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著者の不思議なメディアアート作品を見て興味があったので手に取った本。
映像技術が発展した20世紀を「映像の世紀」とし、今後訪れる世界を「魔法の世紀」と著者は呼ぶ。その「魔法の世紀」がどのようなものになるのか解説した図書。
「映像の世紀」とは人間に指針を合わせてメディアを設計した時代。「魔法の世紀」は人間の感覚を超越した設計をコンピュータで行うことによってモノと人間の関係を再設計する時代という説明には驚いた
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20世紀・映像の世紀的なメディア装置がいかに高度な文脈から感動を生み出そうとも絶対に得られないような、原理的なレベルでの眞新しい感動を生むのが21世紀・魔法の世紀。感動の主体は人間、文化の紡ぎ手はコンピュータと人間の共生、保存装置はインターネット。人間基準の解像度を乗り越えた世界が、新しい知覚の可能性をもたらす。
情熱だけでは足りない、賢くないと作れなさそうなメディアアート。コンテンポラリーアートも、論理武装が必要だったという意味ではそうだったのかもしれませんが。
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20世紀は映像の世紀で、21世紀は魔法の世紀。
20世紀の人間は映像によっておmの事を大量の人間で共有することの威力にすぐに気が付いた。と同時にこれを社会的に利用しようつ考える人も現れた。ヒトラーである。彼は群衆の統治の手段として文字を信じていないことと書いている。代わりにヒトラーは映像や音声によって国民に自らの思想や権威を共有させた。
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ゾートロープ
→実際にディズニー展でみることができた。3度くらい繰り返しみた。
我が闘争 映像とおんせいら マックスウェーバー 脱魔術化 黎明期 メタな視点 非メディアコンシャスの世界 アランケイ グーテンベルグの銀河系 本質と変革の思考 アイバンサザランド ディスプレイを物理空間のありかたとみなし、物体をコントロールできる部屋 彼に立脚している きら星のごとく。
シネマトグラフとキネトスコープ
(箱の中をのぞいたもの)
前者は大勢が見ることができ、金になるから栄えた コンテンポラリーアート マルセデュシャン 泉 島宇宙化
→キネトスコープの良さを取り込んで何かできないか。視聴者が相互に影響しあえるキネトスコープは?少数で楽しむ映画。
プラットホームとはインフラ機能を集約、共有化し、その基盤でのコストを下げる。しかし、全体批評性を失う マウスは人間の知性を拡張するためのものであり、インターフェースではない。
アーティストとはあらゆる文脈を飲み込むプラットホームの同調圧に技術革新がもたらす原始的な感動によって挑み続ける存在 自ら問題・文脈をつくり、自らのユースケースによって解決する行為が高付加価値を産み出す。
→メディアアーティストとはコンピュータその他の電子機器を利用した芸術
1000兆分の1秒だけ持続する高周波レーザーパルスを発射するフェムト秒レーザーを使って空中に三次元の像を描く仕組み。触覚も与えられ、像自体の形も変わる。
東洋見えるものは不変でも見えないものが変わる。花鳥風月を愛でる根幹
動と静 人間中心のメディア装置から脱却する。 フェムト秒レーザー
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クロード・シャノンーーアイバン・サザランドーーボブ・スプロウル
ーージェームズ・クラーク
ーーアラン・ケイ
ーージョン・ワーノック;Adobe
ーーエド・キャットムル
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ラテン語 英語 日本語(西周訳)
人間の思想・精神の学問;Artes Liberales Liberal Arts 藝術
自然を機械的に扱う學問;Artes Mechanicae Mechanical Atrs 技術
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バウハウス;ドイツのデザイン専門学校
運営陣;カンディンスキー、パウル・クレー、ヨハネス・イッテン(色彩学)
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携帯という機械、iPhoneが人に感動を与え、人の生活を変えた。
ハリウッド的な 文脈としての感動
が蔓延してる現代に
心を動かす計算機をつくることが、
メディアアートには必要。
グーグルや、ショッピングモールや都市
プラットフォーム
あらゆるコンテンツを吸収し
全体批評性を飲み込んでいる。
西洋と東洋の庭
話はそれるけど、文脈の感動が蔓延している中で、
もっと単純な自然に対する感動を
思い出すべきではないかと感じた
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コンピュータの歴史と紐付いてメディアアートが解説されてるのでとてもわかりやすい。未来について考えたくなる本。
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文脈のゲームとしてのアート
↓
原理のゲームとしてのアート
メディアアート 心を動かす計算機
vs プラットフォーム
表層( デザイン)と深層(エンジニアリング)の一体化
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本人の研究を交えてこれからの未来についてを説明。
また「魔法=よくメカニズムが分からないもの」と考えると、最近流行しているDeep Learningに代表されるAI技術は答えが出るけどそこで何が起こったのか説明が難しい。そう考えると、魔法の世紀とはどういうものなのかを納得できる1冊であった。
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コンピュータを土台にしたMakers、とかいう次元ではなく、この世界・宇宙そのものを記述する。山本弘「神は沈黙せず」を地で行くような発想と実践力。レベルが高い、とかではなく思考空間自体が異なる、森田真生を読んだ時の感覚に近い。若い才能が先人の肩を、ジェットストリームアタックくらったアムロのように飛び越えていく感じ。
適切な場を設定すれば物質(原子)を生み出すことすら可能なのか。量子力学的限界も、記述してしまえばクリアできるのか。人間の知性(理解力)とコンピュータ能力の限界は記述される場の精度の限界となるのか。
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デジタルネイチャー
コンピュータによって知能、物質、空間、時間を含む
この世界のありとあらゆる存在と現象が記述され
互いに感応しあう状況まで到達した時の
モノのあいだに横たわる自然環境のような周辺
長期的なビジョンに基づく研究の真っ只中にいる筆者が魔女狩りを恐れることなく現代の魔法使いとしての活動を一般に紹介した本。
気になった内容を分類してやや追記
映像の世紀から魔法の世紀へ
20世紀は映像の世紀
映像という体験は極めて複雑で
精神的な影響のあるもの
大量の人間のあいだで共有する威力
ハリウッド映画
キリスト教やイスラム教などに並ぶ
グローバルに共有されるコンテクスト
魔法の世紀のベース
スマートフォン
バラバラディスプレイ
N対Nの双方向、インタラクティブ
かつての科学は脱魔術
今は再魔術化に向かう
あらゆる虚構、リアルとバーチャルの対比を飛び越えて、僕ら自身が魔法使いや超人になる世界。虚構は一つの現実に吸収され、この世界自体が物語になっていく。
知的好奇心がサステイナブルな希望を実現し、コンピュータが自然と人工物とをとりなして新たな自然観を開いていく。その中で人間はより人間らしく、幸福に生きていく。
魔法の最大の特徴は無意識性
承認や操作を極力排除して、空気や植物のようなアンビエントなコンピュータを実現する。
アラン・ケイのDynabook 1972年
安価、低電力動作、ポータブルコンピュータ
マルチメディア(音声・画)が扱える
ディスプレイ、直感的インターフェース
子どもが紙とペンの代わりに使える
OSが簡単なプログラム
エンドがプログラミング可能
つまりスマートフォンまでは予想された未来
まだ、徹底が足りない。より空気のように
創造性やリアリティのようないかにも人間的な領域とされてきたテーマを、コンピュータの補助によって巧妙に扱えるようにして現実に解ける問題として捉えた。
生物学的には進歩しておらず、教育時間も増えていないが過去最高のタスクをこなす。レッドオーシャン化するタスク量主義。
コンピュータに付随するあらゆるものづくりがフリーアクセスになり、民主化してきた。
→技術ではプロとの境界がなくなってくる
自ら問題つまり文脈を作り出して自らのユースケースによって解決することによる高付加価値戦略。
研究対象を近場の見立てで行うとあっという間に過去のものになる。ビジョンを定めて長期的な活動を。
メディアアートは溶けた。ジャンルとしての求心性が失われた。
→まちづくりはどうなのか
写真技術の普及により、写実絵画は低評価へ
人間は何を言っても肯定してくれる存在を欲する生き物
アバター ジェームズキャメロン
テクノロジー自体がアート
ディズニー
この世界に魔法の国をつくるため、コンテンツと生産技術を掌握し、さらにそれをリアルに実装するところまで手がける。アップルやグーグルよりも長いスパンの思想。
アートの時代性
1 社会風刺 他人事
2 社会を動かすムーブメント 自分事
3 自分で手を動かす ワークショップ
研究 コストの二極化
超高額装置の使用
低予算だがビジネスでは通らない企画
現代のバウハウス
アウトプットに最大限AIを活用するようなクラフトワークの訓練が必要。
エクスペリエンスデザイン、人間体験設計できるエンジニア、iPhoneが良い例
デザインが人間の行動を規定する範囲の限界
クラウドファンディングのように労働と富の関係も変わる。
現存する最古のメディア 壁画と彫刻
優秀なメディア 紙 日本の日記文学を育てる
西洋はモノに日本はモノのあいだにある要素に着目。
宗教画は伝達に余地なし。日本美術は感性にうったえる。
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スリリングであり怖くもあるという複雑な読後感。芸術と技術の融合、発展、展望新しいことがここにはある。前に進む人の姿、マインドがここいはある。ただ、人と機械の主従逆転や、テクノロジーの大波に身を委ねることができるそういうアンリミテッドなマインドを感じる。面白いんだけど危惧も湧く。そんな感じ。
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◉映像の世紀から魔法の世紀へ。
◉コンテンポラリーアート(※現代アート)
◉現方向のコンピュータの進化はスマートフォンで一旦終着。
◉ユビキタス・コンピューティング / カーム・コンピューティング
◉我々の生活を前提づけている条件があり、コンピューティングでその前提をひっくり返せば、生活がどんどん変化していく。
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コンピューターの歴史,(メディア)アートの歴史を再考し,その上で21世紀型の放出の仕方を概念を用いて説明している,
コンテンツ的な文脈での"動"とメディアそれ自体の"動"をフレームレートとエーテル速度をメタファー的に用いて思考していく姿から発展させたコンピューテーショナルフィールドでは物体の人間の二分法ではなく,人間を含めた物体と情報のやりとりを考え,その媒介者となるインターフェイスとしてある形式的な"場"を捉える.
足るを知る,知った,一種の諦念さえも持ち始めている現代に生きる私たちに,この姿はアップデート可能で実際にそのような未来を世界は歩もうとしている.
そして,それを促進させるために,近代の文脈で更新された概念をコンピューターを使用し飛び越え,新たな自然観を構築しよう.
そんな視座をもった著作です.
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所在:展示架
請求記号:007.3 O15
資料ID:11701297
担当者:矢野
30歳にして筑波大学准教授を務める落合陽一氏の著書。
テクノロジーが自然に溶け込んだ「デジタルネイチャー」の考え方を理解することで、未来の社会を創っていくために必要な感性を得ることができる。
おすすめです!