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応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱(中公新書)

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 みんなのレビュー

新書

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みんなのレビュー54件

みんなの評価4.2

評価内訳

  • 星 5 (15件)
  • 星 4 (19件)
  • 星 3 (15件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
46 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

なるほどと思える

2017/01/19 01:05

2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:栞ちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

応仁の乱という、ほとんどの人が知っているけれども、その詳細はよく知らない歴史上の大事件の詳細を知ることができる本。その発生原因から、長期化した理由、その混乱の意味などが、分かりやすく書かれている。

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紙の本

意外と知らない

2017/01/03 16:42

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る

応仁の乱の裏側(実は表側なのかもしれない)をわかりやすく一般人向けに解説してくれています。前回の下剋上の話といい、わかりやすい。
これが真実かどうかは個々人の検討が必要です。

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2017/03/26 06:28

投稿元:ブクログ

何だか売れているらしい。やたら登場人物が多く、その経緯を追うだけでも大変な「応仁の乱」。それをわかりやすく叙述しているのかと思いきや、前半から中盤にかけてはやはり難しかった。

しかし、乱終息後の叙述、つまり時代が「戦国時代」に入っていくあたりからすっきりと見通しがよくなってくる。途中で挫折し掛かっている方はむしろ最後をまず読んでから最初に戻ったほうが読みやすいかも。

結局、応仁の乱とは何だったのか。それを著者は守護在京制の解体と位置付ける。つまり、京都中心主義の時代が終わり、「地方の時代」(戦国大名の領国経営)の始まりである。

と、書いてしまうと身も蓋もないが、結局はそういうこと。しかし、原史料を駆使して同時代を生きた人々の生の声をできるだけ叙述に反映させようとしている。その意味で大変面白く読んだ。

2017/04/29 18:57

投稿元:ブクログ

応仁の乱と言えば、無気力な将軍義政に、好戦的な弟義視、狡猾な富子・・・とわかりやすい人物が描かれるのみで、戦闘の主役たちがなぜそのような行動をとったのかの観点で語られることは余りなかった。本書は奈良興福寺のトップ経覚と義尋の記録を基に、乱前の大和争乱から乱後の明応の変あたりまで、登場人物たちの行動を克明に描いていく。何故そのような行動をとったのか、10年もだらだらと戦い続けたのか、というような何故の答えまで用意されている訳ではないが、もうちょっと考えてみると面白い。

思うに、細川勝元も山名宗全も、源平合戦以来の武士の行動原理に従っているが、現代の我々はその後訪れた戦国時代の大名の有り様を知っているから、どうしもそちら側の眼鏡で見てしまう。戦国時代の大名たちは領域を支配し、そこで軍事力と経済力を養成し、基本的に領域を拡大することで成長を遂げようとした。しかし室町中期までの武士は荘園制を前提に生きており、武士とは荘園の管理人であり、その棟梁は京都を確保することで正当性を得、守護とはその地に駐屯して荘園から軍事費や賦役を徴発する存在だった。後代の常識からすれば、京都で戦っている間に本国の方を占領してしまえば良いのに、となるのだが、そのようなことを実行したのは越前の朝倉孝景くらいで、故にこそ彼は戦国大名の先駆になった。

本書の面白さは経覚や尋尊という荘園制の旧体制にすがって生きる人々の視座で描いている点にあるのだが、荘園制から目覚めていく武士の側はあくまで客体として登場するところが限界なのかもしれない。河内の暴れん坊畠山義就のモチベーションは何か、細川勝元は幕府と細川家のどちらを大事に考えていたのか、朝倉孝景はどこをどこまで計算していたのか、など、目覚めゆく武士たちの苦悩と葛藤もまた面白かろうと思うのだが、残念ながらこのような人々のそばで記録を残した人はいないので、どうしても旧体制側から描いていくしかないのだろう。

2017/04/16 19:54

投稿元:ブクログ

登場人物が沢山出てきて、あまり知らない人物ばかりなので、ノートに人物名と西軍、東軍どちら側かとメモしながら、読んでいったのですが、それでも東軍だったのが、西軍に寝返ったりするので、最後はわけがわからなくなった。

2017/05/05 19:11

投稿元:ブクログ

歴史学に携わっているわけでもない身内に、とても売れているのだけど、面白いからかどうか、読んで聞かせてくれ、と謎の依頼を受けて読了(笑)
私、得意は世界史だったんだけど……。
しかも鎌倉以降は知識さえ、薄いんだけど……。

というビギナーでも「なんとか」読めます。
途中、東軍と西軍と、えーと義政が命を出して、義視が寝返って、義尚とは仲悪くて……結局なんのために戦ってたの?ってなりましたが。
最後の義材にそっぽ向く守護、奉公人、切ない。

語りのベースキャンプ地、興福寺が良かった。
平家に燃やされて、それ以降をあんまり知らなかったので、武力にしてもお金にしても、かなりの力を持っていたんだなぁ。
筆者は興福寺があったから、大和は戦乱の波及を免れたと書いていた。あとお風呂の規模知りたい。

さて。何度「だらだら」という副詞が出てきたことか(笑)
マイナーが故に、敬遠されてきた応仁の乱に、こうして分かりやすく俯瞰している新書がマッチしたことは、なんだか分かる気がする。
分かりやすさは、浅さではない。
浅い比喩と、難解な定義を軽い言葉に言い換えたために、余計に読み苦しくなった本もある。
筆者の呉座勇一さんの若さにも驚き。

ただ、分かりやすい本の難点は、分かったつもりにさせられていることでもある。
近々もう一冊くらい読んどかないと、せっかく頭に入れた流れが消えてしまいそう。

2016/10/26 21:35

投稿元:ブクログ

基本としたい史料を設定し、それを軸に様々な先行研究や別史料も顧みながら、「知られているようで、然程知られていないかもしれない」を手際よく説く、「歴史関係の話題を扱う新書」としては「非常に“らしい”」感じなのだ。煩雑な事象について、一定の「観測する窓」のようなモノを設定した中で手際よく語られるので、少し夢中で読み進めてしまう感じだ…
「応仁の乱」の複雑な展開…本書を通じて、非常によく判った!!

2017/04/15 23:17

投稿元:ブクログ

新書としては異例の売り上げを記録しているらしいが、応仁の乱の経緯をわかりやすく説明したものではない。
興福寺の高僧の記録に多くを拠っているのが特徴で、京都よりも大和・奈良の記述が多い。また、かなり細かな事情や推移も詳細に語られるので、かえって全体像が見えにくい。だから、応仁の乱について手っ取り早く知りたいという需要ではなく、既に一定の知識があって更に詳細に理解したい読者に応えたもの。
その意味では、ここまでがっつりベストセラーになるべきべき本ではなくて、もっとニッチにだらだら売れるべき本だったんじゃないか。とはいえ、、それはそれでその硬派な感じはさすが中公新書だと思う。

2017/01/23 14:22

投稿元:ブクログ

〈目次〉
はじめに
第1章  畿内の火薬庫、大和
第2章  応仁の乱への道
第3章  大乱勃発
第4章  応仁の乱と興福寺
第5章  衆徒・国民の苦闘
第6章  大乱終結
第7章  乱後の室町幕府
終章   応仁の乱の残したもの

〈内容〉
室町時代の興福寺の『大乗院日記目録』『経覚私要鈔』をベースに尋尊と経覚という二人の僧侶の視点から大和と応仁の乱を詳細に描いている。応仁の乱の内容は勿論、その前後にもかなり詳しく言及されていて、山城の国一揆等についても良くわかります。高校の授業で使うには詳細すぎるが、教師はここまで知っている方がいいかな⁉室町幕府の弱体化と体面ばかり気にする将軍義政、友情とかメンツが念頭にある武士たち、となかなか面白かったです。

2017/04/04 21:02

投稿元:ブクログ

近所にお墓がある人がこんなにがっつり応仁の乱に噛んでるとは知らなかった。勉強になった。またお墓参り行こう。

2017/01/02 22:22

投稿元:ブクログ

なかなか面白かった。
日本史有数の大乱であったにもかかわらず、その実際については戦国時代ほど知られているわけではない「応仁の乱」について、出だしを大和国の視点で説き起こすという新しい切り口で叙述した著者の野心作であると思われる。
ただ、野心作ということもあるのだが表題として『応仁の乱』というのはいささか不正確なきらいがあり、叙述内容からいって『大和国と応仁の乱』または『興福寺大乗院と応仁の乱』とでもすべきだろう。

興福寺大乗院門主にして興福寺寺務(別当)であった経覚と尋尊の目で辿る応仁の乱。それぞれの日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』を主なテキストとし、応仁の乱の前提のひとつである大和国の争乱から叙述を始めるところが目新しくとても勉強になった。
『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という両者の立場で比較的に応仁の乱全体を見通すことができ、また大和国という守護不設置で衆徒・国民が割拠しながらも敵対したり一揆を結んだりと混迷を繰り返す大和国の特殊事情が興味深いため著者もこの舞台背景にしたものと思われる。

尋尊の『大乗院寺社雑事記』は高校教科書にも登場するお馴染みの史料なわけだが、今回、経覚の『経覚私要鈔』と相照らしてみてそれぞれの性格からくる分析態度の相違にはなかなか興味深いものがあった。
九条家の出である経覚に対し、経覚が将軍足利義教の逆鱗に触れ更迭された後、尋尊が二条家より新門主として迎え入れられたという過去を持つ二人。著者によればその性格も対称的なものであるという。
先例にとらわれず柔軟に対処するが長期的展望に欠け、その場しのぎの対処をすることもある経覚に対し、常に冷静沈着で軽々しく判断を下さず記録を調べ先例により方針を決定しようとする尋尊。悲観的でことあるごとに「神罰が当たる」とか「仏敵」とか口汚く罵るのも尋尊である。
この辺りの視点の相違というのもなかなか面白い。

さて、「応仁の乱」であるが、著者によると東西両軍ともここまで長引くものとして争乱を起したのではないとする。
もともと畠山家の内紛により義就方と政長方に分裂したのが大乱の主要な引き金だったとするが、山名宗全が反細川連合を目的に義就を京都に呼び寄せ、放っておいても義就と政長の御霊合戦では義就が勝ったと思われるのに宗全が味方し、メンツを潰された細川勝元が宗全に対し決起したというのがそもそもの起こりで、それに将軍家、斯波といったお家騒動を持つ連中たちが次々とくっつき、大内や赤松など別の野心を持つ者なども呼び寄せた挙げ句に収拾がつかないまま11年にも及ぶ大乱になったということである。

大乱では朝倉孝景や斉藤妙椿など守護代クラスの活躍があり、それに乗じて下剋上が起こり得たと思いきや朝倉孝景のようになかなか上手く事が運ばなかったり、反面、家臣の意のままにならぬ守護に対し「主君押込」があったり、また、著者が戦国大名のはしりと評価する畠山義就の存在や、山名氏のように親子で東西に分かれたり、裏切りや寝返りがありと何でもありの様相となり、大乱はますますの混迷を深めていくことになる。
最初��頃は仲介の労をとろうとした将軍義政や日野富子ではあったが、金儲けにはしる富子や峻烈な性格であったという足利義視らの存在は混乱に何の足しにもならず、結局、東軍の経済封鎖作戦が西軍方の五月雨の降参を呼び込むことになり、義政が西軍方の諸将をそれぞれ許すことで乱が収束していったとのことである。畠山義就の存在を除外して・・・。
畠山義就はその後、河内国へ転戦し、隣国の大和国の衆徒・国民ら(筒井、越智、古市など)を巻き込みながら推移し、有名な山城国一揆をも生起させることになる。

将軍義政については優柔不断ということだが、記載箇所によってはわざと守護の力を削ぐ謀略を行ったり、戦争終結の見極めを正確に行っていたりと一見矛盾した記述のようになっているが(他の人もこういう記述がある)、そこはご愛嬌ということにしておこう。(笑)

大乱時の大和国は疎開先であったようで、一条兼良をはじめ京より多くの貴族が乱を逃れ奈良にて遊興の日を送ったとのことである。
その中で興味深かったのはやはり古市胤栄が行った「林間」(風呂付宴会)や、お盆時の念仏風流禁止令を逆手にとり、壊れた風呂釜を修理費を捻出すべく企画した風流小屋(日本最初の有料ダンス・ホールとのこと)である。動乱の時代でもなかなか乙でたくましい人物がいたものと感心した。但し、古市胤栄の末路は哀れなものであったが・・・。

また、この時代に目を引くのは僧侶が現代の感覚とは違うことであるが、特に大乱ともなると一層際立ってくる。
将軍家からして義教といい義視といい僧侶出身なのに過激で峻烈な性格を持ち大乱の大きな要素ともなっていたり、斉藤妙椿や経覚の宿敵・成身院光宣など本当に僧侶として仏事に付いていたはずが武将として活躍することになっていたりとこういった感覚の違いにもなかなか面白いものがあると改めて感じた。

大和国からの視点で語るという斬新な切り口の「応仁の乱」であったが、これはこれで面白かったと思う。
だが、「応仁の乱」そのものを網羅しているかというと・・・、どうなんだろう?(笑)

2017/04/29 15:27

投稿元:ブクログ

読了。

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 / 呉座勇一

最初に別の本を読み始め、ノリきれないのでもうひとつを読み始めるも大作なので、長引くなとおもいつつ、散歩がてら本屋に寄ってこれを見てそういえば人気あるよねこれと思い購入して、案の定先に読み終える。

応仁の乱です。
日本史の授業でもさらっと流す応仁の乱です。
どうして起きたかなんてしりませんよねこれ。
11年も長々と京都を二分して戦った大乱はいかにしてはじまったか。
そしていかに終わったか。

序章は一休さんでおなじみの足利義満さんの次の義持のときから、大乱MAX時は銀閣寺を作った義政さん
京都の戦いが終わったのは義政さん次の義尚で、最終的なのは次とその次の義稙VS義澄あたり。
長いですね。

大乱勃発の最大の原因は畠山氏でしょうかね。
君たちだけじゃないけども。
みんな乗っかかり、みんな巻き込まれる。
政治が悪いから足利将軍家が一番悪いかもしれませんね。

んで大乱が終わると、将軍さん力ないし、京都に住んでる意味ないし、偉い人たちが自分の土地で領土守ったりうばったりするべく戻っていって大名化みたいな。
でもともと守護代していた家臣が独立して大名化、元々住んでた国人衆も力を持つって感じになって、戦国時代突入!
ってところでしょうか。

いやーたいへん勉強になりました。
面白かったです。

2017/01/26 00:20

投稿元:ブクログ

ちょっと書籍の著者はおろか私と言う双方の見識及び、出版‥並びに版元と言う四社人に誤謬(ごびゅ)を拡散する!ので、詳しい記述は避けさせて戴きます。確かに応仁の乱は?内戦では無意味の戦いでした。

「しかし、裏を返すと元々戦国時代は以外に識られてませんが(国際的には)?…蒙古襲来の恩賞を打ち切った1294年(鎌倉幕府為政者北条貞時(時頼の孫で、二度の蒙古襲来を撃破した時頼の子の時宗が…父です)、将軍は鎌倉幕府7代将軍時)の頃から、1615年(大阪夏の陣‥幕府は3(武家政権では安土桃山は含めるも、宮中での執政を選び、専制を敷いた平清盛一族は除きますと5)期目の徳川2代将軍徳川秀忠(しかし、国際的には、豊臣家との共同統治だったらしく、完全な将軍になるのは?…子供で3代将軍の家光の時代までは有りませんでした!、豊臣派の残党狩りと、彼らの再雇用及び‥転職が完遂するのも家光の時代なので尚更です)の時代)の321年(正式には?…320年と8、9ヶ月)ぐらいまでが…国際的には日本の戦国時代扱いらしいです。

唯(ただ)応仁の乱は?、一説によると?…それまで体裁で遠慮していた寝返りや、戦いが凄惨を極めつつ遭った戦いが増え始める戦いになった(要は転換期を迎えた戦いだった)とも、国際的な解釈上の扱いになったそうです」。

以上が私の愚見から述べた見識です!‥のでこれだけは記述させて戴きます。版元や出版社及び著者の3つはおろか現在は非公開の国際的な歴史記述調査関連サイトページを?…ハッキングしてません!からね?…。

2017/01/18 09:47

投稿元:ブクログ

書店でよく平積みしているのを見かけていたのでようやく読んでみたら、確かになかなか面白かった。

著者も語っているが、応仁の乱という名前は聞いていても詳しく知っている人はあまりいない。どう始まって、どう終わったのか。僕もそうだ。(ただ今も京都人が「先の戦さ」と言うと太平洋戦争のことではなく、応仁の乱のことを意味するというのはよく聞く話)

読んでみて思ったのは、この時期、応仁の乱だけではなく、畿内は戦さばかりやっているということだ。まるで平穏な時期など一時もない。
そういう中でも荘園からの収入がなければ支配者層はやっていけないのでみないろいろと苦心している。当然といえば当然なのだが、戦乱中であっても経済活動が滞るわけにはいかない。そういう活動は通りいっぺんの歴史教科書には出てこない。歴史をクローズアップする面白さだ。

当時の京や奈良の様子、暮らしぶり、室町幕府の支配域がほぼ畿内だけっぽいこと、東幕府と西幕府、乱後の将軍並立のことなど、知らなかったことも多く興味深かった。

それにしても思うのは、人間の営みというものの変わらなさというか、普遍性というか。何時代であってもたぶん人はそんなに変わらない。いい歴史書は人間が見えてくる。そこが面白い。

2016/10/20 13:08

投稿元:ブクログ

室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七〜七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか――。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。

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