紙の本
‘おとな’は意外と難しい
2019/11/03 16:50
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:美沙紀 - この投稿者のレビュー一覧を見る
高学歴である事が知識人ではない様に、年齢だけでは人をおとなか如何か判断することはできないと改めて気づかされた一冊だった。ことばづかいや立ち居振る舞い、無意識の際している行動がおとなとして恥ずかしい振る舞いでないか自分を省みてみると反省するべき点も多数あり恥ずかしくなってしまった。もっと自分の言動に注意しないといけませんね。
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威張ることなく、慎んで生きるのが大人である。正しい言葉遣いや歩き方など、気をつけてできるものもあるようだった。同じエピソードが何回も書いてあった。。
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大声で叫ぶようにしてしゃべる人は、たいてい、よく考えていない。借りものの言葉をただまくしたてているだけ。偽りのセリフだから立て板に水のようにしゃべりまくることができる。他方、大平正芳首相は、たえず言葉に詰まり、アーとかウーとかを挟んでしゃべっていた。雄弁家からは馬鹿にされたりからかわれたりしていたが、「アー」とか「ウー」とかの合いの手を取ると、ほぼ完全、正確なセンテンスであったことが没後、判明している。言葉に自信を持てないから、間が持たないから、つい早口になる。大人は早口でしゃべらない。余計な声は出さず静かに笑っている。
かつては若いうちに大人になることができたけれども、いまはそうはいかない。問題は中年になっても大人になれない人が少なくないこと。手遅れになる前に大人になるための努力をはじめなくてはならない。苦労による経験拡大の方途をさぐるのが知的人間の生き方。本書は、様々な視点から大人の在りかたを学ぶことができる。
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戦前までに築き上げられてきた日本人の大人が自然と身に付けていたものを、戦後の教育によって、学校は生活を身に付ける場所ではなくなってしまい、子供のままの大人が増えてしまった。
著者の考える大人になるためには何をやるべきかが書かれている。
このような著者の考えをまとめた本も自分の価値観を振り返る機会になるので、良い機会を得られると思う。
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こういう本が出るほど世の中に大人と呼べる人が少ない時代なのか。。日本語は曖昧な言い方をするけど、曖昧は平和なことばであって、洗練された言語は必然的に婉曲で多義的になる、っていうところがなるほどと思った。
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つつしんで歩く。心の持ちようが歩き方に出るとのこと。
自分のスタイルを持つ。この場合、スタイルとは人柄を表す。生活からそのスタイルが成り立つ。ただ、学校生活では半ば生活を停止させているから、スタイルが育ちにくい。
落ち着いた声で話すのが大人である。
曖昧な言葉にも美学がある。論理的な場合が求められることもあるが、曖昧さも大切だと感じる。
言葉を包むのが大人。むき出しで話をしない。いかにも日本的である。
言ってはいけないことを知るのが大人。
団体生活が大人を作る。
共同生活による人間形成を考えず、知識の習得のみを目指してはいけない。知識があれば立派な人間であるというのは勘違い。大きな子どもを育てただけである。
経験は最良の教師なり。イギリスの哲人、トーマス・カーライル。ただし、月謝がひどく高い。と続く。
裁くのではなく、応援するのが大人。
相手を大切にするのが大人。
威張らず、腰が低いのが大人。
広い世間を知るのが大人である。
真似ではなく、自分の頭で考えるのが大人。
記憶中心ではなく、生活が大人を作る。知識を借りるのではなく、試行錯誤をする。
言葉使いはケースバイケースだと感じた。曖昧さが必要な時と、明確さが必要な時。この使い分けも大人なのだろう。
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なんにも内容がない、赤提灯の酔っ払い爺いレベルの若者への愚痴、なのに何故かなるほどと読めてしまう説得力。なんなだろうと思ってると読み終えます。
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さらっと読める本。90年以上世間を観察されてきた著者ならではの言葉が多い。大人の嘘。レトリック。自分も、バカ正直で幼稚だと思う点があるので、生活を重んじるべきという意見には納得。
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本質を得ているなと思いました。大人になることは難しい。そして、大人であり続けることも難しい。高齢化社会ではあるけれど、大人度の高い人がごどれくらいいるかと考えると、疑問だ。
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外山滋比古さんの作品、ブクログ登録は4冊目になります。
著者、外山滋比古さん、ウィキペディアで、どのような方か、再確認しておきます。
外山 滋比古(とやま しげひこ、1923年11月3日 - 2020年7月30日)は、日本の英文学者、言語学者、評論家、エッセイスト。文学博士。お茶の水女子大学名誉教授。全日本家庭教育研究会元総裁。外山家は法海山龍護院妙光寺の旧檀家である。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
200万部のベストセラー『思考の整理学』著者である外山滋比古先生が語る、本物のおとな論。
正直ではなく、白いウソをつくのが大人である。
裁くのなく、他人を応援するのが大人である。
真似でなく、自分の頭で考えるのが大人である。
知性あるおとなとしての生き方のヒントが満載です。
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今で言う非認知能力の話などが多い。
・白い嘘/黒い嘘/毒のある嘘
・生みの親より育ての親
・怒鳴り声で知的なことは言えない
など、おもしろいなと思った考えや表現が印象的。星3か4かは悩みどころ。
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大人たる、やはり、難し
大きな子供に対する、大人を論じる書
気になる点は以下です。
・歩き方はなかなかデリケートなところなところをあらわす。長のつく地位にある人たちは、たいていそれらしい歩き方をする。賢人は、歩き方をつつしまないといけないだろうが、そんなことにこだわるのは変人かもしれない。
・歩行は、その人の人間の生き方にもかかわる。その人の、ものの考え方にもかかわりがあるように思われる。散歩によって、にぶい頭脳のはたらきをよくすることも可能であるように考えられる。
・自分の頭で考え、自分の生活で試行錯誤の末に到達するところに、その人間のスタイルがある。友もなく孤立、いちいち自己の判断によって生きる。そういうところから、スタイルが生まれる。
・わかり切っていることを言うのは蛇足である。
・低い声の方が説得力がある
・立て板に水のしゃべり方は、多くは知性の欠如による。考えないでしゃべるから、スラスラ話せる。考え考え放せば、大平(元首相)式になるのである。
・日本人もゆっくり話すのは知能が低いように錯覚した。
・大人は早口でしゃべらない。よけいな声は出さない。しずかに、笑っている。
・ダメだとはっきりいうのは幼いことばである。むずかしいと思いますが、考えてみましょう、というのは相手を思ってのやさしさである。
・やわらかい、やさしくて、なんとなく味のあることばは、長い伝統をももっていて、あえて、アイマイなのである。
・アイマイに平和なことばである。論理は攻撃的である。洗練された言語は必然的に婉曲で多義的になる。
・親しい友人同士が、電話やケイタイでケンカするというのも、間にキカイが介在すると、ことばがむき出しになりやすいからである。顔が見えない分、遠慮がなくなる。
・むき出しの本音を言い合えばケンカになるにきまっている。それを避けるには、修辞学、レトリックが不可欠である。文法は知っていても、レトリックを知らなければ、野人である。
・敬語は、尊敬しているから使うのではない。ことばのたしなみである。
・ことばが長くなれば、それだけていねいになるのは、いわば国際的センスである。
・今の学校教育はヨーロッパの模倣である。人間を育てるには、知識教育だけでは不十分であるということを考えていない。
・イギリスの哲人、トーマス・カーライルは、「経験は最良の教師なり」と言った。さらに、「ただし、月謝がひどく高い」と付け加えたのである。つまり、失敗、不幸、難苦などの経験が、人間を育てる最大の力であるというのである。
・大人になると、バカ正直でもウソというよりもよいというワカラズ屋がふえて、ややこしくなる。大人のくせに、ひとのことを考えるゆとりがないのを美徳と誤解する野暮天が偉そうな顔をする。
・「応援しています」と言えるのは名医である。たわいない病人は、先生の、応援しています。という言葉に、どれほど力づけられ、励まされるかしれない。
・権威をもっているもの、エリートであると自覚するものは、いつまでも幼稚な自己中心的な考えをすてることができない。
・先生と言われるほどの人で、思わぬ幼さが露呈するということが、なぜおこるのか。人間の不思議なところである。どうも専門知識のせいである。せまい分野に精通すると、天下を取ったように勘違いするかもしれないが、専門の外側のことはまるでわからないのである。
・知識が多すぎると、人間、どうしても、賢くはなれない。
・モノ真似でなく、自力で生きる生活力があれば、知識と技術のかたまりのような機械にやられっぱなしということはないはずである。
・生活は、たとえて言えば、実験のようなものである。やってみなくてはわからない。うまくいくとも限らない。失敗がつきもの。試行錯誤である。
・自分の頭で、実験し試行錯誤の苦労を恐れないのがA級人間である。
・模倣は易く、失敗は難し。知識は安く、生活が貴重。B級の優等生よりA級の劣等生の方が、すぐれているのである。
・喜怒哀楽を正直に面に出すのは未熟なのである。ケンカよりダマした方がいい、という危険なことも考える。ポーカー・フェース、何を考えているのか、わからないのがりっぱな大人なのである。
目次
はじめに
1 大人の生活
2 大人の会話
3 大人の作法
4 大人の育成
5 大人の愛情
6 大人の苦労
7 大人の知性
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かなり古い考え方の内容で、色々な意味で衝撃でした。中には納得できる話もありましたが、全体的に時代に合っていない気がしてしまいました。それは私が『大人』ではないからなのか、それともこの本が現在の価値観と合っていないのか。どちらなのかは判断のしようがありませんでした。あまりにも価値観が合わないので読むのに疲れていましたが、最後の章は面白かったです。
専門知識を持った人間、所謂先生と呼ばれるような人たちはある意味馬鹿になってしまう、というもの。
専門知識が自分を賢いと勘違いさせる。せまい分野に精通すると、天下を取ったように勘違いするかもしれないが、専門の外側のことはまるで分からない。それを分からずにどこでも偉そうな態度をしてしまい、馬鹿を露呈してしまう。らしいです。
馬鹿という言葉があまりにも幼稚なので、好きではありませんが少し納得しました。
どんな仕事でもある程度専門性が必要になると思います。その特定の専門分野に精通している人間が仕事の上ではすごい!となるわけですが、それがその人の賢さを表している訳ではない。しかし、今の社会では、知識がある=賢い・偉いとなっている側面がある。それが知識に執着する要因にもなるわけですが、知識ばかりを追い求めると、すごく狭い世界で生きてしまうことになるんだなと感じました。