紙の本
西村賢太は良くも悪くも変わらない
2016/06/20 21:36
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:まなしお - この投稿者のレビュー一覧を見る
解説によると「秋恵もの」はこれで完結らしい。すこし寂しい気もするが、これ以上のものも出てこないだろう。西村賢太は良くも悪くも変わらない。今後この人の作品がどんな展開になるかわからないが、とりあえず読み続けるような気がする。特に大きな期待はしていないが、新しい作品が出ると読まずにはいられないちょっとした麻薬のような魅力があるのかもしれない。
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【人間存在の情けなさと愛おしさに迫る連作私小説集】カツカレーから諍いとなり、同棲相手の秋恵を負傷させた貫多。関係修復を図り、姑息な小細工を弄するが。〈秋恵もの〉完結篇!
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それならおまえの股ぐらにもラップをまけ。
その悪罵ににやつかせてもらった秋恵もの、終わりとは寂しい。
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あー、細い糸一本でようやく繋ぎ止めてたものが、ついに切れて終わってしまった。読んでて辛かった。大事なものを自分のせいで失ってしまう、そういう臨場感があった。
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私のブログ
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1998053.html
から転載しています。
西村賢太作品の時系列はこちらをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1998219.html
「棺に跨がる」
例のカツカレー事件後のお話。同居女性秋恵の「豚みたいな食べっぷりね」にキレて足蹴にし、肋骨を折るというDVをしでかした後、藤澤清造の縁者と宴会をするために能登に来た貫多。反省というよりは病院や警察に駆け込まれたらという懸念が先に立ち、ひたすら秋恵の連絡を待つ貫多。結局、修復することなく本編を終えるのだった。時々、西村賢太作品をどう読んで良いのか分からなくなる。つまり、文学として読めばいいのか、反面教師として学ぶ姿勢で読めばいいのか、果ては娯楽小説として楽しめばいいのか。その曖昧さが西村賢太作品なのかも知れない。
「脳中の冥路」
前編の続き。秋恵の機嫌を取るべく東京ドームに野球観戦へ誘う貫多。場を取り持つべく発する台詞も冷や冷やもの。
「東京に出てきてる九州の田舎者どもがこぞって押しかけてやがるのかな」
「そんなに郷土愛に燃えてんならよ、彼奴らはてめえのくにで働いて暮らしてりゃいいのにね。東京が狭くなって仕方ねえや」
「全く、ぼくのような生粋の江戸っ子にとっては実に傍迷惑な話だよ」
「お前も東北の田舎っぺだったね。東北人が東京ででかい顔してるのも目障りに違げえねえが」
結局タクシーで帰るか否かで揉めて終わるのだった。貫多はエゴイストというよりは完全な人格障害だな。
「豚の鮮血」
更に続編。秋恵の機嫌を取り戻そうと貫多が取った方法は、カレーライス作り。が、「すっぱい」「ブタくさい」「あー、お水が美味しい」などと散々な言われよう。最後は逆ギレする貫多なのであった。
「破鏡前夜」
なるほど、この1冊は秋恵との別れのシリーズなのか。全て繋がっており、短編集というよりは長編小説として楽しめるのだ。結末を書くと、貫多が藤澤清造の月命日のため七尾に赴いた一泊二日の間に、秋恵に逃げられていた。ま、極悪非道な貫多のもとでよく持ったほうか。