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情緒ある文体と描写に少しずつ引き込まれ、いつのまにか幻想の世界に浸っている不思議な感覚の中編が二編。
「リングストーンズ」人里離れた田舎で夏の間だけの家庭教師に雇われた女学生の奇妙な体験。こっちの方が好きかな。
「人形つくり」寄宿舎の女学生が隣の屋敷の魅力的な男性に惹かれ、やがて異常な体験をする物語。
二編とも、好ましい出会いや人間関係の変化を読んでいたはずが、いつのまにか異常なものが侵食してきて、支配され何かに囚われていくという構図が巧みでどきどきさせる。
ぐいぐい引き込むようなストーリーではないので、雰囲気に浸って読むのにコンディション整えてじっくり読みたい作品。もう一度読んだら印象が変わりそうでしばらくしたら再読したい作品でもありますね。
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まず文章がいい。翻訳でこれだけの味が出せるのだから、もとの英文もきっと雅趣あふれる文章に違いない。1951年刊「リングストーンズ」、53年刊の「人形つくり」の中篇二作が収められている。どちらも、幻想文学の本道を行く格調高い作風で、この種のものを読む喜びをあたえてくれる。ただし、本を読む場所や時間に注意が必要だ。通勤電車での読書には向かない。炉端に火が燃える部屋まで用意せよとは言わないが、静かな夜半、お気に入りの椅子に腰かけ、シェードのかかったスタンドに灯りをともして読むくらいのことは心がけたい。何を御大層に、たかが本を読むくらいのことでと思われるかもしれない。しかし、この書物のかける魔法は繊細極まりないものなので、それくらいの配慮をしなければ、かかるはずの魔法にかからずに読み終えてしまうことになりかねない。
「リングストーンズ」は、いわゆる枠物語の形式を採用している。つまり、話者がはじめと終わりの語りを受けもち、中心部は別の作者あるいは話者が担当するという、古くからある物語形式である。その目的とするところは、合理的な精神を持つ通常の生活人を、信じられないほど不思議な物語世界に導き、ことが終わった後無事平穏な日常に帰還させるためである。逆に言えば、一昔前は、異様な物語の世界に身を浸すことは二度と帰ってこられなくなるほどの精神的ショックを読者に与えるものと考えられていたのかもしれない。
「わたし」は、友人のピアズと夏季休暇を過ごすため、ノーサンバーランド地方を訪れていた。イングランド最北端のこの辺りは、スコットランドとの境界に位置し、いまだに荒野の残る荒涼とした地帯である。楽しい食事も終わり部屋でビールを飲んでいると、ピアズがダフニという女性の話をはじめる。しっかりした女性で体育教師になるために大学で学んでいるが、夏休みに外国人の子どもに英語を教えるためこの地方に来訪中。ところが、ダフニから送られてきたノートには信じられない話が書かれていた。ピアズはノートを「わたし」に託す。読んでみろ、というのだ。
この夏ダフニが暮らしているのは、リングストーンズという電気も通わない谷間の僻地に建つ、塔屋のある石造りの館。そこには考古学を専門とするラブリン博士の他、アルメニアからきた三人の子どもと家政婦夫婦が住んでいた。子どもというのは二人の背の低い双子らしき女の子とすらっとした体躯のヌアマンという男の子だった。ダフニはすぐに仲良くなり、イギリスにも似合わぬ晴天続きの毎日を野外を駆け回って過ごすのだったが、次第にヌアマンによる支配を感じるようになる。
泥濘と羊歯とヒースに覆われた岩石だらけの崖に囲まれ、環状列石や戦車競技のコース跡といった古代の名残りを感じさせるリングストーンという土地が醸し出す独特の神寂びた雰囲気。雨の多い土地にもかかわらず毎日続く青空、とヌアマンが命じるレスリングや競走には何か隠された意味があるのか。そんなある日、ダフニはヌアマンが何かを作っている厩跡に足を踏み入れる。ダフニがそこで見たものとは。
ダフニの身に起きたことを調べるためピアズと「わたし」は、リングストーンズを訪ねるのだが、なんとそこは…、という怪異譚。ダフニがノートに残した物語と二人の捜索隊が迷った道筋が二重写しになり、ギリシア神話とイギリスに伝わる妖精の物語が重なり、荒れ果てたイングランド北部地帯と遠く離れた東方的異教的な香りが混然一体となった独特の世界が描かれる。ダフニの物語には合理的な説明があたえられ、物語が平穏の裡に閉じられようとするとき、世界にわずかに綻びが生じる。支配する者と支配される者との間に生まれる官能的な紐帯の強さを時計のバンドでほのめかす幕切れが鮮やか。
「人形つくり」は、文字通り人形制作にまつわる怪異譚。オックスフォード進学のためクリスマス休暇の間も学校に残ったクレアは、指導者であった若い女教師アン・オッタレルの突然の死で、すっかりやる気をなくしていた。ある夜、学校を抜け出したクレアは隣の森の中をちらちらする灯りに気を取られ、上っていた塀の上から落ちてしまう。灯りの主は隣家パストン・ホールの息子ニールだった。アンに代わり、その母親ミセス・スターンにラテン語を教えてもらうようになったクレアはいそいそとパストン・ホールに通うようになる。
ある晩、クレアはニールが作った人形たちによって演じられる芝居を見せてもらう。窓のすぐ外にある斜面に作られたミニチュアの森を舞台に髪型から服装まで精密に作られた人形たちは首を回したり、腕を曲げたりと、まるで人間のように動くのだった。魂の封じ込められた人形が命あるもののように動き出す、というのは今までにも多く語られてきた幻想怪奇小説のお気に入りの主題の一つ。
本作がそれらと異なるところは、人形つくりの視点でなく、人形のモデルとなる女性の視点で語られていること。人形つくりの過程が進んでゆくにつれて、クレアは自分の将来や新しく入ってゆく世界に目を向けることがなくなり、ただ人形の作り手であるニールの傍に留まりたいという思いが強くなってゆく。これも、支配、被支配の関係におけるマゾヒスティックな恋愛感情を描いたものである。
少女から女性に変わりつつある時期の女性に強いオブセッションを抱く男性がいることは少女監禁事件の例を引くまでもない。相手の意志を尊重せず、自分の思い通りに支配することでしか満足できない感情はおよそ恋愛感情とは言えない。ただ、そのような形でしか思いを遂げることができないパーソナリティというものが存在する以上、どこかでそういう欲動を昇華する必要がある。思うにサーバンという作家には、その種の性向が支配的だったのではないか。小説を書くことで社会に認められない行為に走らずにすんだのだろう。
ただし、創作意欲がどんなところから生じているにせよ、出来上がった作品の価値に何の関係もない。キワ物めいた主題を扱いながら、日本の盆栽に想を得た、ミニチュアの森をつくるというアイデアを生かし、他の作家にはない美しい奇想を出現させているところや、危ういイメージを醸し出しながら、読後に希望を感じさせる終わり方を大事にしているところなど、この作家には良質の作品を作り出す資質を感じさせられる。残された作品の少ないことが惜しい。
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おすすめ資料 第352回(2016.10.21)
今年国書刊行会から刊行が始まった新しい海外文学シリーズです。
現在「虚構の男」(L・P・デイヴィス)「人形つくり」(サーバン)の2冊が出ています。
このシリーズ最大の特徴はすべてが本邦初訳であることです。
シリーズ紹介に「知られざる傑作、埋もれた異色作」とあるとおり、刊行予定の全10巻のリストには謎めいたタイトルが並びます。
秋の夜長、幻想の世界に迷い込んでみるのはいかがですか。
【神戸市外国語大学 図書館Facebookページへ】
https://www.facebook.com/lib.kobe.cufs/posts/1086516911398013
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『ドーキー・アーカイヴ』創刊ラインナップの1冊。同時刊行はL・P・デイヴィス『虚構の男』。
『リングストーンズ』『人形つくり』の中編2編を収録。どちらも割とオーソドックスな怪奇小説だが、不思議な魅力があった。
長らく経歴が知られていなかった著者のようで、巻末解説に記された経歴もまるで小説のようだ。邦訳としては1968年に早川書房から1冊刊行されているのみ。この機会に復刊とかどうでしょうw
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読んだ後はうむ、なかなか変態的であったな、と納得するものの、最中はただとりとめなくなぞっているだけであり、よくわからない流れに身を任せてるだけであった。と書いて、非常に「夜の営みの感想」っぽいな、と。幻想的、独自のエロテシズム、けしてそれだけではない本なんではあるが、読後に残るのはまぎれもなく確かにそれなのですてい。
一族の間の古い迷信らしいが、クリスマスが終わったら木を燃やして、その際に飾った人形を生け贄にするらしいのね。文化を知りもせず、イベントとしてしか行事を見てないのは恐ろしいことにございます。