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徳間書店、ビルの二階、「場」というものに迷いこんだ「おたく」第一世代と第二世代たちの話。日本のアニメーションがジブリと角川に分かれなていく時に居た人たち。1989年という大きな一年、昭和の終わる前後に確かになにかは終わり、「そこ」に居た子供は大人になってしまっていて、新しいなにかが始まる時に居た人々になった。日本のサブカルチャーやメディアミックスが海外では研究対象になり学部すらある今、資料としても読まれていくのだと思う。
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「おたく」は1983年に中森明夫によって名付けられたのをきっかけに一般に認知されていく訳だがその中森明夫が発見した、名付けられる前の「原おたく」とも言うべき「おたく」の始まりを、徳間書店第二編集部のアニメ専門誌「アニメージュ」の制作を中心にそこに集まってきて、去っていった人々を当時の誌面と関係者の証言を元に「そこ」にたまたま同席していた著者の視点から見た「私史」としての時代史。
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今や世界の公海となった「OTAKU」という大洋に流れ込んでいる「おたく」という大河の源流をさかのぼる旅。その水源地は東京新橋の雑居ビル「大徳第一ビル」の二階、徳間書店の第二編集局なのでありました。そこでは『テレビランド』『アニメージュ』、その増刊号、別冊枠で『リュウ』『ロマンアルバム』という雑誌が作られていました。コンプライアンスなどという考え方がなかった70年代から80年代、たまたまそこにいた雑多な人々の雑多な想いが「アニメを楽しむ文化」という伏流水を地表に噴出させていく様子を、その現場にいた大塚英志が、まるでオーラルヒストリーのように、だけど独り語りで思い出し思い出し記述していく備忘録です。そこには「メディアの怪人」徳間康快がいて、彼が買った「アサヒ芸能」出身の尾形英夫がいて、全共闘の心情的シンパの鈴木敏夫がいて、歴史書編集者から手塚治虫の「虫プロ」に入った校條学がいて、そしてそこに引きつけられるように自分たち固有の文化として「アニメ」に魅了された世代が「二階の住人」として集まってくる日々の記憶の断片が面白い!指摘として最初の「おたく」の特徴を「リスト」と「上映会」としていることも面白い!富野・安彦〈ガンダム〉と宮崎・高畑〈のちのジブリ〉の間での鈴木敏夫の転向・再転向が面白い!著者とほぼ同じタイムラインでアニメを見て、アニメから離れた自分としては、この「サブカルチャー私史」は非常に刺激的です。それにしてもこの思い出を連載させたジブリの「熱風」という小冊子は、氏家斉一郎の「昭和という時代を生きて」の時でも思いましたが、時代の記録を残す貴重な存在ですね。
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『宇宙戦艦ヤマト』について調べるとき、つきまとうのはその時代だ。ヤマトという作品は、強くその時代に結びついている気がする。
もちろん、この本はヤマトに言及した本ではない。
しかし、ヤマトと遠い本でもない。
あの時代の、徳間書店の二階の住人たちの物語だ。
前半はかなりドンピシャでヤマトの時代が語られる。上映会にリスト、当時のアニメファンはどうであったのか?意外にも古典的作品をも網羅しており、その点には大きく驚く。
後半は『アニメージュ』へと切り込んでいく。
ここでもチラチラとヤマトは姿を現す。『ロマンアルバム』のまさかの裏側なども語られるのだが……
個人的には西崎プロデューサーの側面を記してくれたことに感謝したい。筆者が一度だけ会ったときの印象が書かれている。
ちなみに『アニメージュ』に対する考察と、当時を語る鈴木敏夫のインタビューはかなり面白い。いまこのようなことをできる編集長も、できるような現場もないような気がする。