紙の本
毛沢東のしたたかさと中国共産党の知られたくない一面
2015/11/19 23:49
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴよ - この投稿者のレビュー一覧を見る
中国共産党、そして毛沢東が中国を制したのは日本軍のお蔭。
国共合作で得た国民党軍の情報を日本に流し、国民党軍を日本軍に向かわせる一方で、自らは日本との衝突を最小限にして、日本の敗戦と同時に国民党に襲い掛かる。
日本を利用して国民党を倒して中国を制圧、毛沢東のしたたかさと中国共産党の知られたくない一面が見えてくる。
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求心力を高めるためにスパイラルから抜け出せない現状を変えるために、毛沢東が日本軍と共謀していた事実を世界に知らしめることが必要というのが、著者の主張。
毛沢東の目的は、中華民族を売り渡した彼の行為の証言者を全てこの世から消し去ること。
毛沢東が稀代の戦略家で、中国の政権を獲得するために手段を選ばなかったことがよくわかる。
国共合作は、コミンテルンの指示によるものだが、それを利用して国民党の中枢に入り込み、日本と共謀していかに勝利に至ったか。そして、戦略としては日本を敵としていなかったこと。末端での戦闘はあったにしても。
毛沢東は日本軍に恩義を感じており、1956 に日本軍の大将級を招聘しようとし、行くことのできた中将に謝意を表している。
毛の時代には南京大虐殺を取り上げることもせず、対日戦勝日を祝うこともしなかった。南京については毛側の事情もあったにせよ。
コミンテルンは、本当の敵である日本を、ソ連に代って中国人に打倒させたかった。
日本人の血税が毛沢東に流れて中共が成立した経緯。
必ず一次資料に当る律儀さ。
中共の文書の行間から溢れ出す毛沢東の意図。
大陸奪還を目指し、岡村寧次を無罪とし支援を頼んだ蒋介石。
その岡村を望んだ毛沢東。
反日を叫び続けないと売国奴呼ばわりされる大地のトラウマ。
反日ではなかった愛国主義教育を、自己保身のために反日トラウマへ持って行った江沢民。
文化大革命のネガティブイメージを強く持っていたが、戦略家として大変面白い人物であった。
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最後の支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将 蔣介石が軍民の帰国に力を注いでくれたことに感謝 帰国後蔣介石のために白団という軍事顧問団を秘密裏に結成。台湾にのがれた蔣介石の大陸奪還を手助けした
1956毛沢東 遠藤三郎らに日本の軍閥が我々中国に進攻したことに感謝する。あの戦争がなかったら、私たちはいまここにいない。あの戦争があったからこそ、まかれた砂のような人民が団結できた。
多くの日本人訪問団が毛沢東に会う度に謝罪をするので、毛沢東は嫌気がさし、皇軍に感謝するを連発しながら過去にこだわらない考え方を一貫して主張
南京大虐殺が中国の教科書に乗り始めたのは、毛沢東逝去後、改革開放が始まってからだ
江沢民の父親は日本が指揮する汪兆銘傀儡政権の宣伝副部長だった
蔣介石 1887生まれ 1906 陸軍軍官学校 1907 渡日して東京振武学校で訓練 1911 陸軍第13師団高田連隊の野戦砲兵帯の将校を勤めた経験がある
蔣介石 第三次掃討作戦30万で紅軍を殲滅しようとした。あともう一歩のところで満州事変がおきた 満州事変で救われた紅軍 中華人民共和国という共産党が君臨する国家を誕生させてあげることに貢献したのはほかならぬ日本軍部とそれを制御できなかった内閣である
蔣介石 攘外先安内 国内をまず安定化させて、それから外国を攘う(はらう) 退ける 忍ぶことは屈服することではない
毛沢東 南京大虐殺に言及していない 最前線で勇猛に戦っていたのは蔣介石の国民党 毛沢東の主力軍は日本軍と縁もゆかりもないはるか山奥の延安に潜んでいた
中共のスパイは、国共合作を通して得た蔣介石の国民党軍の軍事情報を日本側に提供し、国民党軍が弱体化することをねらった
1924 孫文 神戸で第アジア主義の演説
西洋列強は覇道の文明でアジア諸国を圧迫しているが、東洋には覇道より優れた王道(道徳、仁義)の文明がある。アジアを復興させるには王道を中心として不平等を打破しアジア諸民族が団結して大アジア主義を貫かなければならない
蔣介石 回顧録 共産党は国民党重慶政府軍の軍事上の部署や作戦計画を日本軍の特務機関にもらした
8月15日 玉音放送があった1時間前に蔣介石は抗戦勝利にあたり全国軍民および全世界の人々に告げる書
日本人に対する一切の報復を禁じた。 怨みに報いるに、徳を以てせよ 武装解除は軍が行うので、それまで待機 中共軍に対して武器は渡すな
岡村寧次は蔣介石の演説に深く胸を打たれた
何応欽は、日本への復員のために中華民国が所有していた船舶の8割を割き、列車も7,8割を日本人に引き上げおよび元日本軍の復員にあてた
蔣介石があのとき、元日本軍の復員と日本人居留民の日本帰国を優先したことが、わたしたちのとなりに中国共産党が統治する国がうまれてしまった原因の一つである
毛沢東 1950年代 元日本軍人だった遠藤三郎元陸軍中将 日本軍が中国に進攻してくれたことに感謝するといったという話は有名 侵略でない
毛沢東 左翼の謝罪にうんざりしていた
毛沢東が岡村寧���に訪中して欲しかったのは、彼が蔣介石と組んで大陸奪還を企んでいることを知っていたから
帰国後、岡村大将は、蔣介石総統の要請を受け入れ、政治経済的な問題を抜きにして、ただ終戦時の恩義に報いるという名目で、1950年2月、富田直亮少将を長とする19名の陸軍参謀を台湾に送った。白団(バイダン)と称せられるこの軍事顧問団は以後15年間続き、団員の数はのべ83名に達した
大地のトラウマ 相手を激しく批判し続け、つねに批判する側に立っていないと、自分の実が危ない
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中東専門学校卒と言う学歴のため北京大学の受験資格がない。普通高校卒業相当の資格を取るため北京大学の図書館長、李大釗(共産党立ち上げの中心人物の一人)の助手として働いた毛はマルクス主義、社会主義、ロシア革命と言う李からの新たな知識にふれ、激しい劣等感と挫折感を覚えた、「この毛沢東ともあろうものが掃除係をさせられている」と言うのが遠藤氏の見立てだ。中国共産党が生まれるきっかけになった五四運動が始まる僅か1ヶ月前に毛は長沙に戻り小学校で歴史を教える選択をしたのは最高学府への抵抗ではなかったか、それが後に文革の知識人迫害と教育制度破壊へと繋がったのだと。
毛は教員の傍ら進歩的雑誌を創刊し、張軍閥から発禁処分を受けると張打倒のビラを北京、上海、広東にまき講義表明を行った。この運動は全国各地の知識人に届き張は罷免され変わりに毛が長沙代表として共産党創立党員の一人となった。党員は全国で僅か50人、もし北京に残っていれば代表に選ばれていなかった可能性が高い。第一回大会では発言しなかった毛が国共合作の第一回国民党全国大会に個人党員資格で参加すると積極的に発言し孫文からも注目を浴びた。ソ連のコミンテルンの指導を受け国民党14万の中で200人ほどの共産党が勢力を拡大するヤドカリ戦略の一貫ではあったのだが。毛は国民党組織部秘書かつ中共中央の組織部長になった。
孫文が亡くなると反共的な国民党右派が台頭し始める一方で、コミンテルンの指示のもと共産党は国民党内で主要ポストを占めていく。このころ減っている。の汪兆銘と毛が仲良くなっていった。右派のトップが蒋介石で蒋は共産党への警戒心を増していっていた。国共合作は政府:汪、軍:蒋、労農階級組織:中共に分裂していく。中共を武力で粛清する蒋に対し中共の軍事力の無さを痛感した毛は武力強化と農村を根拠地にする戦略を始めた。
毛沢東の根拠地となった井岡山には元々二人のボスがいたが、毛はこの二人を言いくるめ入り込むと後にはこの二人を含む1万人以上を粛清し乗っ取った。次に中華ソビエト共和国を江西省瑞金を首都に作ろうとした。蒋介石が包囲殲滅にかかろうとしたがソ連の支援を受けた紅軍はしぶとく、50万人を動員し追い詰めていく。まさにその時満州事変が起こった。「日本軍の進行に感謝する」1956年に毛が言った言葉はこれを示している。毛の敵は第一に国民党と蒋介石であり、国共合作と言いながら自らはできるだけ戦力を温存し、国民党に日本と戦わせ、共産党の力が上回るのを待つという戦略だ。だから毛は裏では日本軍にも汪兆銘政権とも国民党を共通の敵として停戦や共謀を持ちかけている。
有名な長征も「北上抗日」と称しているが要は国民党から逃げたのだ、遠藤氏は第4方面軍と合流せず貴州から雲南に南下したのは国民党の貴州軍がアヘンに侵され軍の体をなしてなかったからと評価しているが、ユン・チアンのマオでは合流すると兵力の多い第4方面軍指揮官の張国燾に主導権を握られるのを嫌ったからとされている。紅軍全体としては脱落や餓死も含め長征前の30万人から2万人になり風前の灯だった。この時、毛を救ったのは協力して抗日に対抗すべきと言う毛の説得で寝返った張学良と���溝橋事件を起こし国民党が紅軍に当たる時間をなくした日本軍だ。日本の情報はゾルゲからソ連を経由しもうの知るところとなっていた。蒋介石は国民党と日本軍が争う内に共産党が力をつけると言うコミンテルンの戦略を見抜いていたが毛の方が上手だったということになる。
現代の中国では袁殊、藩漢年と言った毛のスパイが日本から情報を盗み取ったと言う事になっているが、実際には国民党の情報を日本に流し、外務機密費による報酬を受け取っている。新中国誕生後これらのスパイは逮捕投獄され口封じをされた。唯一の例外が日本語がペラペラでLT貿易の中国側代表となった廖承志だ。報酬は半月に一度2000香港元、華人警察官の50年分の年収に相当する。日本が中国に進行していなければ中共が力をつけることもなく、日本人の税金で共産党は成長していった。
反日教育が盛り上がるのは父親が日本軍に協力していたことを隠したがった江沢民時代からで、毛は一貫して国民党を敵としていた。それでも共産党が正当性を訴えるためには毛の裏切りは隠さなければいけない。遠藤氏は逆にこれを国際社会共有の認識にすることが反日、反中感情をなくしていく方法だと考えているようだ。
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衝撃的な本である。抗日戦争時期、共産党は日本と情報を交換しつつ、国民党を攻撃し、国民党が疲弊していくのを待っていたというのである。実際、抗日戦争の主役であったのは国民党の軍隊であり、共産党はゲリラ戦をやったに過ぎない。かれらは、のちの国民党との内戦を控え、勢力を温存していた。国民党の軍隊が日本軍と熾烈な戦いをしているときでもたいていは協力を拒んだ。ただ、二度ほど大軍で日本軍と戦ったことがあったが、それにしても後毛沢東に、敵の攻撃目標になることを恐れ、その指導者が批判されたほどであった。共産党は国民党との間では劣勢で、蒋介石もまず共産党を殲滅させ、しかるのちに日本を撃退しようと考えていたが、共産党の宣伝戦にまんまとのせられてしまったのである。あの蒋介石を張学良が捕らえた西安事件がなければ、蒋介石はもう少しで共産党を殲滅することができたそうである。共産党軍は日本の侵略によって何度も助けられることがあったのである。中国の抗日戦争史を書きかえる衝撃的な本である。
この基本的な考え方は、先に謝幼田『抗日戦争中、中国共産党は何をしていたか』によって提出されていたが、遠藤さんはそこで欠けていた部分を日本側からの資料で補ったものである。
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いろいろな毛沢東伝を読んでいるが、遠藤氏の毛沢東は出色である。
チャーズ以来遠藤氏の中国論はたくさん読んできたが、自らの体験に基づいた中国に対する思い、愛情、熱意、期待、落胆、使命感、様々な思いが伝わってくる。
満州事変で、救われた、紅軍
毛沢東思想教育、毛沢東は神のごとく神聖て偉大であり、蒋介石は日中戦争に置いて戦わなかった売国奴だ、
日本の中国侵略がなかったら、中国は共産主義政権ではなく国民党政権だったはずだ、現在の台湾のようにいつかは民主主義の国家に健忘していただろう、
歴史を直視する勇気、1
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先の大戦で日本軍と実際に戦ったのが現台湾政府である中華民国(国民党)だったことは、我が国では常識だと思うが、かの国では(共産党の教育よろしく)状況が違うのかもしれない。
本書は、さらに踏み込んで、毛沢東が国民党を殲滅するために日本軍と共謀し、国民党の情報を渡していたというものだ。
隣の反日国家にも共通するが、自らの政権や国家に正統性がないことを自覚するが故の神話の捏造は哀れというしかないが、迷惑この上ない。
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毛沢東は、日本に対し歴史問題を持ち出さなかった。汪兆銘の協力者だったからだ。彼は日本を恨むどころか、戦後に何度も「日本軍が国民党を倒したことに感謝する。日本軍がいなかったら、われわれは政権を取れなかった」と公言している。
毛沢東の敵は蒋介石であり、彼を倒して政権を取るために日本と協力し、国民党軍の内部情報を日本軍に通報した。
歴史問題を外交の場に持ち出したのは江沢民である。江沢民の父は汪兆銘政権の幹部であり、それを隠すために「反日」の姿勢を強調したのだ。
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前々から気になっていた同作を読破。
前半は比較的学術的に何があったのかをオープンにしようとしており、日中双方の資料、共産党が関わった後の出版物の言外の意味を推測しながら真実に迫ろうとしている。現行の中国共産党という団体を見ているとさもありなんという歪曲ぶりではあるが、あくまで推測の域を出られないのが厳しいところかも。国民党・共産党の争いの中で言えば、腐敗というのが一つのキーワードかと思っていたが、蒋介石という人物が大きな絵を描いていたという著者の指摘に非常に興味を覚えた。最終章にて著者本人の体験に基づいた話が展開するが、ご本人の非常に熱い想いが伝わってきた。今の中国という国そのものをネガティブに捉えるとしても、全てではなく、政治システムが生み出してきている物事、並びにそこを牛耳っている人々・思想・思考といったところへの非難があるというように見受けらえる。
P33.毛沢東のいう現実主義とは、おおむね『人間の一生とは短いものだ。だから現実から離れて幻のような虚ろな理想や価値を追い求めらえる事などやってはいられない。限られた時間内に自己実現を果たさなければならない』ということである。
P97.中国で生まれ育ち、革命戦争を経験して、新中国誕生後は毛沢東思想教育を受けてきた筆者は、『毛沢東は神のごとく神聖で偉大であり、蒋介石は日中戦争において戦わなかった売国奴だ』ということを体のすみずみまで染み渡るほど教え込まれてきた。まさに洗脳だ。その影響から必死でぬけようと葛藤を続けてきたが、その筆者にとって蒋介石日記は電撃のようなショックを与えた。
P219.これさえ事実として認める勇気を中国人民が持ち得ないとすれば、それは『歴史を直視する勇気』を持てないということに等しい。日本であれ、中国であれ『事実を直視』する勇気を持たねばならないことに変わりはない。
P222.8月15日玉音放送の1時間前に、蒋介石は『抗戦勝利にあたり全国軍民および全世界のひとびとに告げる書』を放送した。8年間にわたって中国人が受けた苦痛と犠牲を回顧し、これが世界で最後の戦争となることを希望し、日本人に対する報復を一切禁じた。いわゆる以特報怨と言われる演説である。
岡村寧次はいたく感動した。トルーマンは『われわれは真珠湾を決して忘れない』と言い、スターリンは『日露戦争の仇を打てた』と言ったのと比べ、なんという東洋的道徳の高さを持っているのか。
P261.蒋介石は『中国のなかのソ連』で共産党が支配する国家はかならず独裁的になりいずれは覇権を目指すようになると記している。そういう意味では共産主義国家は最終的には必ず滅びると記している。
P262.1953年、毛沢東は中国にまだ残っている日本人およびその家族を一刻も早く帰国させようとした。1990年代にはいって再開した当時の小学校の教員は、『あの時日本人を帰国させたのは、日本人がこのまま中国にいると中国をきらいになってしまうことを心配した毛沢東の命令があったからなのよ』教科書に書かなくとも、日中戦争時代の中共の宣伝が行き過ぎて、中国人民が日本人の残虐行為を憎み過ぎて居たからだと語った。
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後付けを承知で言えば、なぜ対米英蘭緒戦時に反共の旗印の下に中華民国政府と単独停戦し、中華民国の斡旋で連合国とも講和できたら、早期に成立する冷戦構造においても日本は影響力を発揮できたはずなのだが。なぜ大局が読めず、夜郎自大になってしまったのか。コミンテルンの省部浸透をどうしても疑いたくなる。
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コミュンテルン陰謀説で中国建国の歴史を解釈するために、史実を都合の良いようにつなぎ合わせ、真面目に中国研究本として読むにはくだらないが、政治フィクションとしては、まあいいかなぐらいの感じ
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そうか中華人民共和国は日本軍が直接、間接的に建国に寄与していたのか。毛沢東と蒋介石の関係と人間性がよくわかった。
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毛沢東が国民党を倒すために日本と手を結んでいた、そのため戦後反日を政治的に発信しなかった、という内容が興味深かった。
別の本では戦後すぐ毛沢東の時代に反日教育が行われていたり、文革のときに日本の孤児も反革命分子として槍玉に上げられていたりするんだけど。
著者の遠藤誉さんの人生そのものにも興味が出た。