紙の本
「戦後デモクラシー」という見方
2016/09/14 17:44
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投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
近代日本の民主化は戦争によって促進されてきた、という見方を著者は提示する。江戸時代の身分制の枠を超えた軍事動員によって遂行された戊辰戦争。その「戊辰戦後デモクラシー」としての明治初期の「自由民権運動」。国民が多大な犠牲を強いられた日露戦争後の「大正デモクラシー」。第二次世界大戦後の「戦後民主主義」。運動というものが否応なく抱えてしまうあれやこれやの問題や、運動が広がっていくときにそれをささえるものは何なのか。この問題を、社会構造の変化を踏まえて説明している。
紙の本
自由民権運動
2022/05/11 18:21
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自由民権運動というとなんとなく「自由」や「民主主義」といった印象を持つが、実態はそうではなかったのではないか、という観点から論を進めている。戊辰戦争後の政治運動、という点はとても興味深いと思った。
紙の本
「運動」とは何かを考えてしまう
2017/11/15 19:06
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投稿者:K2 - この投稿者のレビュー一覧を見る
近世の身分制社会から近代の新しい社会への転換を俯瞰する。「袋」に例えて近世身分制社会を説明するところなどは、なるほどと納得してしまう。新しい社会が固まるまでの混沌が、自由民権運動として現れたという点も説得的。現状への不満が「運動」化していくのだとすれば、現代人は今の社会に満足している、ということになるのかもしれない。
電子書籍
近世社会との断絶
2017/06/19 15:27
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投稿者:コーク - この投稿者のレビュー一覧を見る
自由民権運動の一連の流れは近世社会の解体過程と軸を一にしており、相次ぐ激化事件は新たな社会秩序の元で周縁に追いやられた人々が起こしたというのは面白い。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後デモクラシーという考え方を普及させる本。民権運動の流れやすく深く研究するための入り口となる本。今後どのような社会を目指すのかは読者次第。
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<目次>
はじめに
第1章 戊辰戦後デモクラシー
第2章 建白と結社
第3章 「私立国会」への道
第4章 与えられた舞台
第5章 暴力の行方
終章 自由民権運動の終焉
<内容>
「おわりに」に著者が書くように、大変クールな自由民権運動の本。ただ教科書よりもリアルな話がうまく盛り込まれていて、読んでいて違和感を感じなかった。板垣退助や後藤象二郎の民権運動への目論見(「わりこむ運動」と表記)。博徒や下層民の民権運動への幻想(「終章」の最後に書かれた秋田県のエピソードが哀しい…)。江戸時代からわずか10年程度しかたっていない中、今の我々が考えるような「民主主義」が日本に根付いていたわけがなく、農民層は農民層の士族層は士族層の、淡い憧れから民権運動は動いていた感じがよくわかった。これを授業に組み込むのはなかなか難しいが、少しずつ反映させられたらいいかな?!
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「自由民権運動」は、学校で習うイメージで言えば、西南戦争の後に言論の力で戦い、議会開設という民主主義の果実を得たという、現代的な、崇高なもののように思える。とりわけ、昭和に入って戦争に突き進んだ歴史を闇とすれば光として描かれやすい歴史である。
しかし、実際はどうか。著者は、板垣・星といった運動エリートではなく、地方で展開された集会の議論をベースにこのような民権運動像を描き出す。そもそも著者は、民主化・近代化に果たした自由民権運動の役割をそれほど評価していない。あくまで、政府の必要というかなりドライな見方をする。そして、著者は、運動の中に先進的な思想ではなく、身分制度復活という復古理想的なものを取りだす。自由民権運動に関わった人々はごろつきであり、暴動を一つの手段として、経済的利益を求めたのである。
運動とは理想の元に一枚岩なのではなく、むしろ現世的な利害のもとでより多くの人をどう巻き込んでいくかにかかっていることを示す一冊。
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自由民権運動の研究は1980年代の「民権百年」運動をピークに長らく停滞している(とあえて断言してしまう)が、本書はそうした停滞を打ち破る可能性を感じる労作である。戊辰戦争による近世身分社会の解体に起因する人びとの帰属不安や承認欲求を原動力とする社会変革運動とみなす視点は、明らかに今日の新自由主義下の社会混迷(高度成長期に形成された社会システムの崩壊、貧困・格差の拡大)を投影しているが(氷河期世代の著者の問題意識が垣間見える)、自由民権運動を把握する際にこれまでネックとなった「復古」的要素や「堕落」・「逸脱」と評されがちな事象をも正当に評価する意義を有している。秩父事件を運動の終点とし、大同団結運動以降の動向と切り離している点には異論もありえようが、自由民権運動を狭義の政治運動ではなく、近世近代移行期の社会流動による諸潮流の結節点とみる本書の視点に従えば当然の帰結であろう。
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自由民権運動。なんとも響きのいい言葉。と思いきや、まったくのまやかし。身分制社会に代わる新しい社会制度として民主社会を求めた、まではよかったが、実際には戊辰戦争での功労者の地位を求めた運動だった。挫折して当然。
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自由民権運動について全く詳しくなかったが、戊辰戦争で活躍した、これまで支配層ではなかった人たちが政治や支配層(という言い方が適切かわからないが)に「割りこむ運動」であった、というのは面白かった。
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著者は「おわりに」において書いている。この論文の研究と執筆は、最近の「運動の季節」(反原発デモ、秘密保護法反対運動、安保法制反対運動等々)を横目で見ながら進められたという。そして、現在の運動内部の問題が「自由民権運動の敗走の過程と重なって見えなかった、といったら嘘になる」と、執筆動機と言えないまでも、描写の端々に影響されていることを告白している。
私も、読みながら、様々な所で、「同じ轍を踏んでいる」と思う所や、「ここは、昔の方がすごかった」と思う所があった。
もちろん、著者の言うように、ここから無理やり教訓を引き出したら本末転倒にはなる。「しかし、遠く離れた過去であるがゆえに、私たちは、運動というものが否応なく抱えてしまうあれこれの問題や、運動が広がっていく時にそれをささえるものはなんなのかといったことを、より一般的な形で、より冷静に受け止めることはできるだろう。」(以上215-216p)という意見には大いに同意する。
現代運動に対する著者の評価は、おそらく私とは違う。また、あまりにも自由民権運動のリーダーたちの動機を、その権力志向に焦点を当て過ぎているとも思う(その視点は新鮮ではあったけれども)。数行で終わった植木枝盛や中江兆民の評価がほとんどなかったのも不満であるし、高知立志社の役割も過小評価されている気もする。
そのことに留意した上で、現代の運動に刺激を貰った所の1部をメモする。
○自由民権運動はポスト「身分制社会」を作り出す運動だった。
←その意味では現代は終身会社身分制が終わろうとして、その歪が左右に分かれているのかもしれない。自由民権運動とは違い、左翼はその不満分子を大きく吸収することに失敗している。
○官憲によって「弁士中止」になる演説会はかえって、弁士と観衆の一体感を高め、一種のエンタメになっていた。
←こういう手法は、現代も通用する。例えば、秘密保護法で知らされていない秘密を暴くYouTubeを開設する。観衆は「いつ逮捕されるのか」とドキドキするだろう。
○「愛国交親社に加入すれば二人扶持の棒禄が支給され、さらに腕力あるものは帯刀が許される」「税金が免除される」「国会が開設されると、全社会の財産は平等に配分される」等々の「参加=解放」型幻想で貧民を取り込み、一地域の半分が社員という現象が起きた。これが自由民権運動が一部活動家や都市知識人の運動にとどまらない広がりを見せた。この受け皿となったのは「私立国会論」である。
←著者はここに民主党の失敗を思い出しているのかもしれない。もちろん性格は大きく違う。ただ教訓はある。
○国会論と憲法構想の意義。
←この辺りの自由民権運動と政府の一日ごとのせめぎ合いは、見るものがあると思う。判断の遅れ等々のことがなければ、もっと自由民権運動の憲法構想を固めることが出来たかもしれない。運動のスピードの重要性は、現代も、現代こそ、重要である。
○秋田立志会の激化事件はスパイによって起こされたか、否か。
←真偽は明らかにされていないが、これは共謀罪が通ったいまや、現代こそ、これか���気をつけなければならない。著者は加波山事件を追い詰められた者が起こしたものと決めつけているが、私は短絡的と思う。
自由民権運動は、ポスト身分制社会という背景と共に、新聞という新しいメディア誕生を背景として拡大した。そのことの分析は、ここにはほとんどない。また、運動する側に立つ分析は少ない。例えば板垣や後藤のような俗物に任せるのではなく、植木枝盛がもっと生きて活躍していたら等々の分析はここにはほとんどない。
それらを含めて、「新しい運動の季節」たる現代に、自由民権運動は新しい歴史的教訓の宝庫だと思う。
2017年6月読了
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○目次
はじめに
第1章:戊辰戦後デモクラシー
第2章:建白と結社
第3章:「私立国会」への道
第4章:与えられた舞台
第5章:暴力のゆくえ
終章:自由民権運動の終焉
おわりに
○感想
本書は、地方民会など近代の自治体制度史を専門とする作者が、自由民権運動というパンドラの箱を開け、研究史を整理した上で自由民権運動の特質を探った一冊である。
本書は、筆者が自由民権運動を戦後デモクラシーの一つと位置づけた三谷太一郎氏の研究を受けて、特質の考察がなされている。
戊辰戦争という内乱を経て、脱身分制社会を図る明治新政府の時代において、勝者・敗者の側でそれぞれポスト身分社会の模索が行われた。
興味深いのは、敗者の側の多くは時の権力中枢に迎合的になること、一方勝者の側ではその内部での主導権争いが起こり、その中の一つの流れが自由民権運動に繋がったとされる点である。
また、戊辰戦争の際に一時的にでも武士成を果たした周縁の民(博徒など)や農民など庶民の一部も、明治という新時代に自らの手で身分上昇を勝ち取ろうというグループもあり、彼らも自由民権運動の担い手となっていく。
要するに、自由民権運動とは、政府との間で行われたポスト身分社会をの主導権争いという側面、そしてポスト身分社会の時代での自ら再度武士成を果たそうとする身分上昇を目指す運動という側面、この異なる志向のグループが相互の思惑が一致して結び付いたものといえる。
自由民権運動の一派である愛国社系のグループが「私立国会論」にこだわるのも、政府との主導権争いだとすれぱ理解しやすい。
本書の最後には、自由民権運動の研究史のまとめがあるため、こちらも使い勝手がよい。ぜひ、本書の元ネタになった『岩波講座 日本歴史 近現代1』の松沢論文と合わせて読んで頂きたい。
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戊辰戦争が自由民権運動に大きな影響を与えているという見方は画期的だと感じた。自分は戦争の中身と終戦後の被害に目を向けがちだった。しかし、結果はどうであれ戦争が後の時代に与える影響は計り知れないものがあると実感した。今後は自由民権運動前後の出来事や人々の動きに注目していきたいと思う。