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新聞で広告を見て。
樹木葬を営む業者さんの本かと予想したが、森林ジャーナリストの方による客観的な内容。
世の中の流れを見る上でも、自分のお墓を考える上でも、とても役に立ちました。
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まずは、内容から
はじめに 墓をつくって考えたこと
第1章 お墓はいらない、のか?
第2章 日本初の樹木葬墓地はいま
第3章 「緑の埋葬」先進国を俯瞰する
第4章 森をつくる樹木葬を訪ねて
第5章 死して森になる
おわりに 明治神宮の森に想う
本書で取り上げた寺院一覧
ちなっています。
この本が書かれる最初のきっかけは、お母さんが亡くなられてお墓をつくることになったのだが、そのとき感じた違和感でした。
で、最近のトレンド、終活、墓じまい、ペットの埋葬、そして樹木葬への関心が一挙に高まりこの本となった。
そこから、フリーランスの森林ジャーナリストの著者の知見・知識が爆発してくる(笑)。
知勝院が取り組んだ日本初の樹木葬のコンセプトである自然再生プロジェクトに著者は親和性を覚える。
そして、樹木葬と呼ばれる方式の実態を日本のみならず世界の状況まで調査が及ぶ。
第5章 死して森になるでは、問題点が指摘され、また、
まだまだ始まったばかりの樹木葬が理想に向かってどう進んで行けばいいのか提案もなされている。
最後に樹木葬を考える時間軸であるが、今ある明治の森に目をやり、長い目でみなければならないと筆をおいている。
私の考え方であるが、地球上の命も、もとはといえば宇宙に漂う諸元素が超奇跡的な重なりでたまたま存在しているだけである。しかしながら、与えられた命を大切にするということは論を待たないところであるが、いずれ、太陽と地球はぶつかり宇宙の藻屑となってしまう厳粛な運命が待ち受けている。
せめて、死して森になる、すばらしい考え方だと大賛成であります(笑)。
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樹木葬という葬法を初めて知った。樹木葬とは死者の遺骨を里山や山林などの地面に埋めてその上に植樹をして死者を葬り、さらに植樹によって自然再生や自然保存がなされる葬法だ。
これが生まれた背景には墓石による葬法が現代に合わなくなっている実情がある。
そこには例えば高額な費用、継承者不在、墓石の不法投棄、維持管理の手間、自然破壊などと問題が多々ある。
面白かったこと
・イギリスで葬式や葬法は故人よりも遺族の癒しに重点をおく。
・世界では宗教上の理由で火葬の割合が意外と低い国がたくさんある。イスラム圏では特に低い(肉体の復活が前提のため)
・
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僕自身は墓はいらないと思うし、近親者も出来ればそうして欲しいなという気持ちはある。
宗教上の理由でも金銭的な問題でもなく、葬式や墓のビジネスっぷり、型にはめぶりに虫酸が走るのだ。とはいえ、自分の実家の墓にはそれほど違和感を覚えていない。こぢんまりとした、斜面にある落ち着いた墓だから、だろうか。
本書の冒頭に紹介される、地平線が見える巨大墓地。山を切り拓いて作ったものだ。山を切り拓いた時点で墓であろうがなかろうがけっこうイヤなのだが…
墓の墓、という課題もある。いらなくなった墓石を捨てるのだ。が、これはオーソライズされた墓ばかりではなくて、要するに墓石の不法投棄だ。永代供養といっても永代ではなく、いずれ無縁仏として撤去されるときがくる。ゴミと一緒にしたら怒られるかもしれないが、捨てたら終わり、葬ったら終わり、ではない。その先も誰かの手がかかって、カネもかかるのだ。
そこで(というだけではないが)樹木葬である。散骨とは違う。緑の埋葬、である。水平線が見える墓に(カネのつづく限り)永眠するか、森になるか。後者のほうがいいに決まっている、といいたいところだが話は簡単でない。本書は、樹木葬実践者への取材を重ねたものだ。
樹木葬ユーザーには檀家制度や葬式仏教に批判的な人が多く、しかし仏教会はきちんとその問題に踏み込めていないようだ。まあ、それはそれで問題なのだろうけど、やはり里山を樹木葬の場として手入れしていく、ということに大いに賛同したい。
死んだら焼かれて墓石の下、でいいのか? 死を墓という特殊空間(NIMBYといっていいかも)に追い込んで、ときどき儀礼をやるだけでいいのか? 世の中がいっせいに受け入れることはまだないだろうけれど、小さくはない流れになっていく気がする。僕は散骨とか無縁仏でいいやと思っていたけれど、素敵な森に埋められて、たまには素敵な場所に墓参してもらえるならいいかな、なんて気になった。だが、死んだ後は生きている時間よりもずっと長いから、一時の適当な感情で周囲にかえって迷惑をかけてもいけない。そこら辺のことも抑えながら、ある意味楽しく読める本だ。死ぬのがまた一つ楽しくなった、というと誤解されるかな…。
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以前 何かで 樹木葬と言うものを見聞きした事があった。
田舎で 先祖のお墓参りをした事があるが
お墓と言うものは 自分には あまり馴染みがない。
しかも 将来自分が墓を作ったとしても
無縁仏になるかもしれないと思うと
高額の石のお墓って 必要なのだろうかと 常日頃思っていたので
この本をじっくり 読んでみました。
記憶にあったのは 広々とした 公園のような芝生の所に穴をあけて
そこに入れて 簡単なプレートのようなものを 目印にするものだった。
が 本来の 樹木葬とは それとは 大きく違っていた。
墓地が少なくなってしまったという事もあるが
檀家さんも減って収入が減った お寺さんの 再起をかけたものでした。
この樹木葬は 最初に始めた 人の思いは
里山を再生していくことが 含まれていたので
周りの環境も整えていくやり方でした。
しかし、通常の石の墓のある スペースの近くに 新たに作られた 公園のような 樹木葬も 多いらしい。(多分私が以前どこかで見たものだと思う)
これだと 本来の 樹木葬とは 言えないようなもののようです。
海外では 高級棺用材として ミズナラ・ローズウッド・マホガニー・黒壇などが多く用いられ、森林破壊につながるという 環境を意識が高まり 樹木葬が注目されてきたそうです。
日本では 骨つぼは 分解されやすい材質の木や竹(節を利用して)などを用いるようです。
環境を配慮して 持込の木を植える場合は 基本的には 日本古来の樹木や、大きくなり過ぎないものなどが指定されている。
このあたりは それぞれの 住職のお考えによって異なるようです。
基本理念としては 樹木葬=自然に還る という事なので 森や里山や林に 自然な木を植える。 ということです。
樹木葬などを 考えてる人は
一度この本を手にとって
自分がどうしたいのか 改めて考えてみるのも 良いかと思います。