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鯛焼きと珈琲だな。僕は
学生時代には片岡義夫さんの本に出てくるような大人になるのが夢だったんだ。
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片岡節炸裂の短編、喫茶店を通じて関連があり、しかもクドい最終話でのまとめ方、好き嫌いの分かれるところ。持ち物衣服振る舞いの解説はファッション雑誌!心に余裕がある時はいいんだけど。
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珈琲をキーワードとした短編小説集。著者自身が経験したことを頭の中で再構築したような登場人物の会話が好きです。文具ファンもちらっとですが楽しめます。
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子連れで地元に戻ってきた幼なじみと
「結婚」をしないまま、新しい「家族」の
かたちを示していく『朝日新聞』連載の
表題作ほか、あらゆる小説的企みと
歓びにみちた「珈琲」をめぐる5つの物語を収録。
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ストーリーが平坦な流れで、かつ会話が不自然なもの。
著者の年齢を考慮すれば仕方のないことか…
食べ物や珈琲が出てくるが、さほど詳細な描写ではない。
退屈な一冊
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いつもの乾いた(さらっとした)感じの男女の話、同じような場面が色々な短篇集で出てくるのでチョット錯覚をおこしそう。「桜の花びらひとつ」以外は佳作。
コーヒーを漢字で珈琲と書くとなぜか日本茶の如く感じられ豆大福と合うみたいと陥る。
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タイトルに惹かれて手にした一冊でしたが、失敗した…
短編集でありながら、どれもおなじよーなにたよーな話。意識高い?のか、この良さが解らなければ読まんでええわ、ってな感じなので、もうこの手の本は止めておこう…
①かつての同級生か幼馴染でまとまる
②女性は歳よりも遥かに若く見える(40代半ばだが30にしか見えない)美人のキャリアウーマン、男性はクリエイティブな居職のプロフェッショナル
③どちらかがバツイチなりの経歴を持つ独身
④これってイケてるっしょ?って云う空気
自分には「まるごとソーセージとファンタ」くらいのジャンクさが似あってるみたいなので。ごめんなさい。
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無駄な言葉を削ぎ落とした読み心地の良かった。
男女の会話もさっぱりしてて キザに見えるセリフも片岡小説ならありだと思う。
一世を風靡した片岡義男さんが健在で嬉しかった✨
そんな彼ももうすぐ80歳と聞いて 時の速さをため息ひとつです。
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・豆大福と珈琲
「朝日新聞」 2014-10-01~2014-11-01
・深煎りでコロンビアを200グラム
「小説トリッパー」2016春季号
・鯛焼きの出前いたします
書き下ろし
・この珈琲は小説になるか
書き下ろし
・桜の花びらひとつ
書き下ろし
の5編の短編集。
片岡としてはなかなか秀逸。
・豆大福と珈琲が一番好き。
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表紙の感じがカッコ良かったので手にとる。
今気づいたんだが、女の人が2人、いる。
表題の豆大福と珈琲、は好きだった。
他の話も登場人物の感じは同じなんだけど、
正直、誰が誰か分からなくなってしまって…。
ラストの話で結構まとめてくれたもは助かった。
当意即妙な会話感。頭がよい人達感が強い。
かっこいいなあっとは思うけれど、
頭の回転が遅い私にはきっとこの会話にはついていけないだろうなあっと気後れしてしまう。
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突拍子もない題名がラストでしっくりくる
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P37
生きる日々とは、いろんな作業の連続だよ。
そこに仕事が重なる。
そのような日々のための場所は、自分の家だ
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先程NHKの「情熱大陸」で上野千鶴子を観たが、
それを連想する、新しい、風通しと見通しの良い生活、
男女、家族の距離のとり方がいい感じの話だった
上野は
①父親が亭主関白で母親が苦労していた
②介護などで使われる「家族のような」は嫌い。
家族が一番手では決してないから
と言っていた。
だからこその距離感なのだろう
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豆大福のおいしそうな描写からはじまる。
読んでいる最中に2つも豆大福を食べてしまった。
(2日に分けて)
行きつけの喫茶店を持ちたくなる。
男性から見て素敵な女性がでてくる本。
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『珈琲が呼ぶ』( https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/4334979769 ) というコーヒーにまつわるエッセイを読んだら関連図書としてあがってきたので、じゃぁと読んでみた(たまたま地元の図書館にもあったし)
。
『~呼ぶ』と前後しているが、微妙に本書のほうが早そうだ。いや、ほとんど平行してなのか、そこはかとなく内容がカブる。特に、本書4作目「この珈琲は小説になるか」の以下の記載、
「この路地のなかほどで、ミロンガとラドリオという二軒の喫茶店が、斜めに向き合っていた。
この路地の景色は20年前とほとんど変わっていない、と矢吹は立ち止まって思った。」
は、『~呼ぶ』の、「ミロンガとラドリオを、ほんの数歩ではしごする」とモロにカブる。
「ここで言う僕の東京とは、ほとんど変わることなく残っている場所のことだ。」
ということは、小説である本書の主人公の行動は、ほとんど著者の行動がモデルになっているということが分かる。翻訳者や作家の主人公が、喫茶店、珈琲などを題材にささやかな人間関係をスタイリッシュに描き出す。
だがしかし、文体、作風が確立しているからか、安心して読み進めていけるのだが、70代半ばの著者(本書執筆時)が描く30~40代の登場人物たちは、およそ当代の30代、40代じゃない。老境に達しても、同年代の物語としない気概たるや、なかなか若々しいのだが、どうなんだろうなあと思いながら読んだ。
まぁ、それが片岡ワールドなんだろうな。
初出がメディアだった「豆大福と珈琲」「深煎りでコロンビアを200グラム」は良かった。書下ろしの残り3作は、ほとんどやっつけ仕事っぽい(苦笑)。「桜の花びらひとつ」で、それまでの登場人物を絡めて最終話で、うまくまとめようとしたのだろうけど、そもそも、そういうつもりで書いてないだろうから、それほど上手く回収できているとは思えなかった。
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久しぶりに何か難しいかも…ていう本を読んだ(笑)
コーヒーを通して色んな話が展開されてて最後は
駆け足で読んだけど面白かった!
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1. 豆大福と珈琲
2. 深煎りでコロンビアを200グラム
3. 鯛焼きの出前いたします
4. この珈琲は小説になるか
5. 桜の花びらひとつ
4つの物語の登場人物が5で一堂に別々に登場する短編集。
おしゃれな雰囲気の「物語」を、その場の空気感を想像しながら楽しむ本だなぁと思いました。ストーリー自体の面白さに引き込まれてぐいぐい読み進めるのではなく、珈琲を飲みながらその空気を想像する本。
わたしにはどの短編も登場人物を覚えるのがむずかしく、最後の桜の花びらひとつでうまくつなげて想像することができなかった。
全部が淡い雰囲気の物語で、難しかったなぁという印象です。