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投稿者:ヨンデリーヌ - この投稿者のレビュー一覧を見る
表紙絵、内容とナイスマッチングです。
青空の如く、人々を、読者を魅了してやまない「ノボさん」の青春篇。
いや、彼の人生、最後の最後まで青春だとは思うけど。
上巻は「青春!」と叫びたくなるほどの、子規の魅力に溢れています。
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2019.05.松山から上京してきたノボさんは,東京大学予備門に合格し,べーすぼーるに熱中する.夏には,今までの集大成として七草集をまとめるために向島に滞在する.そして,落語好きという共通点から秀才の夏目金之助と友達になった.松山藩の常盤会宿舎で初めて喀血し,その時から子規と名乗る.そして,療養にためにもと故郷の松山に帰省することとなる.松山でも後の河東碧梧桐である秉五郎など多くの人たちが子規の元に集まってくる.子規と夏目漱石は,こんなに仲が良かったんだ.なかなか勉強になります.
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仲良しの読書家さんからお借りした「ノボさん」は、正岡子規と夏目漱石のサブタイトルがついているとおり、正岡子規が夏目漱石と出会って以降のふたりの絆を子規の亡くなるまでの生涯を中心に綴られている。
上巻は正岡子規を中心に子規がすでに松山から東京にでてきているところから始まっており、大学予備門(第一高等中学校)に入学後、第一高等中学校予備科一級に進級した21歳の子規と夏目漱石との出会い、明治22年の夏に帰郷した松山から東京に秉五郎(後の河東 碧梧桐)と東京に戻るまでが記されている。
正岡子規は俳人として有名で「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」は、小学生でも知っているのではないだろうか。若くして亡くなったのを知ったのは、中学の時の夏休みの宿題で読んだ本であった。
ずいぶん昔のことなので、正確には覚えておらず、結核で亡くなったと思っていた。本作を読み結核性脊椎炎で亡くなったことを知った。
明治21年の夏季休暇で第一高等中学校の同級生の佐々田八次郎と訪問した鎌倉で初めて喀血した子規は、「七草集」の完結に至り、翌年5月9日に大喀血した。この時、血を吐いたことを時鳥、この鳥の別称「子規」とし、2句を綴る。
卯の花を、めがけてきたか時鳥
卯の花の散るまで鳴くか子規
時鳥はのどの赤い部分を見せて鳴くため、子規は血を吐いた自分をその姿を重ね、「子規」という漢字を使ったようである。ホトトギスは夏の到来を象徴する鳥であったので、同じ季節の代表的な花である卯の花と深く結びつけたという説がある。俳句の5、7、5の字面ではわからない背景やその時の思いを知るほどに、言葉では表すことができない思いというのを感じる。
このときホトトギスの句を作った2年後、帝国大学(東京大学)哲学科に進学。文学に興味をもった子規はのちに国文科に転科し、小説家を夢見て執筆を始めることになる。
また、本作の始まりから容易に想像ができるが、野球好きで、幼名の升(のぼる)にちなんで、野球(のぼーる)という雅号を用いることもあったようである。
また、今でこそ、翻訳の必要なく、テレビでも普通に野球用語を外来語のままに使用しているが、「バッター」「ランナー」「フォアボール」「ストレート」「フライボール」などの外来語を「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」など翻訳し、ルールと共に本作の中でも説明している描写があった。
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もともと正岡子規とは、教科書で習った「柿食へば」の作者、ということしか知らず、その後『坂の上の雲』で、彼が生きた時代や関わった人物の躍動感に触れるも、そこでもまだ、残した功績の一部を知ったに過ぎなかった。
今回は子規を主人公として、彼が日本文学に与えた影響を改めて知ることとなった。
上巻は、天衣無縫でエネルギッシュな彼の言動に、感心したり、まさかこの時代にと驚くことだらけ。
しかし、彼が病気で早世した事実は動かせるものではなく、上巻の最後あたりから彼の人生に病が併走してくる。
子規、と自らに名付けたノボさんの思いを一緒に負って下巻に移る。
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ミチクサ先生大好きだったのですが、今週で終わってしまうから、慌てて買いました。こっちは正岡子規の方がメインなのかな。伊集院先生早く良くなってください。