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琉球で生まれ、名古屋でその生を閉じる一人の女の人生。
「何か」を求めて、たくさんの「何か」を捨て、自分の生きたいように生きていくこと、それはもう今の私たちとは比べるべくもなく困難な人生だったと思う。
いや、違う。ツタが何を求め何を捨てたかったのか、は、もしかすると時代も場所も違えども私たち女のだれもが心のどこかに抱いている思いなのかも。そうだそうだ。別の名前で生きていくこと、夫や子供を「捨て」てさえ「自分」であるなにかを求めること、そしてこころに積もるなにかを外に向かってはき出すこと。それは私たちすべての女が求め続けているものなのだろう、きっと。
この物語の中にはツタの人生が詰まっている。けれどこの物語の行と行の間にはもっと多くのツタの思いが隠れている。その、表には見えないたくさんのツタの思いと人生を、私は見たい。ツタとして生まれ、千紗子として生き、そしてツタとして死ぬ。その全てを見たいのだ。
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明治の終わりに沖縄に生まれた「幻の女流作家」の数奇な運命。
「書くこと」に目覚め、そのことによって現実の生活から離脱し、自分の心を解き放てると知ったツタ。
千紗子という名で思いがけず婦人雑誌に投稿した作品でデビューする機会を得るも、待ち受けていたのは、思いもよらない抗議。
翻弄され、時代の隙間に落ち、やがて忘れられていく。
故郷に戻ることができなくなっても、ツタには愛した充がいて、友人のキヨ子がいて、作家として立つことは叶わなかったけれど、ツタの死の間際の平安が、私にはよくわかる気がする。
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幻の女流作家ツタの生涯を
ツタの心の内が細かくや丁寧に描かれていて
小説を書く、書かざる得ないその衝動や
また、書いたものへの反響に潜む
偏見や差別が透けて見え
本当に興味深かった。
ツタが辛い時、文章を書くと
それを俯瞰してみることができ
心が解放されたのに対して
それは、私の本を読む
ということとも通じるなぁ
と感じた。
ツタのふんわりとした穏やかな臨終、
どんなに波乱の人生であっても
誰しもがこういう人生の閉じ方だと
いいなと思う。
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千紗子という新たな名前を持つこと。
心の裡を言葉にすること。
自分を解放するために得た術が
彼女の人生を大きく変えた――
明治の終わりの沖縄で、士族の家に生まれたツタ。
父親の事業の失敗によって、暮らしは貧しくなるが、
女学校の友人・キヨ子の家で音楽や文学に触れるうち、
「書くこと」に目覚める。
やがて自分の裡にあるものを言葉にすることで、
窮屈な世界から自分を解き放てると知ったツタは、「作家として立つ」と誓う。
結婚や出産、思いがけない恋愛と哀しい別れを経て、
ツタは昭和七年に婦人雑誌に投稿した作品でデビューする機会を得た。
ところが、待ち受けていたのは、思いもよらない抗議だった……。
「幻の女流作家」となったツタの数奇な運命。
一作ごとに新しい扉を開く、『ピエタ』の著者の会心作!
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実在の人物をモチーフにしたフィクションだそうである。主人公のツタ(千紗子)は、いつでも何をしていても、自分が本当の自分でないような心許なさにつきまとわれ、ある種現実離れした浮遊感の中で一生を送ったように見える。一面を見るととても運がよく恵まれているようにも見え、違う一面を見ると、これほどの不幸があるだろうか、というようにも思われる。それはもしかすると、彼女自身が自分が何者かという確固としたものを持てないままで生きていたからなのかもしれないと、ふと思う。いまわの際の回想録のような体裁で描かれているからなおさらだろうか。ツタの一生をたどり直して共に生きた心地がして、彼女のことを思わずにいられない一冊である。
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沖縄で生まれたツタはいまわのきわで来し方を振り返る.作家になりたかったツタ,結婚して子供を亡くしたツタ,離婚そして年下の夫との恋と生活,この一代記が,ツタが千紗子になってツタに戻る最後の場面に凝縮されて胸を打ちました.同時に沖縄の哀しみのようなものも伝わってきます.
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むー。大島真寿美さんに求めていたのはこういうのではないのに。ちょっと冒険したのかな。一人の女性の一生が書かれているのに、ふわふわしていて捉えどころがない感じ。好きではない。
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「幻の女流小説家」と呼ばれることになったツタは、けれどただの一度も本を出版したこともなければ、自身でそう名乗ったこともなかった。彼女がどうしてそう呼ばれたのか、その半生からたどってゆく物語です。
耳元に呼びかけるような、話しかけるようなどこか柔らかな抑揚のついた文章で紡がれるのは、まっすぐで不器用に、けれど自分に正直に生きてきたたくましい女性の姿。
ツタよ、ツタ。
それであなたは本当に良いの?
そんなふうに投げかけたくなる無軌道さもあるけれど、自分を信じて自分の大切な人や信じるもののために生きる姿は、羨ましいようなあっけにとられるような、そして「でもしょうがない、あなたはあなたなんだから」と苦笑交じりに頷かずにはいられないような、そんなくっきりとした彼女らしさに満ちている。
彼女の人生を素晴らしいとかかっこよいとか、そういう風には思わないしそう描いてもいないけれど、さまざまな運命に翻弄されながら、違う名前を得て活き活きと人生をまっとうした彼女の姿は、窮屈に肩を縮こめがちな現代に、とてもうらやましくまぶしくも感じられたのでした。
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大島さんなのにハズレなの?と途中で投げ出してしまいたくなるほど序盤戦はつまらない。
筆を折った女性の一代記、書けない人を書ける人が描くわけだからそのたどたどしさは演出かと思うのは勘ぐり過ぎか。
兎に角そこさえ我慢してしまえばあとはいつものようにグイグイと物語に引き込まれ名を変え不遇を生きたヒロインを通して「人生」 を考え共感し落涙のラストを迎える良書。
今際の際にその人の一生が走馬燈のように蘇ると言うがそれが妙にリアルで心に響くのは作者の技巧かそれとも自分が歳を取ったのか。
やはり大島さんにハズレなしである
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明治の終わり、琉球の士族の娘として生まれたが、没落。名古屋へ嫁いだが、離婚。別の相手との結婚。投稿を繰り返していた雑誌から、突然掲載の話が持ち上がる。
「千紗子」というもう1人の自分は、幼い頃から書きたい!という衝動を育んできた。ついにその時が来たのだ。全てを注ぎ込んだその手記は、掲載されるや否や、思いがけない反応が返って来る。
離婚したものの、その後のツタの人生は、波乱とはいえない。ツタの密かな情念が生んだ衝動は実を結ばなかった。淡々と進む物語。大島さんらしく突き放した表現。入り込めない、込ませない客観的な視線が、物語の核心をあぶり出す。
ツタよ、ツタと呼びかけたのは誰だったのか。作者の大島さんが、そう呼んだのだろうか。
人生が終わろうとし、「千紗子」ではなくツタの名を呼ばれ、葬儀が行われるであろうこの女性に・・・。
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「久路千紗子」として「ツタ」が書いた琉球の話をめぐる騒動は、沖縄への差別と女性に対する差別の二重構造だったのだろう。
この話とは別に、差別される側ではさらに女性はその下、という事実は昔からよくある話。
先日の、森喜朗(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の会長)の女性蔑視発言を見ても、変らぬ意識の根強さにはガッカリ。
ツタの話に出てくる、父や二人の夫について、今でこそ『それってDV!』と指摘できるが、そんな言葉も知らないまま過ごし続けたツタやその母のような女性が日本にはワンサカいるんだなあ、と感じ入った。本筋から外れた感想でゴメン。
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正直、大島さんの文章力が無かったら読み終えられなかったとおもう、なんでこの人を題材にしたんだろう。読み進めても読み進めても、顔の浮かばない人だなと思った