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2016年57冊目。
ホモ・サピエンスが食物連鎖の頂点に立ち、繁栄を続けられている要因は何か?
この本ではそれを、
・7万年前の「認知革命」
・1万2000年前の「農業革命」
・500年前の「科学革命」
の3つに起因させている。
認知革命により、ホモ・サピエンスは「虚構」を信じ、語ることができるようになった。
共通の神話を信じられるようになったホモ・サピエンスは、赤の他人とも協力体制を生み出すことが可能となり、その数の力で他の種を圧倒した。
狩猟採集の時代よりも生活が困難になっていると言われる農業(本書では農業革命を「史上最大の詐欺」としている)の力を信じることにより、余剰作物が生まれ、人口は増加した。
その後もホモ・サピエンスは、貨幣という虚構を信じ、異民族の劣性という虚構を信じ、人権という虚構を信じ、現在に至る発展を遂げていく。
(それによって生み出されるヒエラルキーによって、発展の恩恵を享受できない人々はもちろんいる)
虚構を塗り替えるためには、新たな虚構を生み出すことが必要なのかもしれない。
今、人間を危うい方向に進めてしまっている虚構とは何か。
未来を作るために協働していくために必要な虚構とは何か。
考えてみる価値はあると思う。
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ホモ・サピエンス、つまりわれわれが生まれて、地球を支配する存在となるに至るまでの大きな歴史を著者の観点から分析・整理したものである。かなり壮大な試みでもあり、また面白い。
著者によると、人類史において、三つの重要な革命があったという。その三つというのは次の通り。
1. 七万年前の認知革命
2. 一万二千年前の農業革命
3. 五百年前の科学革命
まずは「認知革命」について。これは人類を人類足らしめ、他の生物との基本的な違いをもたらした「革命」である。そのためには生物学的に大きな脳が必要なのだが、まずはなぜ大きな脳を持つようになったのか、というところから話は始まる。大きな脳はエネルギーを大量に消費するため、必ずしも生存や繁殖に有利とも言えないという事実がある。ヒトの脳が安静時に全消費エネルギーの25%を消費しているのに対して、ヒト以外の霊長類の脳は全体の消費エネルギーの8%しか必要としないらしい。さらに出産においても頭の大きさは不利になり、おかげで人類は子供が未発達な段階で出産するという代償を払うことになった。その代償を支払った上でも二百万年の間、その大きな脳は石器以外のものを残さなかったように見える。何が巨大な脳の成長を進化の過程の中でその代償を支払ってでも促したのかは明らかになっていない。
「私たちは、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。だが、人類はまる二百万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった」
生物は遺伝子の変異の自然選択によって進化するが、その進化の過程において、大きな脳の獲得にはある種の跳躍が必要であったということだ。著者は、それを可能にした理由を「言語」、つまり抽象的な事象=「虚構」について語ることができるコミュニケーションの能力に見る。これが著者の言う人類に生じた「認知革命」である。
「激しい議論はなお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものにほかならない。すなわち、ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではないだろうか」
少し想像してみればわかる通り、実際に生物の集団において「虚構」を流通させることは思いの他難しく、人類以外の生物で言語に近いものを使うことができるものがいたとしても、「虚構」を語ることができる種がいるとは思えない。
「効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた」
多くの集団を結びつける「神話」を成立させる能力が私たちを万物の支配者に仕立て上げたのだ。当然、この「神話」には、宗教だけでなく、貨幣や国家、共産主義、資本主義なども含まれる。それ���なければ、膨大な数をひとつに統合して力とすることは適わない。
次に語られる革命が「農業革命」だ。この革命により人類は自らを維持するための食料エネルギーの観点で大幅にその数を増やすことが可能になった。
元々人類は、狩猟採集を行う種であり、そのような種として進化圧に対応してきた。それは人類の生息地が寒冷地であるシベリアにまで拡がっていったことからもわかる。北方にはマンモスやトナカイなどの大型の動物が生息していたため、それらの動物を追って人類がその生息域を北へと広げていったことは合理的だといえる。
「私たちの祖先が狩猟採集した何千もの種のうち、農耕や牧畜の候補として適したものはほんのわずかしかなかった。それらは特定の地域に生息しており、そこが農業革命の舞台となったのだ」ー いくつかの偶然もあり、複数の場所で農耕は始まった。具体的にどのような場所であったかは、ジャレット・ダイアモンドの名著『銃・病原菌・鉄』にも同様の論理が展開される。その論理は、なぜ特定の場所で文明が栄えたのかの理由にもなっている。
著者は、結果として農業革命はわれわれに幸福をもたらしたわけではないという。逆に個々人を見れば、生物的特性とのアンマッチなどから来る多くの不幸をもたらしている。では、なぜ農業が広まったのかというと、それが人類の数を増やすこと、すなわちそのDNAのより多くの複製に役に立ったからだ。「小麦を栽培すれば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ」ー つまり「以前より劣悪な条件下であってもより多くの人を生かしておく能力こそが農業革命の神髄」ということだ 。人類は幸福の最大化ではなく、これまでのすべての生物と同様、DNA複製の最大化によって、その生活様式含めて淘汰されてきたのだ。DNAの観点からは家畜化された牛・豚・羊・鶏は類まれな成功例と言える。そして、これらの例からもわかるように、種の繁栄とそこに含まれる個体の成功とは合致せず、常にDNAが優先されることがわかる。家畜が幸せでないであろうとの同じ意味で、農業革命に励む個人にとってはその革命は必ずしも幸せなことではなかった。著者は皮肉を込めて「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」と書く。
農耕は、当然ながら人類に定住を促した。それは狩猟民族として進化してきた人類に大きな影響を与えることになった。農耕の始まりによって、未来に対する不安が始まった。逆説的ではあるが、未来に対して何らかの手が打てたために未来を心配するようになったのだ。結果として、農耕は人類にとってストレスとなった。人類がその長い過程で数十人からなる集団で過ごす中で進化してきたのと比べて、農業革命とそれに続いた都市や王国がによる大規模な協力体制に対して、人類が生物進化的に適応するにはその期間が短かった。
一方で、その種としての発展に遺伝子の進化を利用することがなくなったことが発展の速度をこれまでにないものとした。それを可能とした「協力のネットワーク」は、「想像上の秩序」であった。その成立のために人類は「神話」を必要とした。人類の生物学的限界を超えた発展は、��認知革命」により手に入れた「共同主観的秩序」によって成立したのである。
「人類は、大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らをどう組織してそのようなネットワークを形成したのか、だ。手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体形を考案することによって、となる。これら二つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ」
著者は、人類が地球上に拡がるために大きな役割を果たした「共同主観的秩序」の例として三つの事例を挙げる。それは、経済面での「貨幣」、政治面での「帝国」、倫理面での「普遍的宗教」だ。人類はこの三つの秩序を発明し、利用し、組み合わせて、地球上でそのフットプリントを拡げることに成功した。
「貨幣」はいつでもだれもがほしがるが、それは想像の中でしか価値を持っていない。それは、もっとも普遍的で強固な相互信頼の制度である。普遍的転換性と普遍的信頼性という二つの原理に基づいている。「宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求める」のである。
「帝国」は、文化的なグローバル化を求める。著者は帝国の条件として、「文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの民族を支配している」ことと「変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする」ことを挙げる。帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。その定義において、現在の資本主義のグローバル化は、あらたな「帝国」の出現にほかならない。
「宗教」は、超人間的な秩序の存在を主張する。宗教は信念であり、そのため、どこにいてもいつでも正しくなくてはならず、すべての人に広めなければならない。そのために、普遍的であり、かつ宣教を求めるものなのだ。人類が、狭い範囲に生活がとどまっていれば普遍宗教は必要なかった。著者は、自由主義、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズム、これらはすべて宗教と呼んでもさしつかえない。宗教は対立の象徴として挙げられるが、その前に人類を統一するための重要な要素のひとつだったのだ。
その後に来た、今のところは最後の革命が「科学革命」だ。科学は「無知の発見」から始まった。それまでは、正しさは常にどこかに存在していた。それを知っているとされている人や「神」に尋ねるだけでよかった。人類には知らないことがあるが、それは探究することで知ることができ、それを知ることにより多くのことを手に入れることができる。だから、探究しよう、という精神性が現れたのが科学革命の鍵であった。農耕でも、世界宗教でも、帝国でも、それまで世界の中心地となったことがなかった西ヨーロッパが近代において世界を席巻することができたのは、近代科学と近代資本主義のおかげであった。拡大再生産は資本主義の原理だが、それまでの過去の歴史上はかならずしもそうではなかった。過去の世界では世界はもっと定常的なものであった。資本主義・消費主義の価値体系は根本的にこれまでの価値体系とは違う。以前の倫理体系はそうではなかった。
「科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。... 科学と帝国��資本主義の間のフィードバック・ループは、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう」
そのことが幸せにつながっているのかはわからないと著者は言う。そして、幸せの概念もこれらの革命によって規定されていると主張する。
「ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、そのなかには、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ」
最後に著者は、人類は歴史を通して「幸せ」になっただろうか、そして将来はどうなるだろうと問う。人類は狩猟採集生活に適合するように進化した。それにも関わらず、農業や工業へと移行することとなった。それは生物進化の過程からすると不自然なものだった。大きな影響として、家族と地域コミュニティが崩壊し、国家と市場が台頭した。そして、世界における多様性がなくなった。「過去二世紀の物質面における劇的な状況改善は、家族やコミュニティの崩壊によって相殺されてしまった可能性が浮上する」
「人類にとって過去数十年間は前代未聞の黄金期だったが、これが歴史の趨勢の抜本的転換を意味するのか、それとも一時的に流れが逆転して幸運に恵まれただけなのかを判断するのは時期尚早だ」
「幸せ」という概念も将来にはさらに大きく変わる可能性があることを著者は強く示唆する。将来の大きな変化の可能性として「非死」長寿や若さが手に入れられるようになり、これまで貧富の差に関係なく平等であった死と老が、貧富の差によって手に入れられるかどうかが決まるようになったとき、さらなる不満が噴き出すのではないか。それは、どちらの立場の人にとっても幸せではないだろう。「非死」が手に入ると、少しでも危険を避けようとするだろうし、死はさらに大きな喪失になるだろう。さらには、「幸せ」を生化学的な状態の操作にしてしまうという可能性だ。安全な幸福薬のようなものが技術的には得られる可能性は十分にあるだろう。そして、政治的な異議や倫理的な異議があったとしても、可能なものは実現するのがこの世界の趨勢でもある。
「これまでに分かっているところでは、純粋に科学的な視点から言えば、人生には全く何の意味もない。人類は、目的も持たずにやみくもに展開する進化の過程の所産だ。 … 人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものもたんなる妄想にすぎない。中世の人々が人生に見出す人間至上主義や、国民主義的意義、資本主義的意義もまた妄想だ...」すべては妄想なのである。が、最後にこう言ってしまう必要はあるのだろうか。
「文明の構造と人類の幸福」という副題が付いた本書の最後の文章はこうだ。
「私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それに十分考えていないのだろう」
遺伝子編集技術、ナノテクノロジー、人工知能、といった技術を持った人類に四つ目の「革命」はやってくるのだろうか。人類の認識を変えてしまうほどの「革命」が起��ないとは限らないし、起きない方に賭けることも難しい。すでに、それまでの認識をがらりと変えてしまうような三つの革命を経た上で人類の現在があるのだから。世界はどうやら統一の方向に向かって進んでいるようだが、経済も、倫理も、政治も、どのように統一されるのか、想像することは可能だが、その想像自体が現在の中にとらわれた発想でしかないようにも思う。そして、どうやら変化は加速しているらしい。
あとがきに「自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」と書く。非常に射程の大きな本であった。長いが読む価値がある本。
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Courier Japan記事「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー
http://courrier.jp/news/archives/63841/
『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』のレビュー ~ 『サピエンス全史と柄谷行人』
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309226728
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「七万年前から三万年前にかけて見られた、新しい思考と意思疎通の方法の登場のことを、「認知革命」という。」この認知革命に関する様々な考察は面白かった。「農業革命」には、私にとって目新しい考察は無かった。総じて平凡な印象しか持てませんでした、残念。
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人類を頂点に導いたものは、虚構。
共通に神話持つことでしゅうだんは大きくなった。
虚構の最たるものが貨幣。
貨幣は相互信頼があって成立するもの。
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私たちホモ・サピエンスが、どのような歴史を辿ってきたのかについて書かれています。歴史を追うということではなく、他の生物との違いや、それゆえのサピエンス内での共通性に焦点を当てて解説されています。上巻は主として、サピエンスが、他の生物と違うこと、他のホモとつく親戚共違う考え方を持っていることについて書かれています。人間というものがいかに面白い特徴を持っていて、それを当たり前だと思っていたことを知ることができました。非常に面白く読むことができました。
下巻に続く後半部分で、我々ホモ・サピエンスの共通性について始まっています。独自の特徴である共通の神話を作り出す能力について、そこから生まれたものとして、貨幣と帝国について書かれています。下巻では宗教が語られるのでしょう。楽しみに読ませていただきます。
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ジャレド・ダイヤモンド、ダニエル・E・リーバーマンなど知の巨人達が、展開する理論を総合的に俯瞰。特に認知革命については、両者が今まで主張していなかった目新しい理論。そしてその理論は、文明を支えるための最上位の概念ともいうべきもので、実に目から鱗の理論です。個人的には、これまで読んできた書籍の中でもベスト3といっても過言ではない名著です。
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「銃・病原菌・鉄」以降、流行っている"マクロ歴史学"的本の一種。その種の本の中ではもっとも読みやすく、未来への言及が多いのが特徴だと思う。人類(この本の中ではネアンデルタールなど他の類人猿と区別するためにサピエンスと呼んでいる)は、7万年をかけて3つの革命を経て現在に至り、最終革命を経てサピエンスではない新種の生物に変化するのではないかと上下巻をかけて分かりやすく解説している。
最初の革命は、7万年前の認知革命。これによりサピエンスは"虚構"という新しい意思疎通の方法を会得し、これにより血族以上の集団を統合する術を身に着けた。その虚構とは神話であり、宗教であり、直近では民主主義や資本主義である。そして、虚構によるサピエンスの統合の最大の発明品が"貨幣"であると作者は指摘する。(確かにそうだ!)
次の革命は1万年前に起きた農業革命。これにより、食糧事情は安定し、単位あたりの人口密度は増大した。が、代わりに所有と貧富の差が生じ、また労働の長時間化と苦痛化が起きた。
人類が過去に経験した最後の大革命は500年前の科学革命である。科学革命の核心は"無知の知"である。「我々は何も知らない」から始まる知的探求は、革命前のサピエンスの知識に対する認識(神と神に近い指導者は全てを知っており、昔はよかったという懐古主義となる)からはまさにコペルニクス的転換であり、「何も知らないから調べて知る。知るから未来はより発展する」というフィードバックループをサピエンスの中に作り出した。そして、科学の発展には金(投資)がいる。この無知の知→投資→科学的発展(富の増大)というループの強化に繋がったのが帝国主義であり、特にユーラシア大陸をアラブと中華の帝国主義国に牛耳られていて劣勢にたっていた欧州諸王国がこのループに積極的に関与して新大陸やアフリカ大陸を植民地化していったという歴史的事実は「今日の弱者は未来の強者」という観点からみてとても興味深い。
現在、科学革命の担い手は資本主義となり、科学革命と資本主義、あるいはそれに付随する自由主義とによって世界は唯一に統合されつつある。その先にあるのが、生命工学的革命であり、それは不老不死や他の生物との遺伝子的融合、工学化(サイボーグ化)である。この段階に及んでサピエンスは有機的な進化から科学的あるいは無機的進化を伴う生物となり(いわゆるシンギュラリティ)、もはやそれはサピエンスではなく別種の生物となり、10万年に渡り繁栄し、地球を支配したサピエンスはここに終焉するし、その時点ではサピエンスの価値観はいまのものとは全く異なるものとなっているので、いまからそれを悲観したり、警戒したりしてもほとんど意味のない議論だろう、と作者は論じている(と思う)
この本は、まず全体において、人類の歴史を3つの革命と今後起こる最後の革命とに整理して、莫大な事象と理論的解説を経て分かりやすく説明しているのが非常によい。その上で、これらの発展と個々人の幸福との関係性について作者はかなりの字数を割いて論じている(批判している)。要するにこれらの種としての大発展と個々人との幸福は別物であり、ここに我々はこの大発展について立ち止まって考える必要がある、としている点がまたよいと思う。本当にそうだからだ。
といことで、次は"個々人の幸せ"についてマクロ歴史学的視点で書く本がぜひ読んで見たい気がする。まあ、それは非常に主観的問題なので過去のデータは残りずらく、書くのは難しいかもしれないが。。
一連のマクロ歴史学的本の中では、分かりやすく読めるという点で、もっともオススメの本だと思います。
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世界的話題の書ということで繰り上げ読了。アフリカで細々と生きていた人類の祖先(食物連鎖でいうと中程度)が、なぜこの星の支配者になったのか、その答えの鍵は「フィクション」であるという。国家、文明、貨幣、宗教、企業、法律、平等や将来は今より豊かになるというフィクション。これらのおかげで見知らぬ人と協力するようになり、進化の法則を飛び越えて力を得た。一方、狩猟社会から農耕社会になったおかげで安定的かつ豊かな社会を手に入れたと教えられたが、労働時間は増え、人口は増えたが飢餓も増えた。むしろ穀物を活かすために働いているようなもので、主人は穀物だという視点は新鮮。生物学的に数を増やすことが成功ならば、歴史上最も成功した動物は家畜となった牛であるが、狭い檻の中で過ごし、初めて歩くのは解体される時という生物が果たして幸せなのか。そしてこれは人間にも当てはまるのではないか。
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ホモ・サピエンスが高度な文化を持つようになった経緯を説明した歴史書。ホモ・サピエンスの進化の歴史が分かる。これにより、人類の本質を知ることになる。ホモ・サピエンスは、認知革命による進化を遂げ、地球の生物の頂点に立つことになった。さらに農業革命で狩猟生活から定住生活へと変化し、現代に至っている。本書で意外に感じたのは、農耕生活は狩猟生活からの進化だと思われるが実はそうではないこと。栄養バランスや社会を維持するための苦労が狩猟社会よりあるというのだ。もちろん納得する説明があるので、奇っ怪な説だという疑いは持たない。農耕生活の方が狩猟時代より厳しい生活を強いられているのは目からウロコ。また、農耕生活に移行したことで、栽培されるようになった小麦から見ると、子孫を増やした小麦が勝者であるというのは面白い観点だ。人類は小麦にいいように使われているだけなのかもしれない。下巻も同様な面白さだと期待したい。
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興味の中心は最後の新人類の話だろうけど、それ以外の部分がダメダメだった。自説に都合のいい話を挙げるばかりで、最新の研究を紹介するわけでもなく、新鮮味がない。
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2016年を代表する本として各所で絶賛されているが、確かにこれは凄まじく知的好奇心を揺さぶってくれる。
イスラエルの歴史学者である著者が明らかにするのは、ホモ・サピエンスという生物種がなぜ他の生物種と異なり、地球でここまでの文明を作り上げることに成功したのかという問いへの答えである。そのカギを握るのは、「認知革命」・「農業革命」・「科学革命」という3つの革命であった、というのが骨子となる。
上巻では、歴史学者としての丁寧な史実関係叙述と不確実な事柄はそのまま不確実さを伝えるという真摯なスタンスにより、「認知革命」と「農業革命」についてが解説される。
「認知革命」は、ホモ・サピエンスが言語を発明したことや、言語により相互のコミュニケーションが可能になったということではなく、「虚構」を生み出すことにより、様々な共同体を組成できるようになったこと、そしてその共同体とは虚構、別の言葉を用いれば幻想の存在であるということこそが革命の主たるポイントとされる。例えば、宗教や国家、引いては我々の多くが所属する企業に至るまで、あらゆる共同体は「その構成員全てが、会ったことがない他の構成員に関して自らとの同一性を感じ、何らかの協力体制を構築できる」というのが特徴になるが、共同体とは自ら触れて確かめることができないにも関わらず、その存在が疑われないという点で、一種の虚構性を帯びる。
「農業革命」について刮目すべきは、「人間は小麦などの作物を農業に適した形で栽培化することで、狩猟採集よりも安定的な生存基盤を獲得できた」という考えが実は誤解であるということが明らかにされる点にある。事実はむしろ逆で、「人間は小麦により家畜化され、小麦という種が世界にその遺伝子を残すべく繁栄することに成功した」、つまり人間は小麦の利己的遺伝子を残すためのビークルとして利用された側であるという。これは我々が通説的に考えている狩猟採集社会から農業社会への移行のバックグラウンドの言説を覆す説であり、非常に面白い。
本書の面白さは、例えば「認知革命」だけを例に取れば、おおむねその主張はベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」で語られていることと軌を同じくしていると思うが、そのスコープが農業、科学など多岐に渡り、なおかつ時間的・空間的な広がりを持っている点において、この一冊で広範な人類の活動の謎を全て知ってしまえるのではないかという奇妙な錯覚を与えてくれる点にある。引き続き下巻へ。
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やっと手にしました。でも、さっと読めました。それは本書のフレームがシンプルに7万年前から始まる「認知革命」、1万年前からの「農業革命」、そして下巻で語られるという「科学革命」の大きなターニングポイントで構成されていること、そしてその木の幹を飾る木の葉としての細かなエピソードが縦横無尽なこと、そして何よりも、鳥瞰よりももっと高い、宇宙のようなところから見ているようなクールな著者ならではの人間観が好奇心を揺り動かしてくれること、によるものだと思います。ちなみに昨夜、NHKのノーナレという番組で京都のイノシシの狩猟者が、獲物を殺めることと食することによる生命との対話を語っていましたが、狩猟採集社会のメンタリティを微かに感じました。彼のいう「自分たちもけものたちも同じ」という感覚は、まだ人類が一種類ではなかったころのもののような気がします。自然の一部としての「いのちの普遍性」みたいなところからサピエンス一種類の「人間の特殊性」という虚構が現実になってしまう全史、いざ、下巻へ。
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ありそうでなかった興味深い俯瞰的人類史。
気になった所。
人類が他種の生物を絶滅に追いやるのは今に始まった話ではなく、サピエンスが移り住んだところ死屍累々。ほとんどの大型動物を絶滅させているらしい。
サピエンス、悪辣。
それもこれも、サピエンスが急激に食物連鎖の頂点に立ったため。恐怖と不安が抜けず、つい残酷なふるまいをしてしまうとか。
普通は時間をかけてそういう立場になったものは王者らしい落ち着きと鷹揚さを持ってるものらしい。
なるほど。
人間社会に争い事が絶えないのは一つには恐怖心が原因かもしれない。
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2017年??冊目。「サピエンス全史(上)」読了。
いつぞやか話題になっていたので、とりあえず(上)を読んでみた。人間や文化を捉える視点がとても興味深い。
(以下抜粋)
「人間は、生命維持に必要なシステムの多くが未発達な、未熟な段階で生まれる…自活できない子どもを連れている母親が、子どもと自分を養うだけの食べ物を一人で採集することはほぼ無理だった。子育ては、家族や周囲の人の手助けをたえず必要とした。人間が子どもを育てるには、仲間が力を合わせなければならないのだ。したがって、進化は強い社会的絆を結べるものを優先した。そのうえ、人間は未熟な状態で生まれてくるので、他のどんな動物にも望めないほど、教育し、社会生活に順応させることができる。」
「私たちの言語は、噂話のために発達したのだそうだ。この説によれば、ホモ・サピエンスは本来、社会的な動物であるという。私たちにとって社会的な協力は、生存と繁殖のカギを握っている。個々の人間がライオンやバイソンの居場所を知っているだけでは十分ではない。自分の集団の中で、誰が誰を憎んでいるか、誰が誰と寝ているか、誰が正直か、誰がずるをするかを知るほうが、はるかに重要なのだ。」
「一般に、遺伝子の突然変異なしには、社会的行動の重大な変化は起こりえない。…サピエンスは認知革命以降、自らの振る舞いを素早く変えられるようになり、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後の世代へと伝えていった。」
「私たちが特定の秩序を信じるのは、それが客観的に正しいからでなく、それを信じれば効果的に協力して、より良い社会を作り出せるからだ。」
「軍隊、警察、裁判所、監獄は、想像上の秩序に即して行動するよう人々を強制するために、休むことなく働いている。」
「認知的不協和は人間の心の欠陥と考えられることが多い。だが、じつは必須の長所なのだ。矛盾する信念や価値観を持てなかったとしたら、人類の文化を打ち立てて維持することはおそらく不可能だっただろう。」
「真っ先に登場した普遍的秩序は経済的なもので、貨幣という秩序だった。第二に普遍的秩序は政治的なもので、帝国という秩序だった。第三の普遍的秩序は宗教的で、仏教やキリスト教、イスラム教といった普遍的宗教の秩序だった。」
「貨幣は人類の寛容性の極みでもある。貨幣は言語や国家の法律、文化の規準、宗教的信仰、社会習慣よりも心が広い。貨幣は人間が生み出した信頼制度のうち、ほぼどんな文化の間の溝をも埋め、宗教や性別、人種、年齢、性的指向に基づいて差別することのない唯一のものだ。貨幣のおかげで、見ず知らずで信頼し合っていない人どうしでも、効果的に協力できる。」
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nhkで紹介あり。
オバマ大統領が、読んでいる。
図書館予約済み20170108
五章の農業革命までは、面白かった。
六章の神話から難しくなった。
またの機会に読み直そう。
20170402