紙の本
毎年考えること
2017/12/20 12:12
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投稿者:怪人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
今年も12月8日がきた。米国ハワイの「リメンバー・パール・ハーバー」の式典ニュースなどが報道される。あの戦争が終わったので今の日本があるのだろうが、あの戦争は何故行われたのか、よくわからない。では、戦争なかりせば、今の日本はどうなっていただろうか。
真珠湾奇襲攻撃はなぜ行ったのか、というアメリカ留学中に同級生からの問いに答えようという動機がこの本を書かせたそうだ。
類書も数多く出版されているようだが、これまでの図書のなかでは分かりやすい。文章量が多いので、登場人物の人間性もよく描かれていると思う。
戦争開始に踏み切らせた日本的欠陥、政治文化・制度が今も変わっていないようにみえる。
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満州事変から太平洋戦争までの経緯に関する書籍を読んで、軍部を含め誰もが勝てない戦争を何故を行ったのか、理解できなかった。この本を読んで、快刀乱麻を断つような答えが得られたわけではないが、組織における意思決定の問題であったような印象をもった。原著は外国人向けに書かれたためか、「満州事変と政策の形成過程(緒方貞子著)」に比べると冗長に感じる部分や軍関係者のヒアリング「昭和陸軍秘録(西浦進)」「昭和陸軍謀略秘史(岩畔豪雄)」との比較で違和感がある部分もあるが、筆者は多くの一次資料から、政府、軍関係者の立場、性格に焦点をあて、大きな方針転換(避戦)が困難になり、日米開戦に突入していく経緯を流暢に描いている。
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1941年に何故日本が無謀な対米戦に突入してしまったのかを詳細に記した本。過去何冊か同様の本を読んだが、ここまで多岐に渡り(天皇・政府首脳・陸海軍高級将校・文化人・庶民まで)憶測ではない資料に基づいて書かれた本は無かった。時が経つにつれ徐々に戦争の機運が高まる様子が緊張感を与える。
認識を改めたのは、対米開戦前1940年にして既に国内経済が相当行き詰っていたことだ。何となく日中戦争時はまだ余裕が有ったと感じていたが、もう完全に物不足。町では華美(小綺麗な洋装や金縁眼鏡)な男女を婦人会が糾弾するようになる。数ヶ月で片付くはずの日中戦争が4年経っても終結が全く見えず、政府も軍もこれを早く片付けるのに努力していた。しかし、その焦りが逆に対米戦で打開するという真逆の発想に(庶民までが)陥ってしまった感がある。
どこが研究しても当然ながら対米戦は必敗であり、軍首脳の中にもその認識が有る程度広まっていたにも拘らず、徐々に開戦派が主流となる。永野軍令部総長は昭和天皇に最早石油が無く打って出るの他なしと言い放った際、天皇から日露戦のような大勝が可能かと問われ、「大勝は勿論、勝ち得るか否かも覚束なし」と答え、天皇を呆れさせている。まぁ軍人は弱気では社内の立場が無いだろうからそんなものかも知れないが。
そして当時の近衛首相や松岡外相の迷走ぶりが際立つ。
松岡は南方作戦で英を倒してしまえば、逆に米は日本と戦うことは出来ないとの見通しを述べる。全てを自分達の都合の良い楽観的な見込を行う様は、現在の事が書かれている様でもある。
そんな風に流されて始まった真珠湾攻撃の報を聞き、蒋介石は歓喜のダンスを踊り、チャーチルはこれで熟睡できると言ったという。ルーズベルトも含め彼らには事の帰趨は読めていた。日本の指導部には見えなかったのだが・・・
それにしても永井荷風はかなり冷静に世の中を見ていた。当時の日記にも対支戦の戦線拡大を批判し、ドイツの進撃に乗じた南方作戦を批判し、状況判断も的確で勝つ見込がない戦争が拡大するのを悲しんでいる。報道をいくら改変しても、常識人には先が読めたのである。
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開戦を決定付けた1941年に、日本政府(首相、陸海大臣、天皇、外相、参謀長など)とアメリカ側で何が起こったかについて詳細に記述されている。これまで言われているように、日本の首脳たちの事なかれ主義、無責任体質、神頼み、精神主義、情報隠し、足の引張り合い、自己保身、他責体質などがはっきりと理解できる。さらに、終戦直後の東久邇宮首相の「一億総懺悔」発言により、なぜか戦争責任は国民全体のものとなってしまう。これにより、当時の責任者たちのほとんどが責を逃れているが、フランス革命なら全員斬首だろう。牧歌的国民だった日本人がなぜ無謀な戦争を始めてしまったのかについて、かなり理解ができたように思う。
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日本史が頭に入っていたらもっと早く読めて得るところも多いんだろうけど,頭に入っていない私でもすごく興味深く読めた。私が知らないだけかと思いつつ,こういう分析ってすごく大事なんちゃうかなぁ。
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やはりルーズベルト大統領は日本側からの最初の一弾を撃たせたかったのだ。ハルノートは、日本からすればアメリカ政府が日本に無条件降伏を要求しているように読めた。だから外交交渉を打ち切って開戦に踏み切ったのであるが、戦前の日米の経済力に比較から、この戦争が無謀であり、アメリカに勝つ可能性はないと分析していたのである。戦争を回避する道を選ぶことは、屈辱的で不可能に見えたとしても、国家の存続を考え、政策と世論に訴えて、ときの指導者はおのれの命を賭してでも避戦にもっていくべきであった。
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勝ち目がないとわかっていた戦争をなぜ開戦するようになったのか。
ABCD包囲網、周りから不当に扱われる日本など、自作自演とも思われる日本独自の世界観。
それは故ないことではないとはいえ、日本の首脳部が「日本は強い国、皇国、アジアの指導者」などの言説に捉えられ、自縄自縛担っていく様が多くの文献や取材をもとに明らかにされる。
誰も開戦を望んでいなかったのに、だんだんそうなってしまった。
過去を盲目的に批判するのではなく、何が起きたののかしかりと見据えて、書かれた本。
読んで楽しくははないが、実に面白かった。
今の日本にも当てはまる事例多数。
多くの人に読んでもらいたい良書。
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開戦直前の一年に絞って日米の関係者の多様な立場から事細かに時系列を追う展開がありそうでなかった。タイミングを逃し、決断しない事だけを選び続けた挙句にタイムリミットだけを自ら設定するという愚かさに震えが来る。読み応えありました。
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日本的な決断というか決断の欠如というかが見事に浮き彫りになっている。この辺りは本質的に全く変わっていないんだな。
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1941年の日本政治の意思決定の過程を丁寧に追って、開戦に至るまでの状況を描いている。あとがきによれば、本書は「日本の立場から開戦に至る過程を説明した」とのことであるが、その観点から評価するとすれば完全に失敗している。ところどころ、日本の政治家への評価がされているが、これはすべてアメリカからの視点に貫かれていて、これに関わった者はすべて愚かで決断力がなく、なし崩し的に開戦にもつれ込んだということになっている。これは終戦後のアメリカの評価と全く変わらない。圧倒的に不利であることを自覚しながら、なぜゆえに開戦の意思決定に至ったか、ということは全く描かされていない。残念である。