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よく言えば、「知性」の概念を変える本。著者の主張は概ね分からないでもないが、少々くどいし、ハナに着く点もある。
年を重ねるとともに緑の素晴らしさに感動を覚えるが、植物が生きていく上で、こんなに合理的に生きているとは驚いた。まだまだ、解明できてない部分も多ようだが、個人的には、植物の場合は「知性」とは別の呼び方をしたほうがいいと思う。
もう一点気になるのは、著者がよく、生き物の優劣や高等生物下等生物と云う区分けをして、それにこだわっていること。これって何か意味があるのだろうか。私には、そのような区分けは意味があるものとは思えない。
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私ら人間は、植物に操り動かされているんじゃないか?という気にさせられる本。
奴らは、生き残るためにあらゆる手を使う。
植物を あなどってはいけない。
マンクーゾさんというイタリア人に この本を書かせたのもまた植物なのだから!?
http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-1201.html
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レビューはブログにて
http://ameblo.jp/w92-3/entry-12125598550.html
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植物が人間や他の動物と同等、あるいはそれ以上に優れた生物であることを解説した本。植物の優れた特性、腫を広げるための驚くべき戦略の数々がたくさん紹介されていて非常に興味深い。ただ図版や写真が少ないので、紹介されている植物のイメージがつかめないところが残念。
いずれにせよ、植物に対する認識が一変する良書。
本書内で、植物が自分の繁殖のため、昆虫や動物はもとより、人間までも利用しているのではとの説が紹介されていたが、未だ解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」の植物と思しきイラストが載っている一連ページの解釈として、人間は植物のための養分として生かされているという解釈をネットで発見し、この解釈がもしかしたら合っていて、事実なのかもと思い、ちょっとぞっとした。また、本書では、人間に知られている植物は全植物種の10~15%にすぎないらしいことが紹介されているが、それが事実だとすれば、「ヴォイニッチ手稿」で描かれている数々の植物は、今のところ存在が確認されてないだけで実在するのかもしれない・・。
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確かに本書が述べるように、植物は感覚をもっていて、コミュニケーションを行い、眠り、記憶し、他の種を操ることができるのですが、それを「知性をもっている」と表現しています。確かにそう思えるいっぽうで、新たにこんな疑問が私には浮かびました。「それじゃあ、植物は意志をもっているのだろうか」と。それとも、知性=意志なのか?人には随意筋と不随意筋があるように、植物にも随意筋のようなものがあるのだろうかと思ったもので。この本を読んで、私の謎は深まるばかりです。
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我々人間は得てして植物を取るに足らない生物とみなしがちであるが、それは(植物が動物のような「脳」を持っていないことと、実際には動いている植物を人間が知覚できないことに起因する)偏見に過ぎないことが示されている。
植物は人間を含む動物とは異なる進化戦略を採った生物であり、動物と同様及び動物が持たない感覚も持っている。知性を「問題を解決する能力」と定義した場合、植物にも知性があると結論付けることができる、と本書では主張されている。
植物の知性に関する研究の進展は、人工知能等知性一般に関する研究等にも貢献し得ることも本書末尾で示唆されており、大変興味深い内容であった。
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植物の知性についての本。植物の権利と地位向上のための本と言っても良いかもしれない。植物の知性を理解するには植物と動物の違いを理解する必要がある。重要な臓器を持たず、それ故に脳がないこと。体の各部分が独立した能力を持ったモジュールで、それが集まったコロニーのような構造であること。どこかが食べられたりして欠損しても致命傷にならず再生できること。そのため体の各部分に情報処理機能があり、インターネットのように分散型の知性である。特に根系は根冠が無数にあり、それが互いにコミュニケーションをとり全体としての知性が創発していると説く。根のネットワークをニューロンと仮定すると根が思考を持っていても良いのかもしれない、などと思った。そのようにして植物を眺め、その生き方を知ることはこの世界に深みを持たせる。
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人間は動植物の頂点にいる。
言葉を操り、道具を使い、他の動物たちの精子を握り、植物たちを管理する。
そんな思い込みは単なるおごり以外の何物でもない。
人間たちは自身を万能だと思っているが、実は下等だと思っている植物たちに「使われている」だけなのかもしれない。
植物に脳はない。
しかし脳がないから知性がないという結論は、あまりにも植物を知らぬし軽視しすぎている。
植物たちは動物のように大事な器官を作らないことを選択した。
そうすることで生存率を高めたのだ。
つまり、リスク分散というわけだ。
動物は脳や心臓がないと死んでしまうし、手や足がもがれたら死んでしまうそうだから。
「人媒」も有用だ。
なんとこの戦略の優れた事か。風で飛ばされたってせいぜい数十キロ、鳥が運んだってせいぜい数千キロ、でもこの人間というやつらを使えば......。
本書では動物を巧みに操る能力を、植物は人に対しても持っているかもしれないと指摘する。
人間が好むような花、果実雨、味、香り、色......これらをちょいと変えさえすれば、驕り高ぶったこの生物はまんまと我らの術中にハマる。
病気から守り、快適な環境を与え、子孫を増やしてくれるのだ。
今までいけなかった場所にだって連れて行ってくれる。
下等なフリさえしていれば、蝶よ花よ、だ。なんと単純なこと!
我々は一段低く見られ続けてきた。
ノーベル賞をとるに値するような研究も、動物でないから無視された。
未知なる世界は広がっているのに、私たちには見向きもしなかった。
そして知性は動物、とりわけ人間だけのものだと思われてきた。
しかしその前提は疑問が残る。
誰かを一段低く見て、貶めて得る知性は本当に知性なのか。
そもそも知性とは何か。
我々だってコミュニケーションをとる。
危険が迫ればクリッカー音を出す。
ツルを振り回して伸びてもいけるし光を探して伸びることもできる。
家族であれば互いに限られた栄養を取り合ったりはしない。
知性とは何であろう?
私は考え続けている。
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地球上の全生命の99.9%を占めるといわれる植物の複雑な生命システムにいて分かりやすく説明する本。動物よりも軽んじられている植物の凄さを啓蒙する本、という側面が強く、今までこのような視点を持っていなかった私にとって、目から鱗な話題が多くとても面白かった。
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ここでいう知性は「問題を解決する能力」と定義されている。人間は人間>その他動物>植物と優劣意識を持ちがちだが、そんなことはないと著者は指摘する。例えば植物は大部分が捕食されても、数日すれば再生する。(生命機能を分散するモジュール構造)。移動ができないからといってそれで終わるのではなく、甘い香りで昆虫を呼び寄せ受粉のサポートをさせて子孫を残すのも植物ならではの一例。
夏の暑い日、気が付けばそんじょそこらに雑草が伸びている。それは植物が長い間時間をかけて自らの生命維持を試行錯誤してきた過程の結晶なのだろう。雑草うぜー、などとは言っていけないですね。
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植物も知性を持っている!何を持って知性とするかによると言えるが、漠然と認識していたよりはかなり高度な能力を持っているようだ。早回しの画像を見ると、植物が動物のように動くのがわかる。時間軸の違いだけなのか?いずれにしても、もっと柔軟な発想力を持たないといけないと感じさせられた。
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知性があるのは分かったが何故?どうして?どうやって?まで踏み込んでいない。
たぶんまだ知識の集積が不足していて、それだけずっと植物は軽視されてきたんだろうなと。
植物からイノベーションくる?
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面白かった。最初は、少しでも植木や花を育てた人なら誰でもわかりそうな事が書かれていて、飽き気味に読んだ。もっと実験の詳細や数値での提示が欲しいと思ったが、中盤からは分かりやすい文章で好感。様々な事例で、いかに植物か優れているかを論じ、また植物の知性を活かした将来も見据えてある。感動的。
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おおっ。まさに植物を見る目が変わる。
著者のように、少し考えてみれば、植物が動物に劣ってることなんてないことはわかったのかもしれないけど、なんだろう、まずこういう視点で物事を見ていなかったな、と気づきを与えてもらった。
進化の過程で、戦略的に立ち止まることを選択した植物たちと、移動することを選択した動物たち。むしろ圧倒的に地球上では総重量の99.7%が植物なんだから、我々動物が植物たちに活かされてると考える方が素直なんだろうな。
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とても刺激的で面白いです。
今まで気付かなかったというか、考えなかった事に気付かされた感じです。
今までの私のイメージでは、進化の最先端は、人間と昆虫で、集中処理と分散処理の最先端、というイメージがありました。
でも本書を読んで、植物も進化の最先端に居て、著者は植物を昆虫に似たイメージで語っていますが、もう少し違う観点から捉えるのが良い気もしました。
確かに、植物はもっと研究されるべき対象ですね。高校生くらいに読んでもらって、興味を持つ人が増えると良いですね。