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1879年に描かれた女性と夫の物語
主人公の「極端とも思える」行動は
女性解放あるいは男女同権というとりかたはもちろん
今日現代現在においても夫婦のありかたに続いている
男性は主人公の立場になって
女性は夫の立場になってわが身に思うことが今でもできるだろうか
誰しも自身だけで判断する正しさからは逃れられないものであり
優れた作品は異なる他者というものを思い出させてくれる
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う〜〜ん、大塚英志の評論にときたま、女性のビルドゥングスストーリーとして例示されるが、教養がなくて読んだことがなかったので読んでみたら、正直ひっくり返るくらい良くて3回読んだ。というか今こそ読まれる本だと思うのだけれど、ネットでざっと調べた感じ、私のサーチ能力の限界かもだけれどあまりもう言及されている印象はなかった。
この本の素晴らしいところというか、私が大感銘を受けたのは、単に人形として夫の支配下にあった妻が自立する話だから、という風に描いていないところである。というと、少し分かりにくいかもなのだけれど、夫=男側が支配者であり、その支配から弱い立場にある女が抜け出すというようなそんな二項対立の単純な筋にはなっていない。私が大感動したこの物語の深度は、まず妻が人形である(近代的な人間としての自立を果たしていない)ことが、父と夫の影響下にありながら、自分でもその状態を甘んじて受け入れている、つまり男と女の共犯関係の上で成り立っていたことに気づく点。そして、真の自立は「お前は世間知らずだから」と言いながらも世間を知ることを遮断する、スポイルされる状況から脱せずして成されないということをあまりに明快にかいている点である。あまりに明晰で素晴らしく、しばらく言葉を失った。こういういい物語に出会えると、生きてて良かった〜〜という気持ちになる。やはり古典はすごい。
しかし解説が1952年かなにかのもので、ひっくり返りましたね。「女性解放問題ごときは」う〜ん、特に評論家の真価は、時間を経てこそ分かるものだと感じますね。
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夫ヘルメル=野間口徹・妻ノラ=深田恭子・悪役クロクスタ=北村一輝・友人リンデ夫人=尾野真千子・友人ランク医師=江本祐、こんな感じでキャラを置き換えて戯曲を読むとイメージ湧きやすいのではないかな。
砂糖より甘い世間知らずの妻との無意味ないちゃいちゃが続く第1幕、夫に知られてはならぬ秘密を暴露されたくなければ便宜を図れと悪役から妻が脅される第2幕、にもかかわらず夫がその秘密を知ったとたんに物腰柔らか態度が急変した夫の本性に接した直後に秘密の暴露がなされないことを知って安堵した夫が猫かわいがりに戻ろうとしても目が覚めた妻が断固拒絶して夫も子供も捨てる行動をとった第3幕、たった数ページで夫婦の性格が急変するので、序破急はげしい作品です。
現代の法律家には署名偽造が全てを失わせるほどの犯罪なのか疑問無しとしないし、そもそも乳母日傘で暮らしてきた妻が家を出て暮らせるのかも疑問に思わせるラストなのですが朝ドラ’’なつぞら’’でも舞台が取り上げられたのは、ウーマンリブとかそういう時代もあったんでしょうね。
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私は鳥かごの中の小鳥ではないのだ。
私はお人形さんではないのだ。
束縛は愛ではない。
読んでいて悶々としていたが、最後で報われた。
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舞台part2を観に行くので、予習。
発表された当時の雰囲気はどのようだったのだろう。最後のシーンの絶望と胸がすく感じ、70年近く経ってもまだ共感できてしまうところが凄みであり、救いのなさも同時に感じる。
ノラの秘密に対して、その迂闊さや無知さに若干の苛立ちを覚えたけれど、誰も教えてくれず、教えないようにして、抑圧してきた時代は暗闇の中手探りするようで、完璧な立ち回りなんて出来るわけがない。そう思うと、ノラの勇気と知性──実は幸福ではなかったこと、既に愛していないことを認め、伝えることができる強さは清々しい。
イプセンの現実を切り出す明晰さが全てだ。解説では問題提起としては時流を過ぎ、既に陳腐化というような言及があるが、とんでもないと思う。(もちろん相対的に状況は改善している。)
とはいえ、男女の平等は近づきつつあるけれど、それは多くの人が(男女を問わず)ヘルメル化しているということであって、21世紀に入ってなおノラは、今もまだ孤独と絶望を抱えて踊っている。だからこの戯曲は幾度も演じられ、告発は続いているのではないか。
現代に至るまで数多の闘いがあり、勝ち取られてきた権利の庇護下に置かれている私は、擁護者たる自覚が希薄なのだと、最近はとみに思う。
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夫は妻を自分の所有物の如く思い込んでしまう。主人公のノラは、ある事件への夫の対応から、自分の立ち位置、自分がいかにそのことに盲目であったかに気づく。人生にどう接するか。ノラの態度に賞賛を贈るか、夫のみならず三人の子どもまでを見捨てていくのは自分勝手と非難するか。強烈な投げかけが、短編ゆえに効いているようだ。2020.3.22
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女性運動とも関わりのある作品と聞いていました。途中までは「どこが?」と思いながら読んでいたのですが、最後に納得させられました。
シェイクスピアなんかと比べると、登場人物も少なく、断然現代的で読みやすいです。
主人公である妻の隠し事がいつばれるのか、ハラハラさせられました。私自身が女性寄りの思考のためか、終盤の展開も好きですね。
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戯曲という変わった文体にも関わらず、内容に引き込まれて一気に読み切る。夫婦関係に何の疑問も持たず幸せに過ごしていた女性が、ある事をきっかけに、違和感、息苦しさを感じ、本来の自分を取り戻していく。爽快感さえ感じるほど、共感できた。
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一気に読み終えた思わぬ結末に愕然とした。ノラは恰好いいのか?酷いのか?
私は、張り倒してやりたくなる。女性は人形で居てほしい。
私は世間を敵に回してしまったのだろうか?
イプセン:江戸末期生誕に驚く。 尊王攘夷と騒いでいる日本 鎖国で平和を得たが
大きな何かを失った
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「人形の家」は1879年にノルウェーの劇作家イプセンが書いた戯曲だ。雑に言うとモラハラ夫の偽善に気付いて主人公の女性(ノラ)が家を出るというストーリーである。タイトルにある「人形」はバービーのような実際の人形のことではなく、あたかも人形のように愛でられ、家庭に縛られていたノラ自身のことを指している。
例えヨーロッパといえども、140年も昔には女性の立場は今よりも弱かったと思うのだが、しっかりと自分の言葉で夫に別れを告げ、自分の足で立ちたいと言って人生をリスタートするさまは爽快感がある。
最後に家を出る直前、ノラは初めて夫に向き合い、自分の考えをぶつける。ここで語られた思いが時代を飛び越えたかのようにフレッシュで、胸に響くものだったので驚いた。さすが現代まで読み継がれる古典作品と思った。作品自体はさておき、青空文庫にアップされている翻訳はかなり古めかしいので、新しい訳で再読したい。
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1879年にヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。1936年の日本語版を読んだので、日本語自体が古い書式だったが、大方読めた。戦前にこの本が既に日本にあったことに嬉しく思う。戯曲を初めて読む人にとっても読みやすい作品かと思います。
ただ、見所がラスト約10ページに込められており、過程が長いなぁという印象。
男性に従順な女性像を"人形"と表現し、そこから自らを解放し、自立していく女性をラスト10ページで描いている。それまでの解放に至る過程は、第一章が人形である状態、第二章が不安定な状態、そして第三章のラストで解放といったような構図
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セリフ本だから少しばかり読むのが面倒だが、ふわふわ生きているノラが最後はしっかり自分の意思を持っていることが印象に残った
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ものを考えようとしない享楽的だったノラが自立しようとする姿があまりにも変わり身が早く、そこが面白いところなんだろうけど、私は面食らってしまった。
でも、読後しばらくしてから、ものを考えようとしないからこそ子どもを置いて大してあてもないのに出奔できたのかしらとも思えてきた。
きっとこのあたりのノラのキャラクターをどう描くかが役者の腕の見せ所なんだろうな。
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読みやす〜い!
ノラの態度が最後で劇的に豹変したように見えるが、彼女が言う通りそれまでの彼女は演じていただけなんだろう。
「あたしは何よりも先に、あなたと同じように人間であると信じています、ーーいいえ、むしろ人間になろうとしているところだといったほうがいいかもしれません。」
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相手の思い通りになる「人形」である限りにおいて愛されてただけなんだと気がついたときのあの絶望感。思い出して苦しくなり、終盤は奥歯を噛み締めながら読んだ。
ノラの台詞に父から夫へ受け渡された、みたいな言葉があり、「あの子は貴族」にも似たような台詞があったので思い出した。もしかしたらあの子は家族はこの作品にも影響受けている?シスターフッドがある分あの子は貴族のラストの方が爽やかだけど、併せて読むと面白いのかも。
中盤までの主人公ノラはあまりにお馬鹿に見えるんだけど、「目が覚めた」後は教育がないなりにものすごく聡明で、こういう面を父や夫に抑圧されていたんだな、本来の彼女はこっちなんだな、と分かる。
イプセン、他の作品も読みたい。