紙の本
名曲を生み出す源泉である日記
2016/11/18 00:11
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投稿者:Freiheit - この投稿者のレビュー一覧を見る
亡くなる前までに書かれた日記には人気作曲家の面だけでなく、苦難、失意などの心情が書かれており、全体を知ることができる。
紙の本
日記を読むとはなっているが
2016/09/29 08:09
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中学生の頃、日記を綴っていた。
当時人気の高かった漫画「あしたのジョー」をきどって、「あしたのために」なんてタイトルをつけたりしていた。『アンネの日記』の影響もあっただろう。あれから半世紀近く過ぎたのだから、読み返せれば面白いだろうが、今はない。
青春を気取って燃やしてしまった。
青春なんて気取らなければよかった。
しかし、日記は読み返すことはあるのだろうか。いや、それ以上に他人に読んでもらえることを意識するものだろうか。
作詞家阿久悠は1981年から亡くなる2007年まで欠かさず日記をつけていた。
この本はその日記を基にして、阿久悠の人生を振り返るものだが、阿久悠ぐらいの書くことにこだわりを持った人なら、その日記が死後他人の目に触れることを想定していたのではないだろうか。
この本では阿久の生涯をたどっているが、それは日記を参照ということではない。
阿久が日記を書き始めたのは1981年で、実は阿久の作詞家としての絶頂期はすでに到来したあと。さらには阿久の代表作となった小説『瀬戸内少年野球団』も執筆されていた。
確かに1981年以降も阿久は積極的に様々な活動を行っているが、どちらかといえば早すぎた栄光と長すぎる晩年の日記だといえなくもない。
日記を読むというより、むしろ阿久が最晩年に日本経済新聞に連載した「私の履歴書 生きっぱなしの記」に負うところが多くなっている。
阿久の日記のすべてが記されているわけではない。
もし日記を読むとすれば、阿久の生涯を読むのではなく、晩年に焦点をあてるべきだったのではないだろうか。
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死後見つかった27冊の日記帳というこの上ない素材で綴られる阿久悠の言葉人生。広告→放送台本→歌謡曲→小説と舞台を変えながら寡黙な饒舌とでもいうべきメッセージを送り出し続けた創作活動の裏側を綴っています。ピンクレディの昔から彼の作品にはなにか「商品感」を感じて来たのですが、それがなんとなく日記をつけているのではなく世の中の気になることを選択し編集し構築して書き続けたことを知り、その技術力めいたものに反応していたのかな、と思い至りました。そういう意味では美空ひばりや山口百恵など彼が組み切れなかったアーティストへの想いや彼がコントロールしきれない癌との戦いに本書の本領はあるのかもしれません。ただ著者も言及しているように阿久悠日記の研究をまだまだこれからかも。
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歌謡曲が好きである。ヒットした曲の作詞者を見ると「阿久悠」そんなときが結構ある。テレビの「スター誕生」で応募者の歌唱の後、いつも人生論を語るような辛口のコメントをしているのを聞いてその時からこの人はすごい人だと感じていた。彼の人生をその日記と書き始める前の生い立ちを含めて書かれていて興味深い。後半の癌との壮絶な闘病生活においても生き続ける、書き続けるという意志が凄い。
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スター誕生の頃の阿久悠、いつも恐い顔して辛辣なことしか言ってない印象だったけど、この番組(企画から考え)を真剣に思えばこそだったのね。
でも、デビュー前の”山口百恵”を”ドラマの妹役だったら使えるんじゃないの”的な発言を、その時から演技の才能を見出していたっていう後付けの説明は苦しすぎ!
とっても上昇志向の高い人だったていうのも意外。
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ヒット曲と同じ時代を生きてきたので,新聞で知って図書館で借りてみた。
阿久悠って凄い人だったんだ。
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阿久悠さんは、日記が誰かに読まれることを意識して書いていた、と言われております。多分、そうなんですね。読者を想定した日記、というのも、なかなか味のある展開。いきものがかりの水野さんも、NHK教育テレビの番組で、阿久悠さんの日記を読んでましたね。番組の中での、糸井重里さんのコメントが、秀逸だったです。(失われた父性への憧れ、を軸にすると、阿久悠さんの世界は、よく分かる?)
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日記とは誰かに見られると意識して書いているわけではないから実直で読んでいて面白かった。父への思い、上村一夫とのつながり等々興味深く読めた。山口百恵に曲を提供していたらどんな作品に仕上がったのか、そんなタラレバも気になってしまう。平成に入って流行歌に力がなくなりテレビ番組がつまらなくなったことを嘆いている、阿久さんが活躍していた昭和40年代の歌は命が吹き込まれたようなものだなと感じる。
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阿久悠の全盛期って、1973-78年の6年間だったことを知り、そんなに短かったの⁈とただただ驚く。『スター誕生!』で毎週不機嫌そうな顔を見てた影響かな…。
その6年間に手がけた曲たるや、えげつなくすさまじいヒット曲群。〈ジョニィへの伝言・学園天国・北の宿から・ペッパー警部・渚のシンドバッド・UFO・サウスポー・宇宙戦艦ヤマト・ブーメランストリート・津軽海峡冬景色・能登半島・勝手にしやがれ・林檎殺人事件…〉
ジュリーが帽子を飛ばし、山本リンダが、ピンクレディーが乱舞した時代を創り出し、シングルレコードの総売上枚数は何と7千万枚。
怒濤の6年間を経て、超売れっ子作詞家は創作活動を小休止し、元々作家志望であったこともあり、小説に軸足を置き始める。
1980年の大晦日、八代亜紀の『雨の慕情』で5度目の日本レコード大賞を受賞。明けて81年の元日TBSの演出家 鴨下信一からプレゼントされた日記帳を開く。以後、亡くなる半月前の2007年7月15日まで27年間日記を更新し続ける。
日記にはいくつものルールが設定されている。
①日記を開くのは深夜。1日1ページとする。
②家の数カ所にハガキ大のメモ用紙を配置。そこに思いついたことを書き、夜にそのメモを回収し、日記帳へ転記。
③行動録・備忘録・本や新聞から得たネタ・世間を騒がせているニュース・株価・天気・琴線に触れた出来事・創作のアイデア等を横書きで整然とレイアウトし、書き留める。
そこには『山口百恵は原節子の隠し子であるという仮説で何が書けるだろうか…』なんていう意味深な一行もあったりする。阿久悠がなぜ山口百恵の歌を書かなかったのか?いまだによく語られる話もたまたま書く好機に恵まれなかっただけとのこと。
心象を綴る日記とは一線を画し、その日を阿久悠目線で編集し記録。43〜70歳まで『阿久悠版その日の出来事』を克明にした記録は、私家版昭和・平成史と言える。
本書は元NHKのプロデューサーであり、阿久悠のブレーンでもあった著者が、阿久悠の母校 明治大学〈阿久悠記念館〉に保管されている日記27冊・延べ1万ページを1年半を費やし、読み解く。著者は一節一節を道標とし、阿久悠の半生の旅路へ歩みを進める。
◉作詞をする上でのモットー…
・怨念と自虐に頼らず書く。
・どうせ、しょせんという言葉は使わない。
◉人生の支えになった言葉…
・小学校の恩師がらは…
阿久悠少年の作文を読み、『きみの文章は横光利一を思わせる』。〈文章の神様〉と称せられた作家の文章のようだと激賞。
・妻からは…
〈無名時代に〉『あなたは大丈夫よ』
・父親から『お前の歌は品がいいね』
阿久悠はこの3つの言葉について、
『愛の鞭より悪意の飴のほうがありがたい』と口にしていた。阿久悠ならではの表現をもって、褒め言葉こそが人生のバネになると…。
大作詞家の矜持とどんな褒章より励みとなった言葉を胸に疾走した70歳の生涯を活写した労作。