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江戸と現代との裸観の違いを考察。
比較文化論として秀逸に感じる。
例えば、新渡戸稲造が「武士道」で、武士の切腹を単なる「自殺」と異なることを説明する際にソクラテスの服毒を引き合いに出したように、江戸の町民の裸体感を人の「顔」と同様の感覚と考察した本書の鋭さに膝を打つものなり。
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江戸の末には裸族だった日本人が、強情なとりしまりを行い明治15年には町でははだかにならず、戦中にははだかを恐れるようになり、戦後粋すぎのぶり返しが始まるがいまだに。という話
一度壊してしまったエデンにはもどれないよね。
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幕末期から戦後あたりまでの様々な絵や資料を読み解きながら、裸体の感覚がどのように変化してきたのか、をたどっている。これまでは、日本において裸体の規制が強まったのは明治政府の政策だと勝手に思っていたが、資料を読み解きながら、当時の異なる人々の感覚を肌でかんじることができたような気がする。文明論として興味深いだけでなく、歴史を紐解く面白さが詰まっており、歴史書としても一読の価値あり。
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江戸時代には混浴は一般的であったという説明を聞いたことがあったが、本書においては先入観を排して幕末に来日した外国人の記録をもとに幕末~昭和にかけての裸体観を解き明かそうとしている。
江戸時代の末までは高温多湿な気候も手伝って、裸体が「日常」として存在していたというのが著者の見立てで、史料を読み込んでいく過程は非常に面白かった。
その一方で考察の引用元は玉石混交で、養老孟司の脳化社会を引用するなど、史学的手法以外の部分では粗が目立つので星3とした。
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今年読んだ本の中で一・二を争う面白さだった。同時にこれ程「書かれている内容ほぼ全てを知らない」というのは初めてで、全ての頁をめくるたびに驚かされた。しかも面白おかしく比較・侮蔑するのではなくこれらの変化が日本人の精神をどのように良きに悪しきに変えてきたのを誠実に検討する驚くべき一冊。
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人前で裸になるのが恥ずかしいというのは人の根源的な感覚だくらいに思っていたが、自分が今いる場所でも、たったの100年前まで反対のことが常識だったというから驚いた。
時代が変われば考え方も変わる、根源的だと思っていた感覚すら180度変わるものだということが、当時の外国人から見た細かい描写によって実感できる。
当時の日本が文化的に遅れていたからではなく、当時の外国人の言うように恥を知らない国民性だったわけでもなく、単に日常から性を切り離す手段が違うっただけだった。日本は近代化に向けて諸外国と異なる文化をどんどん変えていき、その中で性を日常から切り離す手段も西洋化したのだった。
自分と意見が合わない人や行動が違う人を見下したり敵対したりする前に、その違いはどこからくるのか見極めることが他者を理解するために必要な感覚であり、いま常識とされていることも来年には変わっているかもしれない不安定な価値観であることを肝に銘じることが大切だと知ることができる重要な本。