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【動物行動学VS神学、決着はつくか?】「知の巨人の佐藤さんが本気で神を信じるの?!」「竹内さん、世界中に宗教がある理由は?」政治から浮気までわかる異色の対談!
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さすが佐藤さんですね、面白い!結構、下ネタが多かったが、動物の行動、人間の行動を、いろんな面から切り込んでいく。宗教への敷居が少し低くなりました。
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神学って頭の中であれこれ考えて存在の証拠を提出しようもないものをひねくりだしてる。それでおまんまを喰ってるのが竹内さんには腹立たしい。
ヨブ記は読みたいような気がする。
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すごく面白い本だった。
竹内さんが疑問を抱いているように、私も佐藤さんみたいな知性を持った人がキリスト教徒なのか不思議だった。
その点については、やっぱり分からなかったけど、(人の信仰は、理解できないものなのかも)「最初の一撃」という考え方が教養のない私にも分かりやすくて、なるほど!と思った。
後半の竹内さんの動物行動学の話も興味深かったし、読んでよかった。
「『聖書』には、到底できないことを基準として掲げることによって、全員がそれを守れない罪びとであることを認識させる。 」「神が人間をつくったんじゃなくて、人間が神をつくった」とまで言うのに、それでも信仰の揺るがない佐藤さんはすごいな。
表紙のイラストが可愛すぎる!
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佐藤優ほどの知性がなんで「神が存在する」と本気で信じられるのか?という問題提起に始まり、ラストでは「神が人間を作ったんじゃなくて、人間が神を作った。だから人間の側からしか神について語れない以上、裏返して、人間学を高めて神学にしていくしかない」と佐藤優にここまで言わせないと収束しない程、バラバラな対談であったという事だろう。結果的には佐藤氏が竹内氏に折れる形で終わっている。
そもそも、お互いのフィールドが全く違うのでガチンコになってないし、対談もかみ合ってない。互いの専門分野に素人的な質問をし、双方で知識披露する一方、話が脱線ばかりで冗長でまとまりもなく、対談本の負の側面が出てしまっている。
ラストになって動物行動学→人間学 と 神学→人間学 という到達点での一致でどうにか話をまとめたという印象。
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面白かったです。
佐藤優さんがキリスト教徒ということを意外に思っていましたが、これでなんとなく分かったような。なぜ「キリスト教徒をやめないんだろう?」と思ってしまうような。
けど冷静にキリスト教を観察し、説明しているところが興味深く面白かったです。
宗教と科学。相容れないようで、このお二人の対談はけっこうかみ合っていた。
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ドーキンスで口火に、神学の佐藤氏と科学の竹内氏が対談が進む。
2人の論がかみ合わないのでは、と思ったけれど最後は無事、着陸。
スリリングでした。
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「宗教と科学のガチンコ対談」なんてタイトルにひかれて読んだ私がバカだった.本当につまらない対談.ガチンコになるには互いに相手を知らなければいけないと思うが,竹内女史はドーキンスだけを守護神とするのに対し,佐藤氏は古今東西の文献を引用する.知識量での差は明らかだし,フィールドの広さでも大きな差がある.それでいて佐藤氏の話が面白いかというと私にはぜんぜん面白くない.残念,残念.
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・佐藤 私が思うのはドーキンスとは逆で、むしろ危険なのは神というより宗教のほうでしょう。たとえば、仏教は完全な無神論の体系なのに、そこからオウム真理教のような教団が派生してくる。それは神とは関係なく、宗教の問題です。だから宗教は危険なんです。
竹内 それはどういう意味で危険なんですか?
佐藤 宗教というのは、人間が自らの願望、欲望を投影してつくりだしたものだからです。そうやって生み出される害毒を克服するために、現代のキリスト教の課題は、いかにして宗教を脱構築していくかにある。脱構築とはポストモダンの考え方で、まあ、「解体」くらいの意味でしょうか。
・佐藤 私も読みましたが(ドーキンスの自伝)、彼の写像が社会を忠実に反映していて、非常に面白かったですね。彼の神への徹底的な反発だって、神のことを一所懸命に考えているからなんです。神を考えるから人間についても考える。ドーキンスがあれほど神に怒りを覚えるのも、人間に対する関心があるからこそなんです。神を否定するかたちで神に仕える道だってある。
だから、彼の主張はけっしてニヒリズムじゃなくて、むしろヒューマニズムに近いと思う。彼を批判するマクグラスが、彼をニーチェの系譜で捉えているのは間違いです。
・佐藤 本来は、プロテスタントもカトリックも科学を推奨しないですよ。神学的な立場からすると、科学的なものはすべて魔術に見える。
竹内 えっ、魔術?
佐藤 神学の立場では、森羅万象に神様の手が働いていると考えるのです。にもかかわらず、ある秘術を会得した場合には、誰がやっても同じ結果が出るでしょう。つまり、秘術も科学的な方法も、神学からすれば同じ「魔術」ということになる。
・佐藤 柄谷行人さんの近年の仕事で、要するに支配をしたいから定住するんです。移動生活をしている共同体Aと共同体Bがあって、AがBに勝利すると、相手を皆殺しにし、略奪し、状況によっては人肉を食ってしまう。ネアンデルタール人もそうして絶滅したのでしょう。ところが、このかたちだと常に戦争してなきゃいけないし、負けることもあるから、すこぶる効率が悪い。戦うことなく支配したほうがいい。支配するためには定住したほうがしやすい。こうして定住が始まったというのが柄谷さんの考えです。
もっとも、実証研究からすると、狩猟採集なら三、四時間の労働時間で済むところが、定住になると極端に労働時間が延びる。しかしそれは、指導的な層からすれば誰かに働かせればいいわけで、自分たちの労働時間は延びないから、なんら問題はない。こうして定住生活が始まると、それは人が人を支配するわけだから罪と結びつきやすいんですね。
・竹内 動物行動学の立場から考えると、あるていど知能を持った動物がまず何に疑問を持つかというと、それは自然現象だと思う。太陽が動いている、昼と夜がある、季節が移り変わる。
こういうことを取り仕切っている何者かがいるに違いない、と。雷や地震、洪水などの大災害なんてまさにその何者かの怒りにふれたように感じるはずですね。実はチンパンジーには、レインダンスという踊りがあって、雨が降ってくると、声を発しながら踊ったり、気に駆けのぼって枝をゆすったりもする。それは人間の呪術的な踊りととても似ているそうなんです。
・竹内 手話ができる「ココ」というメスのゴリラがいて、「死んだらどうなるの?」と訊ねると、手話で「眠る」と答えるんです。「死んだらどこへ行くの」と訊ねると、「苦労のない穴に」って答える。
研究者たちに言わせると、ココの前でそういうことを話した覚えはない、教え込んだこともないと。
・佐藤 中世スコラ学においては、人間の限られた知恵で能力的に限界のないものを説明することはできないのです。だけど、そこであきらめてはいけなくて、さらに不可能の可能性に挑んでいく。まず文献学とか歴史学とか、論理で説明できることは説明し、次はそこから推定できることを推定し、さらに難しいところは作業仮説を立てるのです。作業仮説も立てられないとなると、これは立場設定になってしまう。
立場設定とは、ヘーゲル的に言うなら差異の問題、趣味の問題になってくるので、これは強要できない。そうなると説明不能となって、直感とか、外部性とか、超越性という言葉が出てくる。だいたいこういう仕分けになるわけです。
竹内 またまた屁理屈に聞こえてきた(笑)。怪しいな。
佐藤 じゃあ、こういう問題の立て方をしてみましょうか。
誰かを説得してキリスト教に入信させられるか。私はできないと思う。人間の決断などというものを信用していないからです。だってイエス・キリストの生き方を見た人たちは、十字架に架けられるのを見てみんな逃げたでしょう。ところが、復活して山上で説教するイエスが光り輝くのを見たあとは、殉教も恐れないほどに強くなり、イエスについていきますね。
つまり、人間の考え方は伝播する。具体的な人間関係を通じて考え方が伝播していくその力は、私も信じているわけです。人間の決断は信じられなくても。
・竹内 チスイコウモリは、二晩つづけて血が吸えないと死んでしまうんだけど、吸血に成功した仲間が、まったく血がつながってない個体にも口移しで分けてやることがある。口移しで5ミリリットル与えたとしますよね。与えたほうは死に六時間近づくだけなのに対して、与えられたほうは、瀕死の状態を脱し、死から十八時間も遠ざかる感情になります。ここがポイントです。ちょっとした金持ちにとってはほとんど痛手とならない一万円が、その日暮らしの人間には何日分かの生活費になって大助かり、みたいなものです。
・佐藤 猫も梅毒に罹るのでしょうか(O型は梅毒に強く、アメリカ先住民はほとんどO型で、元々アメリカ大陸にしか梅毒は存在しなかった)。というのも、このあいだ動物病院に連れてって知ったんだけど、猫はAとBとABだけでO型がないと言われたから。
竹内 OはAから変異してできたものですから、ネコではまだOがないんですね。ネコに梅毒があるかどうかは知りませんが、ネコエイズはあって流行していますけど。
日本人で多いのは、A・O・B・ABの順で、4・3・2・1ぐらいの比率ですね。ちなみにBがアジア系に多いのは、たぶんこれらにAB型が滅法強いせいです。ガンジス川の下流域とかコレラが常に流行ってるけど、そこでABがやたらコレラに強いたいめに、Bの要素を持つ人間が増えて、アジア系にはBやABが多いのでしょう。ちなみにイギリスではAとOが圧倒的です。でも、こういうふうに血液型について語ると、「迷信なのに」みたいにバカにするから困ってしまう。
佐藤 しかし、人間の性格とは関係ないですよね。
竹内 いや、自分が不得手とする病気にいかに罹らないかということで行動面に関わりがあっても不思議ではないです。ちなみにBが入ると貧血になりにくいことははっきり研究結果が出ているし、損害保険会社なんか、血液型別の事故データを参考にしています。ただ、それはあくまで傾向があるというだけであって、ある型の人は絶対こうだという意味ではないことを知ってほしいです。それからよく言われる、性格を四タイプに分けようとしている、というわけでもないです。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB21094477
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表題の答えや結論は導かれなかったものの、キリスト教の発展や現代の宗教の役割について勉強になった。私は竹内くみこサイドだが、「宗教を無くすとしたら、代替案はなにになるのか」という点は宗教を批判する際には考える必要のある点だと改めて思った。
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聖書は学生時代に、ざっと読んだし、授業もあったので、なんとなく知っている。(パウロが誰で、どんな経緯からキリスト教徒になったか)
しかし、反宗教的な立場の本は読んだことがない。ドーキンスの本(「神は妄想である」など)を予め読んでおいた方が、議論のベースが理解できて楽しめたのではないかと思う。
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登場する科学者が排他的な印象でした。
科学こそすべて、て感じのいい方が気に障る。
こんな科学者になりたくないと思いました。
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面白い。
本書は佐藤優氏に科学者である竹内氏が神について対談する形式を取っているが、神学の入門編なのかも知れない。
ポイントは3点。
1-神は実体としているかどうかは神学上は問題でない
2-ドーキンスの議論は既に20世紀に神学的に議論が終わっている
3-佐藤氏も結局は幼少期の刷り込みによるもの
本書のブクログの評価が低いので驚いて読んでみたが、好評の論評もある中でそもそも評点をしていない方が多かったと言うことと、ドーキンス未読や動物行動学が興味のない方が評点が低かったのかな、と評論の評論をしました。議論のベースが違うという意見はごもっともで、本書でそこまで到達出来なかったらのは確かにマイナスですが、神学と動物行動学に興味がある方ならば面白く感じれるのではないかと思います。まぁエッセイ感覚でサクッと読んでくださいという姿勢は装丁にも表れており、内容に合致していて非常に好感が持てました。挿絵も可愛いです。
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動物行動学の竹内さんと元外務省主任分析官の佐藤さんとの対談。
キリスト教の歴史等、いろいろ興味深い話が満載。
アメリカの先住民族がほとんどO型である理由、アジアにB型が多い理由が病原菌による耐性だったとは!
キリスト教を世界教団にまで押し上げたのはパウロで、イエスはユダヤ教の改革者だった。隣人愛は案外狭い範囲のことをさしているらしい。