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2016/09/27満足する立ち読み。
本は一気に読む方がいい。
戦国武将が好きな人なら読んでみると納得する本。あの状況はそうだったのかとスッキリする。
織田信長は経済的に裕福。
武田信玄はかなり不利。
経済の要所を押さえて勝つ。知多半島の瀬戸物工房、各地の津、貿易。
本能寺は武士の土地を守る価値観に反したから起こった。
とくに武田信玄はディスられているので見方が変わる。
流通が大事である事を実感した。
金を確保しないといけない、直轄領が大事。
結局金なんだ。
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経済の視点で見た戦国時代と織田信長、豊臣秀吉、武田信玄、徳川家康など有力戦国武将の話が面白い!
2016年読んだ本の中で最高の一冊。
もちろん著者による諸説のひとつに過ぎないのも考慮しなければいけないが、織田信長と武田信玄の経済格差による領民の心境などはリアルで両者の人物像のイメージが覆るほど。
戦国時代を歴史では「お金」をテーマに語られることは皆無ですが、そもそも戦争は経済的な事情で起こることも多いので「お金」抜きにした歴史の本質はないんだと実感します。
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今まであまり持っていなかった歴史の視点。
経済で見る戦国史はこんなにおもしろいとは思わなかったです。
経済的な考えからすると織田信長の先見性や独創性の凄さが
あらためて分かり、ただ周りがその発想になかなかついていけない。
本能寺の変もそのことが原因で起こったと考えれば
すごく腹に落ちます。
織田と武田の力の差も単純に合戦だけを眺めていても気が付かないことばかり。
織田は勝つべくして勝ち、武田には1滴も勝つ見込みがなかったことが
はっきりと分かりました。
元国税調査官の視点で見るとまた違う戦国史があり
それは今にも引き続いていることだということがよく分かりました。
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元国税調査官の大村氏によって書かれた、お金の流れの観点から見た、私の好きな戦国時代の解説本です。現在もそうですが、戦国時代も「お金=経済力」が力を持っていたのですね。
この本では、日本の頂点の近くまで上り詰めた有名な大名の「懐具合」について解説されています。お金を得るために、多くの大名が採用した、増税・関所の増設をする代わりに、織田信長のとった「楽市楽座」、この点は今までの本にはあまり積極的に触れられていませんでしたが、当時力を持っていた勢力(寺社、堺等)には多くのお金を出させる等、織田信長の経済改革センスの凄さを改めて感じました。
西日本の大名がなぜ、キリスト教を容認していたか、豊臣秀吉や徳川家康は、西洋国家と貿易によるメリットを捨ててまで、なぜ鎖国しなければならなかったのか、その中でなぜ「オランダ」を選んだのかがよくわかりました。
歴史を読むときに必要なことですが、現在の常識にとらわれず、当時の世界状況を頭に浮かべながら読む必要性を感じた一冊でした。
以下は気になったポイントです。
・室町幕府は、将軍の世継ぎ問題も将軍家だけで決定できず、周囲の家臣や大名が口を出してきて事が大きくなった(p15)
・応仁の乱の東陣営の首領である細川家は、足利家の支流の一つ、摂津・丹波・讃岐・土佐の守護、一族全体では、阿波・備中・和泉・淡路も治めていた、西陣営の山名家は、中国地方で11か国の守護(p15)
・室町時代の3代将軍、足利義満はそれまでの日本政庁の意地を捨てて、明に対して冊封を受け、明の皇帝から、日本国王に任命された(p17)
・遣明船の準備(合計で、50万石の大名の年貢収入)ができず、日明貿易の権利をばら売りするようになった(p18)
・足利尊氏にとって、後醍醐天皇の崩御後の南朝政権は恐れるほどのものでなかったが、足利政権内部でもめごとが起きると、反対勢力になったものが南朝に加担するので、将軍家の直轄領を削って家臣を引き付けていた(p20)
・室町幕府の大きな収入の柱は、「酒屋土倉役=酒屋と土倉(金貸し)に課す税」であった。彼らの利権を保護することで、税を吸い上げようとした(p22)
・そもそも武家とは、国の土地や荘園を無法に占拠し、武装して無理やり我が物にしてきた者たちである。それを正式に認めたのが鎌倉幕府(p28)
・守護大名と戦国大名の違いは、地域に根付いた実質的な支配権を持っているかどうか(p31)
・伊豆には堀越公方という室町幕府の重要な機関が置かれていた、関東一帯を管轄する室町幕府の出先機関、北条早雲は明応2(1493)に、滅ぼした後、伊豆を勢力圏とした戦国武将となった(p36)
・戦国時代において、生まれもよくわかっていないような身分から有力武将にまで登ったのは、実は豊臣秀吉くらい、他の戦国武将は「ある程度の家柄」で、その家柄規模はその後の国盗り競争にかなり影響を与えている(p39)
・中世の遺跡から、知多半島の土器が発見されていないのは、本州・九��・四国の中では、わずか2-3県。つまり、日本全国に流通していた。知多半島は、中世から日本最大の土器生産地域、日本有数の工業地帯であった(p42)
・江戸時代の遊郭・吉原の経営は、南知多の人々が担っていた、明暦3(1657)年の大火後につくられた新吉原では、20軒の揚屋のうち13軒が、知多郡須佐村出身の経営だった(p43)
・信長が朝廷に参内したときは、禁裏修理料として、4000貫目を寄付している。これは4万石の大名の年貢に相当(p43)
・今川義元が尾張に侵攻して「桶狭間の戦い」となった理由は、知多半島が欲しかったから(p44)
・調略によって今川にとられた鳴海城・大高城は、尾張から見れば、知多半島への「通用門」のような位置にあたる地域、今川軍の最大の目的はこれを守ること、義元は大高城を主戦場と見ていたが、信長は本陣を衝いた(p46)
・信長軍は、5月19日の早朝、清州城を出発して、昼過ぎには桶狭間で今川本陣を急襲している、40キロ以上を半日で踏破している、秀吉の「中国大返し」以上の超強行軍である(p48)
・天文18年(1549)に、織田信長が斎藤道三に対面した時点で、1700-1800人の直属部隊を持っていたので、桶狭間での直属軍は3000人は超えていただろう、これが、今川本陣の3000-4000人を不意打ちした(p52)
・信長は、領内統治がうまくいっていたからこそ、あれほど急速に、広範囲に兵を進めることができた。領民が反抗して一揆が頻発したり、年貢が納められていなければ、他国へ攻め入れなかっただろう(p59)
・信長の発行する「防御御礼」の場合、発行してもらえば、現場の部隊に矢銭を払う必要は無かった。厳しい軍規を守っていた(p65)
・信長の楽市楽座は、一地域に繁栄をもたらしただけでなく、日本全体の商体系の改革を促し、日本の物流を大いに発展させた(p66)
・大名は、基本的に直轄領からしか税を得ることができない、家臣に与えらえた知行地は家臣のもの。しかし、「棟別銭」は、領内全てに課税される、武田領ではこれが高かった、1582年に信長軍が信濃に侵攻したときには、百姓達が自ら家に火をつけて織田の分国にしてほしいと懇願した(p81)
・戦国時代のデフレの原因は、明からの銅銭の輸入が途絶えたから、残った銅銭も、悪銭が多く、精銭が希少であった(p91)
・信玄は晩年、100万石近い領地を持っていたが、その大半は、桶狭間の戦い以降、今川家の領地だった関東、東海地方に攻め込んで切り取ったもの(p94)
・信長の凄かったのは、だれもが欲しがる鉄砲を大量に集めることができた、それだけの「財力」と「入手ルート」があったので、他者を圧倒できた(p97)
・堺は、日本国内の物流拠点だけではなく、日明貿易の発着港で最大の貿易港であり、最先端の工業都市(鋳物産業の中心)であった、最も東に位置しているため、東日本の大名にとって堺は生命線(p100)
・足利義明は信長に、副将軍か畿内5か国を治める管領職につくように要請するが断り、「堺・大津・草津に代官を置く許可」をもらった、3つの港ともに、当時の日本物流��要衝、この3つを手に入れることで、琵琶湖を登って日本海側へ行く、西日本から東日本へのルートの1つを抑えた。伊勢湾から海沿い入るルートはすでに掌握(p103)
・火薬の材料としての硝石が国産化される1580年までは、ほとんどを中国や南蛮からの輸入に頼っていた(p111)
・武田信玄は、あらゆる手段をつくしても、戦費として7000両(2.1万貫)しか集まらなかったのに対して、信長が堺一都市に課した矢銭(戦争臨時税)が、2万貫であった(p113)
・人数の多さで押し切れる野戦はともかく、鉄砲・火薬など多くの兵器を必要とする攻城戦の場合は、装備の不足が如実に現れる。野田城の攻略に1か月、信玄が京都まで進軍できなかった最大の理由ではないか(p116)
・南蛮船と交易するために、諸大名達は、キリスト教の布教を認めた(p121)
・倭寇の鎮圧に力を貸していたのがポルトガルなので、ポルトガルは倭寇に代わって日本の海外貿易を担うようになる(p122)
・村全体が一帯となって信仰を守る体制(隠れキリシタン組織)は、江戸時代はおろか平成4年まで続いていた(p131)
・明治15年(1882)に東海道線が敷かれるまで、琵琶湖の水運は、西日本と東日本を結ぶ日本の大動脈であった、唐の侵攻をおそれた朝廷は、天智6(667)に、交通の便の良い、近江大津に都を移した。壬申の乱の後に都が「飛鳥」に戻されるまでの5年間は、近江大津は日本の首都であった(p147)
・太閤検地において、近江国は78万石であり、陸奥国についで全国2位、面積比では断トツ1位、日本で最も栄えていた地域・安土に、信長は城を建てた(p148)
・上杉の越後にある、柏崎と直江津の2つの港からの関税収入は、年間4万貫、30万石の大名の年貢収入(p166)
・島津家は琉球貿易に携わっていたが、琉球を通して、明・東南アジア・西洋と貿易していた(p182)
・信長の行った「国替え」んは、一旦家臣に与えた所領を没収し、ほかの土地を与えること。古代朝廷の「国司」、明治以降の「知事」に似たもので、武家政権での「管領」「守護」とは異なるもの、武家=土地の所有者から、土地の管理を任された官僚という形にしようとした(p196)
・荒木村重の反乱は、実は「本能寺の変」の前哨戦ともいえる、明智光秀と荒木村重には共通項がある(p200)
・貫高制は、米を作ったうえに販売までして銅銭を確保する必要があり農民にとって負担大であった。石高制は取れた米の一部を納めるだけ(p212)
・当時ポルトガルは、アフリカから黒人奴隷を仕入れてアメリカに輸出していたが、それと同様のことを日本でも行っていた。世界各地に日本人の奴隷が見られた(p220)
・秀吉は全国の主な金山銀山を手中にしており、慶長3年(1598)には、金銀合計で、300万石が入っている。これ以外に領地からの収入の220万石があった(p235)
・オランダは、スペイン・ポルトガルと異なり、プロテスタントであり、最大の目的は貿易=金儲けであり、キリスト教の布教を強く求めなかったので、家康はオランダとの交易��認めた(p243)
2016年11月23日作成
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元国税調査官が戦国時代のお金の流れを研究。
室町幕府は直轄領が少なく経済的にも常に困窮していたと言う話は応仁の乱関連の書籍でも触れまた、明との勘合貿易で儲けることが出来ず、有力守護大名に、安く売ったりみたいな話があったり。
織田信長の桶狭間の戦いを石高で見た時にそこまでの圧倒的な兵力差でもないこと。むしろ、経済的には信長の方が潤っていたという話は興味深かった。
武田信玄の国政の苦労話。上杉謙信や毛利元就が信長に匹敵するほどの経済基盤がありながら、後塵を拝した理由なども面白い。
戦国の世も現代も、この世の沙汰は金次第と言ったところでしょうか。
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経済の観点から見ると、歴史もぐっと読みやすくなる。昔も今も経済力がものをいう。
歴史上起こった事柄をツラツラと書くのではなく、「こういった経済状況だったからこうしたのだ」と理論立てて説明してくれるので、歴史アレルギーの私には非常に分かりやすく読むことができた。
徳川家康がケチで豊臣秀吉は織田信長の真似っこ。
イメージだけしか掴めていないが、歴史に興味を持つにはこういった視点から始めることも一つの手である。
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切り口が面白くわかりやすかった。ただし、私も作者も歴史学者でないのできちんと史料批判ができてるかは自信がない。
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経済的な観点から戦国時代を眺める、しかも分かりやすく軽やかな文体で。
室町幕府衰退は直轄領の切り売り、知多半島が経済的な価値を有しており、今川義元はそこを抑えに行った、信長の関所撤廃と楽市楽座やインフラ整備、破綻寸前の武田家、堺や南蛮貿易、高利貸しの比叡山、レジャー施設としての安土城、本能寺の変の理由は土地と武家を切り離す改革が原因?、秀吉の朝鮮出兵や家康の経済効率のいい天下取りなど。常備兵が強い説はどうかと思うけど、それ以外はかなり面白く読める。
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他の戦国時代の本では触れられなかった、金銭的な側面から見た歴史本。
桶狭間、信玄、毛利、上杉、本能寺…
なかなか面白い反面、
事実かどうかはよくわからない。
娯楽として読むには良い
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歴史を経済的側面からみる。
沢山ありそうだが、現代価値を随所に散りばめた解説は稀ではないか。
戦国時代の功績が今に繋がっていること、
そしてその改革の凄まじさが、それ以後の日本にないことの切なさを感じてあまりある。
どうして、日本発のイノベーション企業が今に少ないのか、もっと戦国時代を研究してみるべきかもしれない。
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オンライン読書会に参加してパパ友のプレゼンがイマイチだったが気持ちがこもっており、「お金」と「戦国時代」の組み合わせが面白かったのでにて手にした本です
信長、家康、秀吉、信玄、光秀などが行ってきた「領土の治世」と「他国との戦い」について金銭面から、人物像、歴史的定説とは異なる著者独自の見解が語られていました。金銭面なので、因果が明確でロジックがきれいなものなのでとても説得力があります。
いつの時代でも、何かを為そうととすると、大なり小なり必要となるお金。
戦国時代でも同様で、租税、貿易、場所代、関所税などでの収入、
そして、部下への給料、普請(工事)、寺社への寄進、武器・弾薬、食費などの支出。
その隅々について効率的に制覇したものが、勝つべくして勝っています。
著者は、その制覇の仕方、勝ち方にもそれぞれの武将が知略をめぐらしながら、目指すべく姿と現状に合わせて進めている有様を描き出しています。
一般的に言われている、武将の面影、性格が著者の金銭面からの切り口によると全く異なる人物像が映し出されています。
戦国時代とはいいながらも、領土の経営、戦のための戦略、人心の掌握術など、現代にも全く同じようなことが描かれています。
戦国時代なので、その選択ミスが命取りになってしまうところが大きく違いますが、
その考え方、そのものは何ら変わらないことがよくわかり今でも十分に得るものがありました。
「失敗の本質」(中央公論新社)は、第二次世界大戦の組織論、金銭面、戦略論が
描かれていましたが、本書はその戦国時代版といったところでしょうか。
しかし、決して固い本ではなく、著者が元「国税調査官(マルサ)」なので、
歴史好きも相まって面白くそして、鋭い視点で描き出されています。
本書は、何かを為すには、大小関わらず気持ちも大事ですが、戦略的な金銭感覚と
お金の使い方が大事であることを思い知らされます。
お金の「もらう」のも、お金を「払う」のも、そこに気持ちを乗せることがいかに大事かと思わせてくれるる本でした。
戦国武将の新しい切り口を得たい人、戦略論好きな経営者、信長好き人にお勧めの本です。