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ノムさんのような偉大なる記録ホルダーが今更「凡人」と名乗られても。。。と思いつつ、相変わらずの絶大な説得力。何冊もノムさんの本を読んでると全く同じエピソードが語られることが多いのだが、そのなかでも微妙にノムさんの所見が変化してきているように感じる。原因は年齢か。はたまたポストロスか。とにかく今回は、全体的にマイルドになったように感じる。
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努力においては、「どれだけ努力をしたか」という徹底度も大事だが、「正しい努力ができているか」という努力の中身も重要である。
たとえば毎日のように早出特打をおこない、試合後も素振りを欠かさない選手がいる。しかし、なかなか結果が残せない場合も少なくない。なぜか。練習をおこなう目的が「ただバットを振ること」だけになってしまっているからだ。
自分が「どんなバッターになりたくて、そのためにどんな練習が必要なのか」をしっかり定めたうえで臨まないと、どれほど努力を重ねたとしても間違った努力になってしまうのである。明確な目的意識を持って、物事に取り組むことが大切になるのだ。
ところが私がこうした選手に、「変わらなければ現状維持のままだろう。思い切って変われ」とアドバイスをしても、躊躇してしまう選手のほうが多いのだ。変わることによって一流選手の仲間入りをする可能性よりも、変わったために失敗をして、現状よりも状況が悪くなるリスクのほうに意識が向くのである。つまり変わる「勇気」が持てないのだ。
しかし変わらなければ人は成長しない。進歩とは変わることである。変わることができない選手は、やがて変わる勇気を持ったほかの選手に追い抜かされてしまうことになるだろう。自分は「現状維持でもいい」と思っているのかもしれないが、みんなが成長を目指して戦っている競争社会において、現状維持であることは後退を意味するからだ。
教えたがりのコーチは、実は選手のことを思って教えているわけではない。たいていの場合は、監督に対して「私はこんなに仕事をしていますよ」とアピールしたいか、選手から「このコーチは何にもしない人だな」と思われたくないかのどちらかである。つまり「もっと自分を評価してほしい」という自己愛から、そういう行動に出ているのである。
そもそもコーチが本当に選手のことを思っているのなら、いきなり教える前に、まずはその選手の強みや弱点、性格、野球に取り組む姿勢や野球への理解力、選手としての完成度などを徹底的に観察するはずである。そのためには、ある程度時間が必要である。そのうえで「この選手にはどのタイミングで、どんな教え方をするのか」を考えて選手に臨むのが、優れたコーチの特徴だ。
また私は、選手の側に「教えられる準備」ができてないうちから、あれこれ教えるのは無意味だとも思っている。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない」という言葉がある。本人に「何とかしたい」という危機感が芽生えてない限りは、どんなにコーチが熱心に教えたとしても、その内容が血や肉になるはずがない。「このままではプロでは通用しそうにもない」という壁にぶち当たったときに、初めて選手は「教えを聞きたい」と真剣に思うものである。そのときこと、コーチが教えるタイミングである。
さらに私は「教えられる準備」ができていない選手にいろいろ教え込むことは、害悪にすらなると考えている。
ダメなコーチは、その選手の長所や短所を十分に理解しないまま、あれこれと指導をする。そして自分の頭のなかに描いた理想のフォームに、無理矢理当ては��ようとする。ひと口にプロ野球選手といっても、多様なタイプの選手がいるにもかかわらずである。
私は「思考」や「感性」については、誰にも負けないくらいに磨いてきたつもりだった。しかし、いくら深い思考や感性を持っていたとしても、それを言葉に変換する能力がないと人には伝わらない。そのため私は講演会場や球場に向かう移動時間を利用して、さまざまなジャンルの本を片っ端から読みあさった。そして心に残る言葉があったときには赤線を引いてメモを取るようにしていた。そうやって読書を通じて「言葉力」を鍛えていくうちに、私は次第に自分の心の奥底にある思いや感覚を、相手にわかりやすく理解してもらえる言葉で表現できるようになっていった。
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(02.21.2018)
再読。
(01.26.2017)
自分のこれからの人生において大いに役立つであろう一冊。凡人が一流になるために必要なこと、考えること。もっと勉強しなきゃと気持ちが奮い立った。