紙の本
池澤夏樹氏が被災地を自らの足で歩き、多面的に震災を捉えた貴重な記録です!
2020/09/09 08:59
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、『夏の朝の成層圏』、『スティル・ライフ』、『真昼のプリニウス』、『バビロンに行きて歌え』、『マリコ / マリキータ』、『タマリンドの木』などの傑作を次々に発表してこられた小説家であり、詩人であり、翻訳家でもあり、また書評も手掛けておられる池澤夏樹氏の作品です。同書は、「薄れさせてはいけない。あの時に感じたことが本物である」という出だしで始まる、著者が被災地を歩き、多面的に震災をとらえて大きな反響を呼んだ唯一無二の記録です。同書には、罹災者の肉声、災害と国民性、ボランティアの基本原理、エネルギーの未来図などが克明に描かれています。また、鷲尾和彦氏による写真16点も収録されており、現場のありのままの姿が読者の目の前に迫ります。
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読後の印象としては、過去最悪です。
3.11の震災関連の話題には敏感に反応してしまうので、この本も反射的に購入してしまいました。
私が震災関連の書籍に期待しているのは、震災発生時の状況の仔細を綴った記録だったり、その後現地に住まう人たちが強い意志を持って復興に向けて動いている姿など。
他にも多々あるのですが、そのどれにも共通するのは現地の人が中心に居ることでした。
しかし、この本は全く違います。著者が震災をきっかけに、個人的に考えていることをつらつらと綴っただけの文章です。
タイトルに「震災をめぐって考えたこと」とあるので、確かにそれについてはウソ偽りはありません。
ただ…あまりにナルシズムあふれる、くだらない駄文の連続に憤りすら覚えた次第。騙された気分です。この書籍を残すことは資源の無駄で、この本を読むことは本当に時間の無駄と思います。
一応、著者は震災後に車に乗って現地を訪れた記録を綴っていることになっていますが、この本にはその「現地の人」はほとんど登場しません。ただただ、著者が現地をみて思ったこと、とりわけ非生産的で何のプラスにならないマイナス思考なことばかりが綴られているだけです。
原発関連のところは同感する部分もありましたが、他は自分自慢(芥川賞をとっただの、自分の持つ知識が広そうなところだのをひけらかした)ばかりの駄文が続くだけ。
現地で被災した人や、その復興に努力する人たちを描いた作品をいくつか読んできましたが、それらと比較すると本作は著者個人の主張や考え方を綴った部分の比率が多すぎます。ひどい言い方ですが、震災をトリガーに一儲け(あるいは、自分のイデオロギーを押し通す良いきっかけとして利用)してやろうという悪意すら感じます。
一番許せなかったのは次の一文。
「ここで自分は何の力にもなれない。ただ見て嘆息するばかりで何の役にもなれない。」
ウソだ。私は震災後、しばらく経ってから何度か現地に行っていますが、猫の手も借りたいところはいくらでもありました。にもかかわらず、こいつは何の助力もせず「嘆息するばかり」。
だったら現地に行かないでほしい。現地の人の声を聞き、それを著すなら理解できますが、傷ついた地に行ってため息つく部外者など邪魔なだけでしょう。
最後まで読めば何かしら印象が変わる部分があるかと淡い期待をして読破しましたが、結局そんな希望は実現せず、ただただ後悔だけが残りました。本を読んで、それをゴミ箱に投げ入れようと思ったのは初めてです。
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いま読めば、なんだか懐かしいような、高揚感とともにある震災直後の語り。そして、苦いあとがき。
いま書かれたら、あとがきはさらに苦いはずだ。
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東日本大震災直後から半年くらいにかけて書かれた本。あの当時、日本はジワジワとながらも変わっていくのだろうと思っていた。みんなが「誰もが幸せになれば良いのに」と考えていたはずだ。いつしかその思いも薄れて、復興五輪の名が躍る。原発についても同じだ。あの時、あんなに大騒ぎをし、怖いと思ったはずの原発は今、また再稼働しようとしている。本当にこれで良いのだろうか。
あの頃を思い出す必要はないか。封印してはいないか。よく考えて政治を見ていかなくてはならない。
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本書は、池澤夏樹さんが東日本大震災に寄せたエッセイ、コラムを再構成したものです。
表題は、ポーランドの作家ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩集からの引用とのこと。
本書では、被災者や困難と闘った人に光を当てたり、ジャーナリズム向けに書いたりするのではなく、単に震災の全体像を描こうとしたようです。
動揺、哀しみ、怒り、希望などが綴られ、思考を重ね練り上げた良質な言葉が並びます。池澤さんの様々な想いが行間から立ち上がるようです。
印象的だったのが、池澤さんの日本人観と震災後の日本の歩みの記述でした。先日読んだ、外国人ジャーナリストのルポの視点と同様だったためです。
良くも悪くも「諦めのよさ、無関心等の姿勢」の指摘、そして、被災地の復興の具体の希薄さ、日本の電力事業の再編の遅さ・逆行など、改めて自分自身への戒めを含めて、考えさせられました。
被災直後の中学校の卒業生答辞に「天を恨まず」という言葉がありました。「天が与えた試練というにはむご過ぎる」けれども、「運命に耐え、助け合って生きていくことが私たちの使命」だと。
単なる美辞麗句との捉え方もあるでしょうが、本書のタイトルに通じ、個人的に絶賛肯定します。
喪失を受け入れ、傷を癒すための時間(言い換えれば記憶の忘却)は必要で、しかしこれは記憶の風化との戦いでもありますね。