紙の本
山崎ナオコーラさんに芥川賞をあげたい
2016/11/11 07:44
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第155回芥川賞候補作となった作品で受賞には至らなかったものの作品の評価は高かった。
選考委員の宮本輝氏がこれまでの山崎作品の候補作の中では「最も優れている」と書いて、それは「静謐さの持続力」であると続けている。
作品を読むとこれが山崎ナオコーラの作品であるのかと少し背筋が伸びた。この作家はこんなにうまい人だったのかという感じである。
今回の作品が末期ガンで死の瞬間が近い妻を持った男の話というせいもあるだろう。
常になく声のトーンを落とした作品になっている。
しかし、宮本氏が書いているようにこれまでにもこういった作品はあったように感じる読者も多いだろうし、堀江敏幸委員のように「どこかサンプリングに似た危うさ」を感じない訳でもない。
ただ島田雅彦委員が「ファンタジー仕立てで夫婦愛を謳い上げれば、芥川賞などに頼らなくても、ベストセラーが狙えるはず」は作品の本質を見誤る意見だと思う。
山崎さんが欲しいのはベストセラーではなく芥川賞だと思うが、それゆえにそのための作品作りとなっていたらそれもまた違うだろう。
作品を生み出すにあたって終末ケアの現状や介護休暇の実態を調べたのだろうが、詩的な文体の書き出しや死に向き合っている妻のサンドイッチ屋の描き方などうまいのに、そのあたりが残念ながら説明的になっている。
妻の母と主人公の夫の気持ちの微妙なずれが面白かったが。
ただこういう作品を書いたのだから、山崎ナオコーラさんの芥川賞への道はまだまだ続くのだろう。
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著者ご自信が大切なひとの死に対面したということがいい意味で丸分かりな小説だった。(お父様を最近亡くされたばかりなんですよね。さらには流産もされて)
淡々と進んでいく中で泣けるかすかな言葉たちが散らばっていた。菜の花柄のワンピースが印象的。ぱんばさみという名のサンドイッチ屋、おいしいに決まっている。サンドイッチのファンのお客さんの言葉や、元も子もない非難に感じられる言葉の羅列。それでもいやみなく、これが人が死ぬというリアルなのだろうなと感じさせられる小説でした
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【死へと向かっていく妻に照射される夫のまなざし】40歳代の妻は癌に冒され死へと向かって歩む。生命保険会社勤務の夫は愛する妻へと柔らかい視線を投げかける。人生考察の清々しさ。
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夫婦。家族。病気。仕事。パン。看取り。40代の妻に訪れた死を含む病い。死生観というか、生きるということというか。未来を見ずに希望を探すにはどうしたらいいのか。最期の瞬間のために毎日看病しているわけじゃなくて、毎日毎秒が愛しいものなんだ、というのがじんわりきた。読み終わってタイトルを見ると、なんてぴったりなんだろうと思う。
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図書館より拝借。著者がだれか、大切な人の死に直面したんだろうなぁと思わせる作品。まあ作品にするためにはいろいろ調べもしたんだろうけど。死についてとことん文章で表現するのは本当に難しいことだと思われます。だから小説として書くとか、客観性のあったほうが見つめ直せるのかもしれません。本書に関しては、死にゆく人のスタンスがよかったかな。そして意外にもあっけなくそのときが訪れるのが、うん、死ってそんなもんだったかもな。とも思いました。
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たぶん著者が意図した感想を持ってると思う。最近のナオコーラの小説は小説としても成り立つけど、エッセイを読んで、その小説の背景とかきっかけとかも知っているから、どうしても友達感覚がある。友達感覚があると小説がどうのっていうより友達だから、しょうがなく読んでしまう。
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気分が上がるでもなく、下がるでもなく、フラットな気持ちで淡々と静かに死に向かって病気と向き合う夫婦の感情。ナオコーラさんらしい部分といつもと違うナオコーラさんの両方が感じる文章でした。人は1人では生きていけないけど、死ぬときは1人。他人だった2人が夫婦となって距離が近づくけれど、結局最後はまた離れてしまう。愛する人との距離はいつも付かず離れず、なんでしょうね。良い一冊でした。
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配偶者がガンを患い、看病し看取るまでの心情を
とっても細かく、具体的に描かれていて
なるほど、こういう風に相手に気を使ったり、
周りの人たちにイライラさせられたりするのだなと
我が事のように感じられた。
タイトルにもある距離、
身近な人間がこういう状況になったとき
その距離感ってほんと大事かもしれない。
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本の装丁が好みだった。というきっかけで手に取りました。
たんたんと、静かに進行していく物語が、ゆっくりと自分の中に入ってくるようでした。
ゆっくりした時間の取れるときに、ゆっくり読みたいと思った物語です。
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美しい距離 ―― 40歳代の妻は癌に冒され死へと向かって歩み、やがて逝く。その死期の迫った妻との関係の在り方を「距離」という言葉で表現する本書名は頷けるものだと思う。
本文からの引用2つ
続いていくもの、先にあるもの、未来。妻の母だって、こちらだって、続いていくことを信じようとしている。・・・
未来があまりないことは知っている。未来が消える瞬間が来ることも知っている。だが、未来が消える瞬間を見届けたくて今を過ごしているわけではない。希望を持って、ただ毎日を過ごしたい。
出会ってから急速に近づいて、敬語を使わなくなり、ざっくばらんな言葉で会話し始めたとき、妻との間が縮まったように感じられて嬉しかった。でも、関係が遠くなるのも乙なものだ。
淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、すべての関係が光っている。遠くても、関係さえあればいい。
宇宙は膨張し続けている。エントロピーは常に増大している。だから、人と人との距離はいつも離れ続ける。離れよう、離れようとする動きが、明るい線を描いていく。
(内容紹介)
死へと向かっていく妻に照射される夫のまなざし
40歳代の妻は癌に冒され死へと向かって歩む。生命保険会社勤務の夫は愛する妻へと柔らかい視線を投げかける。人生考察の清々しさ。
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このように夫に見とってもらえたら嬉しいだろうな。
あぁ、あたしの人生良かったと思いながらいけそう。
相手にもそう思ってもらえるような距離感で最期まで接することができればいいな。
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平成28年春の芥川賞候補作。受賞はならなかったが、審査員の評価は高かったようだ。
末期癌を患う妻に寄り添う夫の視点で、最後の数か月が描かれる。入院先の病室を訪れるたび、「来たよ」、「来たか」という会話が繰り返されるのだが、次第にやせ細っていく妻の腕の様子が切ない。
夫婦ともに、希望を捨てずに一日でも長く生きられるようにしたものの、もうだめだという瞬間を迎えての延命治療は拒否したいのだが、それが周囲にうまく伝わらないとか、余命のことなど話題にしたくないのだが、周囲はそれを気にするとか、こういう場面に身を置いて、最後まで自分らしく生きる(愛する人らしく生きさせる)と決意した人と周囲とのギャップも丹念に描かれている。
妻が亡くなり、急に神や仏として扱われるようになったときの夫の違和感も生々しい。妻のなきがらに手を合わせたり、線香を供えたりするというのは、こんな気持ちなのだろうかと思いながら読んだ。
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図書館で借りた本。
妻がガンと診断され、亡くなるまでの半年ぐらいの話。
切ない話なのに、悲壮感はなく、文字通り「美しい距離」だと感じた。くっつきすぎず、離れすぎず。ゆっくり、ゆっくり別れへと近づいて行った感じ。涙はなく、どんよりとした重い感じもない。当然すがすがしさもない。「自然」だった。
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夫婦の距離感…
常になんとなく考えてはいるけど。
付かず離れず、でいいのかな、と思う。
2人でひとつでは決してないから。
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死に方、生き方について考えてしまう。死に方ではなく、生き方が重要なんだね。
淡々とした文章なので、こちらも冷静に物事が進んでいくのを追う事ができた。
良い本です。