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投稿者:Eternal Kaoru - この投稿者のレビュー一覧を見る
これは怖い本である.渥美清という複雑で屈折した人物を,同程度に複雑で屈折した人物である小林信彦が描写している.お二人とも,相手のちょっとした言動から相手のそれまでの人生を見抜いてしまう能力がある.こういう人たちの交際は交友ではなく一種の真剣勝負にならざるを得ない.お二人は若い頃に交際を持つが,やがて疎遠になってゆく.お二人とも多忙になったという事情もあるだろうが,こういうお二人の交際が長く続くはずはないのである.本書は何度も通読しているが,当方の人生経験が深まるにつれて息苦しくなり通読が辛くなってくる.人間関係の深淵を描いた名著である.喜劇役者の面白いエピソードでは全然ありませんので注意して下さい.重く,苦い本です.
紙の本
「寅さん」に殉じた男
2018/11/30 22:50
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投稿者:和田呂宋兵衛 - この投稿者のレビュー一覧を見る
無頼の過去を持ち、結核で片肺を失い、群れるのも媚びるのも嫌いな、やたら顔の大きな男、田所康雄が、役者・渥見清として何とか売れたいともがくうちに、「車寅次郎」という、奇妙なアウトローのキャラクターに巡り合う。すべてを賭けてこのキャラクターを演じるうちに、アウトロー「車寅次郎」は、美しい日本人「寅さん」として独り歩きを始め、役者・渥見清を、一人の男としての田所康雄を呑みこんでゆく。「車寅次郎」以前の田所康雄と親しく、役者・渥見清の「おかしさ」に注目していた筆者が、「寅さん」に殉じるまでの彼を、美化を排して描いた秀作。「寅さん」として国民栄誉賞を貰った彼は、役者として、一人の男として、果たして幸せだったのだろうか。
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久しぶりに小林信彦氏の本を読んだ。高校から大学時代は氏の芸能史関連とも言える評論やパスティーシュ作品をよく読みました。
これは故 渥美清さんと個人的に交流のあった小橋信彦氏の渥美清論。
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「波」での連載、単行本、最初の文庫、そして十三年ぶりの再刊とこの作品は四度目の読書。先日の「トットてれび」での渥美清のはややきれいごとに終始した感じがした。今年の夏のドラマではどうなるのだろうか。
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渥美清さんのことを近くで接していた小林信彦さんが描く。
男はつらいよだけでなく、多くの映画で活躍した様子がよくわかった。
晩年の渥美清さんに関するところは悲しすぎた。
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子供の頃は、近所のおばさんに映画館で任侠映画ばかり見せられていた。したがい昭和48年の正月、中一の時に立川で見た「男はつらいよ 寅次郎夢枕」(第10作)と同時上映のドリフターズの映画は良く覚えている。映画館は大爆笑の渦。今、思えば大したギャグではない。「おい、さくら、そこのミドリ取ってくれ」。これだけでも場内大爆笑である。日本人が車寅次郎に洗脳されていたのかもしれない。
で、本書は渥美清という人間を描いたノンフィクションの傑作。作家の小林信彦さんは20代の頃から渥美清と親交があった。「夢で会いましょい」の頃だ。初めて渥美清が小林さんに挨拶した言葉が「金が欲しいねぇ」。そして「アベベは純情な青年なんだねぇ」「戦争は起こるかねぇ」と続く。このつかみの良さからハマってしまい、ほぼ一気読みだった。
「彼は複雑な人物で、さまざまな矛盾を抱え込んでいた。無邪気さと計算高さ。強烈な上昇志向と自信。人間に対して幻想を持たない諦めと、にもかかわらず、人生にある種の夢を持つこと。肉体への暗い不安と猜疑心。非情なまでの現実主義。極端な秘密主義と、誰かに本音を熱く語りたい気持ち。ストイシズム、独特の繊細さ、神経質さをも含めて、この本の中には、ぼくが記憶する彼のほぼ全てを書いたつもりだ」。車寅次郎とは全く違う渥美清が450ページの厚めの文庫本に描かれる。
本書で「男はつらいよ」が登場するのは、後半以降。前半はテレビ創成期の頃の作家と渥美清との交流、当時の俳優やコメディアンと渥美清の関係が中心に描かれる。小林さん自身が「記憶力には自信がある」と書かれている通り、その描写には真実味がある。伴淳三郎、植木等、フランキー堺、ハナ肇、などなど、昭和のコメディアンが続々と登場する。
中盤に「男はつらいよ」の詳細な評論があるが、これも楽しい。ただ、渥美清が45作目以降、病魔におかされながら寅さんを演じる様子は痛々しい。個人的には初期の方が好きだ。
個人的ベスト3は「第1作」、長山藍子がマドンナの「望郷篇」、榊原るみの「奮闘篇」。渥美清ファンは必読の★★★★★。
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小林信彦による体験的評伝。寅さんだけが渥美清ではないという部分が非常に興味深かった。
見巧者としての渥美清も非常に面白い。そして、小林信彦のあくの強さは、自分が見巧者であるという意識から生じていることもよくわかった。
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(01)
不気味なぐらいおかしな渥美清が、本書に再現されている。
1961年のテレビ番組を通じて、著者は渥美に出会い、死の8年ほど前、コメディ映画(*02)の試写会場での再会が1988年であるから、昭和の後半、高度経済成長からバブル経済までが、彼らの時代でもあった。その交流には濃淡があり、二人の青春から壮年にいたろうとする頃、代官山のアパートで夜を「語り」明かした蜜月には美しさすらある。
渥美が寅さんに固着し、国民的存在となるについて、その交流は冷めていくのであるが、喜劇や映画の斜陽、そしてあれほど食い入ったテレビからも離れていこうとする国民が、アウトローを「天使」のような寅さんに昇華させたのであろう。
(02)
本書は戦後喜劇史としての側面もある。終盤では松竹の映画と舞台の衰退があり、渥美清と藤山寛美がそれぞれの最後の担い手(*03)でもあったが、クレージーキャッツのハナ肇、植木等、谷啓をはじめ、榎本健一、フランキー堺、ミヤコ蝶々、伴淳三郎、森繁久弥、小沢昭一、前田武彦、青島幸男ら喜劇人たちも登場し、山田洋次だけでなく、野村芳太郎、森崎東、羽仁進、今井正、三國連太郎、森川信、佐藤蛾次郎、後藤久美子、三崎千恵子ら映画人や俳優たちも見え、昭和の後半を賑やかす芸能界が活写される。しかし、やくざで怪しげな暗さを持った渥美がその芸能の華やかさを相対化することで、その馬鹿騒ぎの虚無が際立つことになる。
(03)
「男はつらいよ」シリーズの主役である車寅次郎を演じる者として、渥美の地位は一応不動のようにも見える。しかし、著者の個人的なメモに再現される喜劇史の通覧からは、主役というものの微妙さ、渥美の喜劇役者としての特性、むしろエキセントリックな「珍演」を封じることで保守的な主役が不動になる矛盾が解き明かされる。渥美の観察や記憶、その仄暗い出自、そして欠陥のある渥美の身体などが、良くも悪くも「寅さん」人気の中で費消されてしまうところには、昭和どころか20世紀の闇が垣間見えている。