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中心棋士たちに、主に将棋ソフトに対する考え方について聞いた貴重なインタビュー集。
それぞれに将棋ソフトとの関わり方や、立ち位置が違って、非常に興味深い。
主要スポンサーである新聞業界の経営環境が悪化する中、将棋ソフトが急速に進歩し、プロ棋士との対戦で勝ち越すなど、将棋界が重大な岐路に立たされていることは間違いない。
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将棋の世界でコンピューター(将棋ソフト) についての棋士のインタビューをまとめたもの。強くなりすぎたソフトに対する対応、取り組みに違いがあって面白いが、考えて選ばれてる棋士だが、内容にちょっと重複感がある。それと棋士の独りよがり感に共鳴出来ないとこもある。まあ、将棋のソフトとの歴史としてとりまとめとく意味は大きいか。
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コンピューターと棋士のことをいろいろと考えさせられた本。将棋の世界は、コンピューターにすべて取って代わられるという未来は、未だに信じがたい。
この本のインタビューを受けた、羽生、渡辺の2人をはじめ、11人の棋士にはありがとうを言いたい。
久しぶりに将棋を指したくなった。
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人工知能、AI、Iot、などとやたら耳慣れない言葉が急速に存在感を示し始めた2015年、その後の技術進歩とともに「20年後失われる職業」などというリストが並び、私の務める“銀行融資担当者”も堂々のその仲間入りを果たした。
先月、たまたま登壇した地元大学でのシンポジウムで学生から、「あなたの仕事はそのうち人工知能が全て行う様になると聞きました。今から僕たちが銀行員になる意味はあるのでしょうか?あなた自身の20年後の存在価値はどこにあると思いますか?」と、なんの悪意もなく聞かれその答えに窮した。
そんな矢先に出会った本。単なるサラリーマンですらその存在意義を問われ腹を立てた。いわんやプロ棋士をや。である。
これまで、100手先を読む天才同士の戦いを神聖な気持ちで見守っていた最中、突如現れた1000手先までをも労なく読み取る人工知能。これまでの常識が通じない破天荒な盤面。表情なく、感情なく指される有効手に翻弄される思考の達人たちの心情に迫る。
11名の孤高の天才集団が感じている覚悟と矜持。現役最強棋士の自負と憂鬱、コンピュータに敗れた棋士、人工知能との対決を恐れない棋士、将棋ソフトに背を向ける棋士、そのスタンスは三者三様ではあれどすべての棋士が「今、将棋と棋士の未来が劇的に変化している。」と唱える。危機感とともに。
これはもはや、サラリーマンが共感出来る次元の話しではないのではないか。好奇心と先述の学生に対する自分なりの答えを求めて本書を手にしたものの、棋士が抱える危機感は、私の持つそれとは比較にならないものだった。そのリアルを紡いだ本書、当然の良書である。
良書なのではあるが、本書にはキラーセンテンスが見当たらない。即ち、‘このワードを座右の銘として繰り返そう’と思える箇所が一つも無いのだ。再読したいと思える箇所が無い。何故か。
そう、著者も棋士もガチ暗中模索なのだ。
初めて、“プロ棋士の価値とは何か”に外部から疑問符が投げかけられているのだ。綺麗な言葉や上手い言い回しで整理できるほど穏やかな話では無い。思考の達人が戸惑う自己の存在価値に対する問い。フェイスブックでリア充アピールの過ぎるサラリーマンが上っ面の言葉で回答できるものではでは無いのだ。良かった一安心。
いやいや、一安心では終われない。
これは、これからの全ての人にとっての問い。これまでの哲学的思想とは少し異なり、現実問題としての存在価値の定義探索に、これから日々の少しの時間を注ぎたいと思う。
そうそうなにより本書は、棋士の名を「羽生善治」しか知らない私にプラス10名もの魅力的な天才の存在を教えてくれた。そして彼らが矜持を掛けて戦い抜くこれからの将棋界へ、敬意と好奇心とをもたらせてくれた。
今年12月、第二回電王戦の挑戦権は誰が獲得するのか…ここに新たなファンが誕生していることを、細々と宣言したい。
http://www.eiou.jp
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現在の将棋ソフトの立ち位置(実力)が、そしてそれに対する棋士たちの感情が分かる本。
将棋ソフトが棋士たちにここまで(良くも悪くも)気になるものになっているとは知らなかった。またソフト研究として先行しているチェスからの視点もあるのが面白かった。
個人的には将棋をほとんど追いかけていないので、棋士も用語も分からないことが多かったのだが、しかしソフトに対する棋士たちの気持ちはしっかりと理解できるよう書いてあるので、とても読みやすかった。
いずれにせよ、棋士たちか「人であること」を推しの一つとしてやっていくしか棋界が生き残る道はない、という焦りを知ることが出来たのが、この本の一番の要点。
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将棋ソフトに向き合う、一流棋士。
色んな捉え方があるものだ。それは、プロとしての将棋棋士のあり方も含めて。
いま、ソフトが人間を超えて行きつつあることは間違いない。では、人が指す将棋とは何か。将棋で生きる意義とは何か。
強さとは何か。
少し、嚙み砕く必要がある著。
数年後に同じ視点で読めるだろうか。
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将棋は弱いけど、将棋指しは大好きな自分が、ここ数年ずっと気になっていた、「ソフト対棋士」について、一流の棋士たちにインタビューした本。
それこそ、羽生と渡辺という二大巨頭から若手のホープ、古豪、中堅の棋士たちが、ソフトへの思いを好悪それぞれの立場で語っている。
ソフトを肯定し、活用するどころか、強くなるためには人間同士の将棋は必要ないとまで言い切る者もいれば、ソフトを使用したうえで、それに頼らずに自らの力を高めようとする者、愛憎半ばの者など、一般人が見ても非常に興味深かった。
今後、棋士がどのような存在になっていくのか、ということについても考えさせられた。
自分としては、人間同士の将棋に興味があるし、棋士の人間的な魅力が一番なのだけど……。
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現役棋士にコンピュータとの対戦について聞くインタビュー集。個人的には山崎さんと糸谷さんのインタビューに興味を惹かれた。将棋のことはよくわからないけど、インタビューを受けたほぼすべての棋士が、「コンピューターに頼り過ぎると自分の頭で考えなくなるから危険」と話していたのが印象的。プロ棋士でも20分考えないと答えが出ないようなことも、コンピューターなら1秒で解答がわかる時、ポチッとクリックして答えを得るのではなく、あえて自分の頭で考えることを選択できるか――これって、棋士だけでなく自分の日常にも言えると思った。
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AIという驚異(驚異というほどに捉えていない棋士もいるが)に、どれどれくらいの距離でいるか、正面から問うた本。取材者のフィルターを通してだが、それぞれの思うことがストレートに伝わってきた。
多くの棋士が、存在意義について考え、意見を持っているが、明言できる立場もあれば、忸怩たる思いで憂いている人もいる。
ただ、多くが言うように、トップ棋士の存在意義は、今後も楽観的にとはいかずとも必ずあると思う。
苦しそうに、体を揺らしながら、息を詰めて盤を見つめる姿は何物にも変えがたいことを体現しているのだから。
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本題ではないけど、勝又さん西尾さんといった最もソフトに近い棋士が、自由奔放な山崎さんの将棋への憧れを口にしているところがとても印象的だった。
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将棋ソフトに対し,この本に登場する棋士たちのほとんどが口を揃えて言うのは,「自分で考えなくなる」ことへの危惧であった。
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盲点というか死角はないでしょうし,詰みを発見する能力は本当にすごい。それこそ瞬間的に見つけてしまうので,やっぱり便利ですよね。デメリットは,あまり自分で考えなくなってしまうことでしょうか。実践では自分ひとりで考えなきゃいけませんからね。普段から一人で考える訓練を積むことはとても大事なので,あまりソフトに頼りすぎるのはよくない気がします。(p.52 羽生善治)
以前から指摘されていることですが,自分の頭で考えなくなることでしょう。本当に難解な局面を自力で研究しようとしたら,こんこんと考え続けて5時間くらいかかることもあります。でもソフトの評価値が相当正しいとしたら,5分位検索すればすぐに結論がでる。ただ,自分で考えていないわけですから,将棋の上達という面ではよくない。そこは難しいところです。プロは将棋に勝たなければいけないので,そのプロセスをショートカットしてもいいじゃないかという考え方も間違ってはいない。ただずっとソフトに頼っていたら自分が強くならないことはみんなわかっている。だから今後は,そのバランスをどう取るのかも求められてきます。ソフトを使うことによるメリット・デメリット,対戦相手,向こう10年を見据えてどうするのか,ソフトをどう研究に用いるのかなど,使う人間の頭の良さが問われる時代です。頭のいい人は自分を見据えて,どう使うべきか理解していると思います。(pp.72-73 渡辺明)
自分で考えなくなるのは怖いですね。基礎的な脚力が衰えてしまいます。特に終盤で詰むか積まないかという局面で,コンピュータにかければ1秒,自分で考えたら20分くらいかかるという局面があるとします。その時に自分で20分考える方を選べなければいけない。でもポチッとマウスをクリックすればすぐに結果が出てくる。その方が楽なのは言うまでもないですが,答えを見てしまったら強くなれないでしょう。まあでも,つい寄りかかりそうになるくらい,いまのソフトは強いんです。ただ将棋がコンピュータに完全に解析される,つまり必勝法が生み出されるようなことは我々が生きている間は100%ありません。その点は安心しています。(p.108 勝又清和)
自分の頭で考えないし,ソフトの手が一番正しいと刷り込まれてしまう。(p.198 村山慈明)
自分の指した将棋で疑問があれば,ソフトに解析させてみたりはします。目先の勝率を上げるためだけであれば,コンピュータをつかっていろいろ調べた方がいいとは思います。ただあまり使うと楽をしてしまうというか,自分で考えることが億劫になりがちです。だからコンピュータがなかった時代と同じような厳しい練習を積むのは,人間の特性からして難しくなってくるんでしょうね。(pp.227-228 森内俊之)
ソフトで研究してもいいとは思いますけど,正直,好きじゃない。自分の頭で考えたほうが絶対に楽しいですよね。ソフトに完全に頼ってしまうと自分で考えなくなるので,まずいでしょう。ソフトに探索させるのは,ある局面に詰みがあるかないかを調べる時くらいです���。(p.249 糸谷哲郎)
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AIを用いた将棋ソフトに対する考え方について現役11人の棋士にインタビューした内容をまとめた本。インタビューの対象はソフト利用に肯定的な棋士、ソフト利用に否定的な棋士、実際にソフトと対戦した棋士、そして現時点で棋士の最高峰と目される羽生氏、渡辺氏の2人という多岐にわたります。
著者がインタビューで投げかける質問が非常に鋭く、対象となっている棋士の考え方をうまく引き出している印象です。
どの棋士の考え方にも納得させられるものがあり、まず感じるのは棋士というのは自分の考えを非常に分かりやすく表現されるなあ、という点です。これは棋士という職業が論理的な思考を常に求められているからかもしれません。
ちょうどソフトの力量が人間に並びかけている微妙なタイミングである今だからこそ、棋士のソフト(AI)に対する姿勢は様々なスタンスがあり、これは将棋界に限らず今後AIが進出してくる領域と関りを持つ私たち一般の人間が体験し、考えさせられる事なのかもしれないと感じました。
棋士という職業がどんなものかという点でも理解を深めることができる1冊です。
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竜王戦挑戦者決定戦で勝利した三浦弘行九段に将棋ソフト使用の疑いがあり、敗者の丸山忠久九段が渡辺明竜王に挑戦してる竜王戦、3勝3敗の佳境に入っています。A級棋士三浦九段がソフトに敗れたのは2013年でした。観戦記者大川慎太郎氏の「不屈の棋士」(2016.7)は、ソフトに対する棋士の思いをまとめたものです。めちゃめちゃな序盤・正確無比な終盤、形も手順もおかまいなし、読みの深さはお手の物、そんなソフトに静観する人、対決する人、背を向ける人。羽生、渡辺、森内、糸谷、佐藤(康)、行方などの棋士が思いを語っています。
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プロの将棋さし。棋士。
日本で言えば 選ばれた人たちに違いない。
将棋に強いって、なぜか すばらしいことのように見える。
そうした 棋士たちが
コンピューターのソフトに負ける時代が来た。
そのことによって 棋士が 影響を受け、
また、存在さえも問われる。
11人の棋士のインタビューを通じて、
ソフトにたいする立ち場や
感想と利用方法などを、明らかにする。
そこで見えたのは
プロフェッショナルとしての誇りと矜持。
『矜持』という言葉が
これほど、気高く見えたのはいいことかもしれない。
羽生善治の天才的ひらめきと独創的な将棋感は清々しい。
渡辺明のめざしている将棋の方向と
コンピュータとの立ち向かい方。
一線を画して、超越した観がある。
ニンゲンと向き合って 将棋を指すのと
コンピュータと将棋を指すのは
別のゲームなんだろうね。
同じジャンルとして考えてしまうのは
良くないかもしれない。
ニンゲンが犯すミス。それを見抜くニンゲン。
そして 逆転する。
そのニンゲンがつくり出すドラマが
将棋なのかもしれない。
トップの棋士がコンピュータにまったく歯が立たなくなってしまった時に、一体 なにが起こるのか?
と想像しても あまり意味がないな
ということがわかった。
コンピュータは あくまでも 道具である
ということが、わかった上で、
ニンゲンは どう使うかだね。
棋士だけのインタビューで 残念だ。
ソフトを開発した人たちの
誇りと矜持が聞いてみたいものだ。
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話題のコンピューター対将棋のテーマであるが、著者の将棋への長年の関わりがなくては生まれない好著だと思う。棋士にインタビューを取り付け、深く切り込む。昨今著しく増える門外漢の感想の域を出ないネットサイト論壇とは次元が違う。
トップ2大棋士、コンピューターと実際に戦った棋士、ネットを積極的に活用する棋士、コンピューター将棋に積極的な棋士、否定的な棋士、と章立てされており、まずは羽生渡辺の2棋士のものが面白い。羽生はコンピューター同士の棋譜を見て、人間の感覚とあまりにかけ離れているし、特に序盤のめちゃくちゃ(あたかも、駒も動かし方だけを知っている超初心者にも私には見える)さにはついては、見ても「面白くない」と語る。この「面白くな」さは他の棋士も語っている。
将棋の面白さは素人から見れば番外の話、人間模様から、対局開始~投了までのストーリーにあったことは間違いないだろう。それはテニスや野球、ボクシングなどのスポーツの開始から終了までの展開と同様、物語として面白いものだった。テニスロボットVS錦織なんていういのは興ざめだが、将棋コンピューターの指し手はそれに近いものがあることは確かのような気がする。とすると、スポーツ観戦のようなエンターテイメントとしての将棋の見方は、コンピューター同士の戦いからは消えるのではないか? そうすると現在の人とAIの「シンギュラリティ」としての現在の幅広い関心は逆にエンターテイメントとしては臨界点かもしれない。
また、人間の美意識も関係していると思われる、序盤中盤の構想力がそれほど大きな意味を持たず、終盤の正確な計算力が比重を増すとすれば、計算の競技と化した将棋は人間の本能的な快感を刺激せず、エンタメ的な楽しみは無くなっていくように思う。
そして先手必勝の定石がフェルマーの最終定理のように解明されたとき、ゲームとしての将棋は最終的に終わるだろう。