった⁉
第4章 日本人は正直者か?
第5章 なぜ、日本の企業はうそをつくのか
第6章 信じる者はトクをする?
第7章 なぜ若者は空気を読むのか
第8章 「臨界質量」が、いじめを解決する
第9章 信頼社会の作り方
第10章 武士道精神が日本のモラルを破壊する
<内容>
「日本人」の特許である「武士道」。これはいい意味で使われることが多いのだが、著者は「武士道」はダメだという。それは統治者の論理から作られているからだ。そういう意味で現在の政治家が好んで使うのもわかる気がする。そして、キーワードの一つが「安心社会」と「信頼社会」。日本人は「安心社会」であり、その社会は様子を見ながら行動をするので、一見優しい社会に見えるが、心のなかでは他人を信じない「個人主義」のしゃかいである。一方欧米は「信頼社会」であり、個人主義に見えるが、新しい場所や人と交わっていくためには、多少の犠牲を蒙りながらも「信頼」を勝ち取れば深く信頼し合える社会なのだという。グローバル社会となった今、必要なのは「信頼社会」。それは江戸時代の「商人道」にも似ており、各個人がしっかりと信頼し合える社会が作られないと、21世紀の世界では生き延びられないかもしれない…
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日本人とは、日本人的だ、日本人の精神だ、という皆が持ってる体感を社会科学で検証していく。「うそ」というほど、体感とのギャップが少ない。つーか、言い換えてるだけのような感覚。しかしサイエンスで追及していく手順が面白い。
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日本人の多くが、「私は個人主義だけど他のみんなはこうしているよね」と思っていることが何だか滑稽だった。
著者が指摘しているように、日本人は他人に対する信頼度が低いと思う。多くの人がみんな他人を信頼していなかったら、そりゃ冷たい社会になるわな。
集団主義が成り立っていたのは、そこに安心の提供があったから。社会的に安全だから、結果的にみんな集団主義のように振る舞う。悲しい社会だなあ。
結局、日本が安心社会から信頼社会に変わるのは無理そう。
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『日本の「安心」はなぜ、消えたのかー社会心理学から見た現代日本の問題点』(集英社インターナショナル,2008年)を改題。
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こちら、途中まで読んで「何か既読感あるな…」と思ったら、以前に読んだ『日本の「安心」はなぜ、消えたのか』の改題文庫化なのですね。
…しかし、再読ですがグイグイ引き込まれてもう一度全部読みました。いや、この、山岸敏オトコ先生の、社会心理学からのアプローチによる「日本は「安心社会」から「信頼社会」への移行が上手くいっていない」という見方でいまの日本を見ると「なるほど、そういうことか!」と腹落ちします。
先日の「今どきの大学生新入生の服装ってむしろ30年前よりも画一化してない?」という私の疑問にも、答えてくれます。なるほど…確かに。
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人類には二種類のモラル体型がある
統治の倫理:基本的に人を信じず、他人はウソを付くという前提で、身内だけの集団を作る安心社会。
市場の倫理:基本的に人を信じ、他人とも協力する信頼社会
日本人は、安心社会の倫理体型で生きてきた。なので、主観的には個人主義者が多く、会社は嫌いで、働くのも嫌い。
この2つの倫理体型は、混在できない。
武士道精神は、安心社会の倫理体型なので、市場を目指す社会には適合しない。
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氏曰く、日本人の「和の心」とは、他人の気持ちになって、互いに協調しあう関係を好むというよりは、
周囲から、自分が、どう思われるかを気にして、周囲との間で波風を立てないように、始終ビクビクすることだと指摘しています。相互監視をしている間だけですが。
かなり日本人の行動原理の本質に迫った指摘です。
人に嫌われることを極端に恐れ、
嫌われないないようにする。なぜかというか、この行動が日本社会では「合理的」だからです。この環境を抜ければ、好き勝手な事を、平気でします。
また、私達の人間関係が、基本、歪な関係性≒ハラスメントになってしまうのもよくわかります。これが、基本だからです。
X(旧Twitter)における、日本の誹謗中傷が世界一で、匿名率も世界一で、開示請求も世界一という事実からも、よくわかります。
氏が指摘する、日本社会独特の相互監視、相互規制システムは、明らかに、私達の「個人主義≒利己的な振る舞い」をコントロールするのに役立っています。この仕組みがなければ、Xと似たような環境になり、無秩序化します。
自分の主張を、押し殺し、みんなと協力するというよりは、自分のしたいことを遠慮をする。
したいことをすると、仲間はずれにされてしまう可能性が出てくるからです。そうしないと、無限に自己中野郎が生産されます。
「私」を知っている人の前では、決して「私」の主張をしてはいけない、これが、日本社会における合理的な行動です。「私」の主張は、あくまで、「私」を知っている人がいない環境でないと出来ない。
しかし、今、企業(仲間内)がリストラが当たり前のようになりました。外の世界に投げ出されることがあたり前になりました。日本人の所属意識は、所属することで、少なくなくない対価・そして賃金が得られるからでしたが、その前提が今崩れ去っています。
その中で氏は、仲間内を超えてどこでも通用する「良い評判」を確立することが、これから、最も合理的な行動だと言っています。非常に、示唆に富む良書だと思います。