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何ヶ月か前に買っていた漫画をやっと読んだ。圧倒された。韓国ってすごい。今の韓国でのデモがなんであんなに盛り上がるのかを、やっと理解できた。
特に印象に残っている箇所が二つ。
「だけどな…オレは、そういう批判は、行動してる奴から聞きたい。誰かを助けようと海に飛び込んだ人を、岸辺で評論するような話は聞きたくない。オレは…海に飛び込んだお前の話が聞きたかった…」
「水は100℃になれば沸騰する。あとどのくらい火にかければ沸騰するのか、温度計で測れば分かることだ。しかし世の中の温度は計ることが出来ない。今が何度なのか、あとどれだけ火をくべる必要があるのか。そのうちに”もともと沸騰しないものなのかもしれない”と考え始める。だけどな…世の中も100℃になれば必ず沸騰する。そのことは歴史が証明している。」「それでもいつ沸騰するのか分からない不安は残るでしょう?先生はどうやって何十年も辛抱できたのですか?」「オレだって分からなくなる時があるよ。だけどそのたびにこう思うのさ。今が99℃だ。そう信じなきゃ。99℃であきらめてしまったら、もったいないじゃないか。」
日本はいま何度なんだろう…。
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80年代韓国の民主化運動を描いた漫画。
それはそう遠くない昔の話であり、私の周囲には民主化運動に参加して服役していた知り合い、先輩たちが数多くいる。この当時に韓国に留学していたというだけで、スパイの容疑を着せられて十数年も投獄された在日の人々がいる。
そうはいっても、80年代はじめに生まれた私にとって、韓国民主化運動は本の中の話、先輩方の昔語りの中にしかない。
同書のような漫画は、われわれのような世代、また民主化を自らの手で勝ち取ったとは言いづらい日本人にとって、「他人事」のような韓国の民主化運動の熱量を生々しく伝えてくれる。
学生たちが、そして普通の人々が自分を犠牲にしながらどのように民主化を勝ち取ったのか。
われわれが当たり前のように享受している民主主義というものが、本来はどんな犠牲と努力の上になりたっているのか。
わが国の現状と合わせて考えてみたいテーマでもある。
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表紙はクライマックスの作品の一場面である。この表紙に至るまでの、80年代の話。垂幕には「호헌철폐 독재타도(憲法変えろ、独裁打倒)」と書かれている。日本の市民パレードの姿と違うのは、その数だ。特に若者の数と、国旗そして催涙弾である。7年前には光州で虐殺が起きているので、民衆の決意には並々ならぬものがあり、それが大きな国旗にも表れているだろう。チェの漫画は、有名写真を換骨奪胎して更に絵画的に仕上げる。映画的な大胆な編集もやってのけ、欄外の解説が無ければスルーしてしまいそうな重要場面が多くある。また、完全脇役として登場していた青年が実は6月革命に火を点けた朴鐘哲だったという仕掛けや、まさかのお母さんが主人公を追い越して最も登場回数の多い「闘うお母さん」に覚醒してゆく構造にも驚いた。この原作で映画化しなかったのが不思議なくらいの出来である。この漫画の8年後に、全く同じ時代を描いた「1987、ある闘いの真実」が上映される。未見だが、文政権を誕生させた韓国で87年が国民的な記憶になろうとしているのだろう。
「ヨンホ、水は100度になれば沸騰する。あとどのくらい火をかければ沸騰するのか、温度計で測れば分かることだ。しかし世の中の温度は測ることができない。今が何度なのか、あとどのくらい火をくべる必要があるのか。そのうち、もともと沸騰しないものなのかもしれない、と考え始める。だけどな‥‥世の中も100度になれば必ず沸騰する。そのことは歴史が証明している」刑務所の中で、無名の知識人は、主人公ヨンホにそう語りかける。87年を現代の目で見れば、日本人の我々にも、とても説得力のある言葉だ。しかし、当時日本人が大学生だったら、この言葉に説得力を感じることが出来ただろうか?刑務所の臭い飯を食うことが出来ただろうか?できないと思う。なぜなら、日本人にはその「歴史」はなく、韓国人には「歴史」は何度となくあったからである。沸点直前の99度まで行ったのは、1919年、1945年、1980年とあったけど、沸点を超えたのは1960年の四月革命だろう。韓国人には、それに1987年が加わった。そして、やがて2016年の朴大統領を退陣させた「キャンドルデモ」もそれに加わるだろう。
「沸点」が刊行された09年、私は3年前の韓国旅行中に親しくなった韓国青年にソウルで再会した。いろんな話をする中で、その前年のBSE狂牛病による牛肉輸入自由化反対デモの話になった。
「あのデモに行ったんですか?」私は聞いた。
「行きました」
「確かにBSEは不安点もあるけど、頑なに拒否する必要があるのだろうか(日本ではいっとき輸入が禁止されただけで、1年後に再開された。デモなどは起きなかった)」
当時私は、独裁政権や独裁企業を米国が温存する歴史的構造や、やがてFTA(韓米貿易自由化)に移る動きなどは全く知らなかった。青年は、そもそも宮崎アニメが好きで日本語が喋りたくて私と仲良くなった普通の非正規労働者だったと思う。断じて「活動家」ではなく、日常的にデモに行くこともないとも言っていた。反米ではあったと思うが、深い考えまでは無かったと思う。それで彼は私の言葉に何と反論していいのか言葉を見つけられ無かったようだ。困った顔をしてこう言った。
「安全な肉が欲しいだけ」
そして仁川に住んでいたのにもかかわらず、ソウルまで来てデモに参加したのである。日本の青年と韓国の青年との間には、私は大きな川があると思う。それは「歴史」という大きな川である。恐ろしい犠牲を伴った「成功体験」が韓国にはある。
漫画の作画技術や作劇構想の高さには驚嘆したが、1番驚くのは、やはりそれを生み出した韓国の若者の土壌であり歴史なのである。
2018年10月9日読了
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80年代韓国の民主化闘争。
韓国の民主化闘争、人民の戦いは、学生だけではないあらゆる世代階層職業のひと、本当に市民全体が大きく関心を持ちなんらかのの形で参加する、その割合の大きさに、日本と比較して、瞠目する。
光州しかり、1987しかり、それは数々の映画にも映されている。
この素晴らしい作品も、市井の人の在り様、揺れ動く気持ち、強度をつけていく意思を表情豊かに、細やかに、大胆に描いている。
主人公は、若者というより、お母さん。最初は学生運動や政治闘争に入るなというて子どもを牽制し、騙されているのでは、というところから、現実をみて、聞いて、知り、感じ、学び、大胆にも闘争支援、我が子の奪還のためあらゆる行動を取るお母さん。
思考停止しない人々。日本と比較してしまうところだ、、、。
生きるということ、ともに生きるということ、膝を折って生きるより立ち上がり死のうという強い反抗、変化変革への意思。表紙のシーンは現実にも感動的であり、全てのページに感動と羨望がある。
火の鳥。
理不尽であり、不条理であり、無念であるが死をもってでも自分を、仲間を、社会を、国を鼓舞する闘う人たち。
このような力強いコミックが描かれ読まれていくことがさらに力となるだろうと思う。
(読後すぐに書いた感想が保存されておらず今、本を手元から離してしまったので記憶ベース)