投稿元:
レビューを見る
外交文書を通じ、アジア世界の視点から秀吉、家康の天下統一事業をみるもの。国内の統一と外国からの承認がどうであったのかを検証している。これがオモシロイ。秀吉が明からの冊封を、自身の武威が明から承認されたと読み替えたとするのは「なるほど」だ。朝鮮出兵にも意味があったわけだ。これって分かろうとしてなかった事実だなぁ。
投稿元:
レビューを見る
戦国時代、天下統一を成し遂げたのは、豊臣秀吉と徳川家康。2人の天下統一プロセスを比較し「天下統一」とは何か、を分析したのが本書。
一代で天下統一に至った2人が次に重視するのは日本中の大名を抑えることができる「武威」だ。戦う気さえ起こさせない、格の違いを見せつければ、天下統一を将来の子孫にも引き継ぐことができる。その武威の証明を秀吉も家康も日本国外に求めた点で一致している。
とはいえ、秀吉は朝鮮に攻め込んだものの、追い返される失態。その反省を踏まえ、家康は朱印船貿易や対馬から朝鮮との交渉、鹿児島から沖縄を支配するなど、平和的な手段で日本国王という地位を確立する。
かくして対外交渉のバトンは秀吉から家康へ受け渡され、天下統一は完成した。
投稿元:
レビューを見る
本書は、従来個別に論じられてきた戦国~江戸時代の「朱印船貿易」や、島津氏による琉球王国への侵攻を、天下統一への流れの中でとらえ直した作品です。キーワードは「武威」の論理と「琉球」からの視点。ぜひ姉妹編の『琉球王国と戦国大名』(吉川弘文館)と合わせてご一読下さい。(^^)!
投稿元:
レビューを見る
秀吉から家康に引き継がれた、日本全体を一つの権力が治め、それに全ての地方領主等が服従するという一大事業を、「武威」という観点から捉え、更にそれを対外的な外交交渉にも応用しようとしたことが述べられている。
「武威」とは、自らの武力を背景に、服従する者は寛大にそれを許し、反抗するものは徹底的に武力によって懲らしめるという概念である。秀吉の驚異的な速度での「天下統一」はそれによって達成された。しかし、表面的に服従する者を許すため、臣下への支配力は弱く、政権の安定に苦心することとなる。
確かに、真の天下統一が達成されたのは、徳川政権以降ということになろう。
また、秀吉、家康両政権とも、この「武威」の論理を朝鮮、琉球等周辺諸国にも適用しようとするが、曲がりなりにもうまくいったのは琉球ぐらいで、あとは御承知のとおりである。
「武威」とは権威、威信である以上、自らが常に上位者でなければならず、上下関係と体面を非常に重んじることになり、その点で、限界がある。また、秀吉も家康もその基本的な姿勢が同じであることも強調されている。
投稿元:
レビューを見る
天下統一、とはこれまた今になってすごいタイトルの本が出たものだ。
出だしはそんな僕の期待に応えるかのように「さて、天下統一とはなんだろう、などと切り出したら、怒られるだろうか」
世の中、なんとなく織田信長が天下統一の志半ばで倒れ、秀吉が北条氏を滅ぼして天下統一、ということになっている。だがその2年前に、島津義久に命じて作らせた文書には、天下一統を実現させた、という言葉が入っている。天下統一、というと武力で服従させたように思えるが、秀吉がひとまず成し遂げた一統は、ひとまず緩やかな服属を取り付けただけで、そこからが本番、だったともいえそうだ。考えようによっては軍事的に殲滅するよりも高いコストを払って。
さて、秀吉はボスザル、家康はハト派、なんていうのも世の中が思っているイメージだ。けれど、家康も基本スタイルは武威をもって相手に要求を通していくという、秀吉と別段変わらない。
ただ、江戸幕府は将軍の武威が及ばないアジア海上などのエリアは、あえて将軍の関与を切り離し、だから将軍の武威は保たれているのだ、というスタイルを取る。しまいには、鎖国という姿勢で限定範囲の武威を誇る。島原の乱は、そういう意味ではうってつけだったのだろう。
ところで、圧倒的に多く登場するのは島津氏である。秀吉と家康の中華思想に対して辺境の島津にどうあたっていったか。
アナロジー的思考を持って読めばなんとも面白い。