紙の本
中上健次氏のジャズと青春の日々を巡るエッセイ集です!
2020/09/08 09:12
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、昭和期に活躍され、『十九歳の地図』をはじめ、『岬』(芥川賞)、『枯木灘』(毎日出版文化賞)などの傑作を次々に発表されていた中上健次氏の作品です。同書は、1960年代に新宿のジャズ喫茶にて、デビス氏に涙し、アイラー氏に共鳴し、コルトレーン氏に文学を見た中上健次氏自身が、ジャズに寄せる思いを綴った作品です。「破壊せよ、とアイラーは言った」という作品のほか、エッセイを中心に詩、短篇小説までをこの一冊に収め、ジャズと青春の日々をめぐる作品集となっています。昭和に輝いた作家・中上健次氏の音楽という視点から別の横顔を垣間見られる一冊です。
紙の本
アドリブ
2023/09/05 10:36
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投稿者:ダタ - この投稿者のレビュー一覧を見る
不機嫌であることは十代の特権。
精一杯、堕落する。
矛盾しているこんな言葉が成立する
人生における微笑ましい季節。
フリージャズの奔放なフレーズは
十代の無軌道な衝動に似ている。
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“ジャズ”をキーワードに、中上健次のエッセイや短編などを収めた作品集。
中上はフリージャズを好み、とりわけアルバート・アイラーへの思い入れが強いことが読み取れる。
玉石混交だが楽しめた。
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中上健次のジャズに関する雑文、詩や短編小説をまとめたもの。掲載メディアも様々で、折に触れて当時(中上18歳から23歳の頃)の話が繰り返されたものを集めてある。何度も同じ話が出てくるが、それが却って若かりし頃の煩悩のように、振り払えず、まとわりついてくるような焦燥感がひしひし伝わる気がする。
1960年代の新宿。和歌山の片田舎(いわゆる“路地”)から徒手空拳で上京してきた若者のもがき苦しむ描写が赤裸々だ。カサブタになりきらない皮膚に触れられるような痛感とでもいおうか、あの時代のアングラな街の空気が伝わってくる。
ジャズについては、マイルスとコルトレーンとアイラーのことしか出てこない(ちょこっとセロニアス・モンクの記述もあったか)。中上健次は、アイラー、コルトレーンに、彼らが傾倒していくフリージャズに「破壊」というメッセージを聴きとったようだ。
しかも、ジャズは「路上」で聴くべきと断じる。安保の時代、政治の季節が終わった60年代後半、団塊の一員として社会への反発するでもなく、溶け込めないでいる鬱屈した精神を抱え、新宿の薄暗いジャズ喫茶に集う。そこが彼の言う「路上」だ。
ジャズを、アイラー、コルトレーンをどう解釈しようが個人の自由だ。ジャズのことより、あの時代と、鬱蒼とした都会の片隅で、カサブタの剥がれた皮膚感覚でヒリヒリとした痛みと、なにかに餓えた心を抱えた若者の生き様に、けっして現代(いま)の時代には感じられない自由を見る。なにかに囚われつつも解き放たれた心を見る。それがジャズの精神か?
何かを理解できたわけではないけど、何か心に響く作品群だ。
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著者の青春はジャズと共にあり。
ジャズはやはり狂気なのか。
18歳から23歳…一瞬戻りたくなって、戻れないことに気づいて、胃が痛くなった。
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芥川賞作家による若き日のJAZZ浸りの日々を通じての破壊的な感性で綴る作品集。黒人差別等暗黒時代に生まれ発展し、やがて収束した表現手段、JAZZ。ただ、その世代が分からない自分にとってはその熱い感性の爆発をJAZZに感じる根本的な根拠が語られておらず共感出来ない。コルトレーンにせよ、デビスにせよ時代背景の中にあって、あるいは病的なJAZZ喫茶で大音量で聴く環境なくしては中上氏のようには感じ得ないのではないか、と思う。デビスの「リラクシン」など聴いてもカフェでのBGMになりうるオシャレ音楽と感じてしまう。
とはいえ、JAZZ奏者には不審な死が相当あるとのこと、単に作者の妄想ではないのも確かではある。
特に「灰色のコカコーラ」の闇は何か惹きつけられるものがあります。
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人はどこかでガス抜きが必要だ。 "きれいごと"の布に覆われた醜い社会で、今、僕たちは生きている。 ひょっとしたらもっと醜くかったであろうあの時代が、実はへどや膿を吐き出せるまっとうな社会だったのではないのだろうか。 この本を読むと、そんな気にさせられる。
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新宿、ジャズ、薬などの題材を通じ60年代後半の空気感がビンビン伝わってくる文章。併録された対談で渡辺貞夫はBGMと断じているのも、さもありなんと思う。
氏の著作は好き嫌い、評価が分かれるように思う。他の人の感想も聞いてみたい。
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書店の希少本コーナーとやらでたまたま手に取りましたが、すごく好きな本だな、と。
「ジャズと青春の日々をめぐる作品集」と紹介されている通り、ジャズ喫茶に毎日通った五年間の青春時代を語るエッセイが中心の一冊ですが、
その時代をテーマにした小説「灰色のコカコーラ」や、高校時代に書いたという処女短編も収録されている。
20年ぐらい前に、この「灰色のコカコーラ」が読みたくて、収録されている『鳩どもの家』が絶版になっていて探したのが懐かしい。まあ、そんなに苦労せずに入手したけど。
ずいぶん久しぶりに読んだこともあるし、主人公と同じような年齢(二十歳ぐらい)で読むのと、その倍近く生きてから読むのとでは全く感じ方が違って、
当時は興奮したように記憶しているけど、今回は静かな感傷的な気持ちになりました。
でも、やっぱり良い小説ですね。
僕はやっぱりその二十歳ぐらいの時に読んだ「岬」があまりに衝撃的だったので真っ先に挙がるのですけど、
あまり中上健次すごく好きという友人も少ないですけど、そのうちの二人が真っ先に「灰色のコカコーラ」挙げてたなぁなんてことも思い出しました。
感傷的になるというのも、三十代になった中上が自身の青春を振り返るようなエッセイの中に、この短編小説が一緒に収録されてるからということもあると思います。
二十歳ぐらいで読むなら、作家論的に読まないほうがベターだと思うので、小説だけで読んだほうがいいと思うのですけど、
もう30過ぎてなら、むしろこの文庫本の中で読むと、すごくいいのでおすすめしたいですね。
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46で世を去った中上健次が生きていたら今年で70だ。いわゆる「団塊の世代」。大学生の頃、その暴力的かつ繊細な文体に魅せられて貪るように中上を読んだ。中でも本書所収の「灰色のコカコーラ」に代表されるヒリヒリするような、どこか青臭さの残る初期の作品群がたまらなく好きだった。だから70になった中上などあまり想像したくない。中上にとってジャズは純粋な音楽というより「生きざま」あるいは「思想」と言ったほうがいい。タイトルがカッコ良すぎる「破壊せよ、とアイラーは言った」を読めば分かるが、中上にとってジャズ=破壊なのだ。実際にアイラー(例えば代表作『 Spiritual Unity 』)を聴いてみると、中上が言うほど「破壊的」ではない。むしろ僕には「慟哭」に聴こえる。だがそんなことはどうでもいい。中上はアイラーに、コルトレーンに、そしてフリージャズに「破壊せよ」という声を聴きとった。
今回「路上のジャズ」というエッセイを読んで改めてそのことを思った。その中で中上は自宅のステレオで聴くジャズに全く魅力を感じないと語っている。ジャズは「路上」で聴くべきものだという。「政治の季節」が終わりを告げた60年代後半、鬱屈した時代、新宿という都会の吹き溜り、薄暗いジャズ喫茶、世界に異和感だけを感じて震えていた若者達が集う場所、それが中上の言う「路上」である。中上自身の言に反して、コルトレーンが死に、アイラーがハドソン河に死体で浮かんだからジャズが終わったのではない。「路上」という空間の喪失とともにジャズは去勢され、中上はジャズに別れを告げた。
「物語」の「破壊」は中上文学の最大のテーマと言っていいが、ジャズがそうであったように「破壊」そのものが「物語」に回収されてしまうことに自覚的であった中上は、「破壊」が「物語」と化す瞬間を捉えて「物語」もろとも「破壊」自体を「爆破」する。これは永続革命のようなものだ。中上が生きていたらおそらく本書が再編集されて文庫化されることはなかったと思う。本書は中上の青春とジャズへのレクイエムだ。決してノスタジーに浸るための本ではない。
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初中上健次。一冊にエッセイ、詩、小説と盛りだくさんの内容。
ジャズが好きなので、とても面白く読めた。
家にあるアルバートアイラーのCDを音全開にして浴びるように聴きたくなった。