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十歳…男子にはあまりないネチネチとした駆け引きが煩わしい。足蹴りがスカッとした。
二十歳…特にこの年頃の女は想像以上の複雑さの中にいるように見える。貞操は女を守るためなのか自由を束縛するものなのか。自由な女を愛してしまった男の絶望からして貞操は男を守る意味もあるのだろう。
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出だしの一行目から「こういうのニガテだ」で始まった。
女同士のドロドロで気持ちよくない(特に小学生時代は)のだが、どんどん読み進めちゃいたくなるのはさすが朝比奈さん なのだ。
女同士の友達付き合いというのは、20歳以降にクライマックスがやってくるので、是非続編も書いてほしいね。
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仲良くしたこともしなかったこともあるけど、ひとりでもびしっとしていられるように、と思っていた。今、約束が欲しい。かなわなくてもいいから。
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わたしたちは皆、十一歳だった――
「少女」からの脱皮は、彼女たちから何を奪い、与えるのか。
十一歳の少女たちの〝性と生〟の彷徨が、 切なく紡がれる著者渾身の物語。
美しい野々花、聡明な阿佐、感性豊かな咲の三人は、 異性経験、友人関係、美醜の自信も三者三様に、十一歳から二十歳へと成長をとげた。
阿佐は大学のテニスサークルに励み、咲は短大を卒業後、アパレルショップの店員に、野々花はNOKAとして芸能活動をはじめた。
しかし、NOKAは放埓な男関係がメディアで騒がれていて……
子どもから大人になる瞬間の、火花のようなきらめきと揺らぎ。
こころの底の「少女」を呼び覚ます、傑作長篇。
(アマゾンより引用)
子供の頃の話のほうが面白かったなぁ
っていうか、小学生の頃自分はこんなに計算高かっただろうかと思いながら…
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女子達から孤立しない事に注力する武藤阿佐、美人だが空気を読めず衝動的に行動する春山野々花、天然ぽくて自分の世界に入りがちな小木曽咲の十歳と二十歳、二部構成で描かれる。
十歳編では女子に弾かれない様に振る舞う阿佐のあざとさに辟易したが、一人になれない者の防御本能と思えば納得。
3人の性格や波長が違うのに20歳まで友人関係が続くという展開は自分にはないものだけに新鮮。気まずい状態のまま一緒に旅行に行き、はじめギクシャクしていた3人の雰囲気が林間学校で見かけた探鳥道の話題から一気に緩んで共感し合う結末が良かった。
表題は"少女から大人へ"的な意味と解釈した。
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「十歳」の時の方がこんな事あったなぁと思う事が多かった。武藤阿佐は十歳の時も二十歳の時も苦手。一人になりたくない思いが強すぎるんだろうな。だから一人でも大丈夫そうな「友達にならないほうがいいよ」と言われても信じずにむしろ相手が気になっちゃって友達になろうとする小学生の頃の春山野々花は好き。最後は少し大人になった三人が見られてよかった。あとは二十歳になった唯や塔子も見てみたかったな。
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奔放な野乃花、プライドの高い阿佐、変わり者の咲。十歳のときのそんな彼女たちは、二十歳に長じたとき、何が変わったのか、変わらなかったのか…。
少女たちのひびの入りやすい脆さは、二十歳になって消えてしまうかというとそういうわけではなくて、それを抱え込てひとに簡単に見せない術を身につけるだけ。魂はずっと持ち続けているから、少女のころに共鳴を覚えた相手とは、長く、付き合っていけるのかもしれない。一見道をばらばらに違えたように見える彼女たちでさえ…。
女性のヒエラルキーだとかプライドを描いた小説は、巧いものほどキリキリとしんどい部分も少なからずあるのですが、それでも読んでしまう、というのは、だれでも「それ」に苦しんでいるんだということを知っておきたい、ほっとしておきたいからなのかなあ、と最近思ったりします。
だれでもそうなのだから、受け入れたり闘ったりしていかなくてはいけないという心意気をためていくために。
そう思ったりしたのでした。
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2015年に「アンデル 小さな文芸誌」に連載されたものに加筆修正し単行本化
前半は10才、後半は20才の3人の少女たちの心の動きを微細に描いた作品。
小5の阿佐はまわりを気にし、まわりから仲間はずれにされないように気を遣うが、自分の気持ちに忠実でまわりを気にしない美少女の野々花や、「オノ病」と自称するオノマトペのような言葉の意味を考えだすとそれに没入してしまう咲が、自分とずいぶん違うことに気づき近づく。
大学3年生でテニスサークルの副部長になっている阿佐は自分がどう見られているかを気にしていることにうんざりしている。野々花はモデルNOKAとして雑誌のグラビアを飾る活躍をし、相変わらず自分がどう思われているかを気にしていないが、咲のことを心配している。咲は短大を出てアパレル業界に入り、店で客と接するようになって自分が変わってきたことを自覚していた。3人は時々会って話し、お互いの変化した部分、変わらない部分を認め合う。
こんなに女の子って繊細なんだなあ。。。
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10歳と20歳の女友達関係の話。
名前が似たり寄ったりで、登場人物を把握するのにしばし時間がかかった。
10歳はちょうど難しい年頃で、それをよくとらえていて、昔も今も変わらないなぁ、今の方が複雑なのかなぁと思いながら、また、そういえば、そんなこともあったなぁと思いだしながら読めた。
クラス内での女子のヒエラルキー、嫉妬、ねたみ、友達づくり、輪、そして男子が絡んできたり、先生が絡んできたり、
四年生とは違い、もう自我が確立する頃の微妙な感じが伝わってきた。
それから時間がたち、20歳になり、小学校の頃、それほど親しくなかったのに、阿佐、野々花、咲の3人は集まるようになる。20歳でも、自分のことが分からない、自分がどうしたいのか感情が揺れている、そこにそれぞれ立場や環境が違う三人が、相手のことを想像しつつ、関係性を保っている。10歳の頃のように、友達とは、いつもクラスで一緒、帰りも一緒、何もかも共有するなんてことはしない。
違った立場での友達関係を続ける難しさ、危うさ。
3人の旅行で、何となくだけど相手を思う気持ちを見つけることができ、最後はよかったと思う。
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17/06/05 (42)
スクールカーストていうのだろうか。ちりちりするね。ひりひりか。なんかどの子もいやなんだよなあ。野々花もやな成長の仕方をしてしまうし。
・「うん。きっとわたし、変人なんだと思うよ。よく言われるし。でも、ガスバーナーの火って、すうすうでもないし、ちりちりでもないし、これ、どう表したらいいんだろって、思わない? だってさ、見たことないくらい綺麗でさ、透明なのに、青いんだもん。全然熱くなさそうなのに、絶対熱いって分かってるし、小さい星みたいでさ、色とか、新発見だなあって思って」(P39)
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10歳かぁ、その歳の女子ならクラスで人気のあるグループにくっついて自分がはじかれたりしないようにするという智恵は働くよね〜。自分がどうしたいか、というよりは他人からどう評価されたいかということに重点が置かれている時期というか……。
ということは、他人からの印象ばかりを気にする人は大人でない、考えが幼稚ということだろうか。
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女の子の人間関係のリアルがこれでもかって詰まってた。
阿佐、野々花、咲。3人ともベクトルは違うけど、生きづらさを感じてる。
それぞれがお互いを羨ましいと思ったり、なんか違うなーと思ったりしつつも小学校時代、そして20歳になっても、なんだかんだで付き合いが続いてる。
女の子って不思議な生き物で、友だち関係の中でも優劣があったりマウンティングしたりもする。どんなに仲がよくてもまぁ色々あって、めんどくさいなーと思いながらも、阿佐みたいにそれとうまくつきあったり、野々花みたいに全く無視して自由に生きたり、そのなかにもなかなかは入れない咲みたいな子もいたり。。
ほんと大変な生き物だなーと思うわ。
朝比奈さんの描写は本当にうまくてあるなーと共感ばかりしてた。
結末に至るまで、まぁいろんないざこざがあったけど、最後はなんだか爽やかで。
そういうのも女子ならではだなーと。
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10歳と20歳。
10歳ごろの女の子の友達関係・・・難しいよね。
自分はもうおばちゃんなので直接関係ないけれど、
これから自分の子供が突入していくわけで、ちょっと考えると怖い。
オノマトペの考察が面白かったな。めらめらとか。
20歳の話は、だからどうした・・・って感じがしてしまった。
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女子。恋。小学生。大学生。仕事。モデル。
十歳と二十歳の彼女たち。女子特有の世界。それぞれにコンプレックスを抱えてたり、抱えてなかったりだけど、十歳の彼女たちはみんな気高いな。三十歳、四十歳の彼女たちはまたどんな風なんだろう。
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一人を恐れ陰口にも励む十歳の阿佐に共感出来ず、変わり者の二人の方が馴染んだ。後半はアパレルショップで働く咲と芸能活動を始めた野々花の個性が硬質な十歳時より浸透し柔らかく、不思議に友達になっている二十歳の三人が、大学でサークルに励む阿佐はやっぱりたまに苦手だけれど、パステルカラーのように心地好かった。