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24歳の時に見知らぬ男たちに性暴力を受けた筆者が、「性犯罪被害にあうということ」の次に書いた本。
あまりにも重いテーマであるが、筆者は真摯に平明に、伝えたい内容を簡単に説明していく。この表現行為自体が、「彼女が生きていく」ことなのではないかと感じた。
性犯罪の被害者になることの、とてつもない恐怖心、精神的肉体的な傷の深さ、生きていることが息苦しい、自分が汚れた気になり、アイデンティティを粉々に崩される、その重みが、言葉に言い表せないということが、感じられた。
性暴力というものが、女性が被害をはっきり申告できない現状に付け込んで加害者が犯罪行為に及んでいるということ、何よりも、世の中にここまで卑劣な人間がいる、人を平気で裏切る人間がいるということに、打ちひしがれる。
まさに「村社会」、社会的に被害者は弱者であり、偏見の目にさらされることで、被害の後にも大きな苦難が待ち続けている。
何十年たっても癒えない心の傷であることが殆どであるのに、被害者たちのほとんど(85%は少なくとも被害を届けないし、誰にも話していないが57%もいる)は、自分の心の内に傷を隠しもって生き続けるしかないという現状がある。
にもかかわらず、強盗よりも刑が軽く、犯罪は絶えない。
筆者は名前、顔を明らかにして、性犯罪被害について伝えていく。そして続けて発信する事、その勇気は並大抵のものではない。
自分に対する使命感、そして、まわりに同じように悩んで、抱え込んでいる人に対して、共有をすることで少し心を軽くできるのではと考え行動することで、生きていける筆者がいるのではないか。(被害にあう前と後では見える世界が変わる、笑っていても本当に笑っていないetc。大変過酷な現実がある)
最初からこのようにふるまえたのではなく、本に記載されているように、周りに当たりちらし、受け入れることにも長い時間がかかっている。
法律の問題にも触れられている。私はこの本を読んで、犯人に重刑を下して欲しいと思ったのだが、その場合に被害者側がきちんと被害を報告するために、人権、心が守られるような配慮が制度として整っていない状況がある。
また性被害を受けた人の周りにいる人間にもどれだけ影響を与えるか。その内容についても書かれている。筆者の元彼のしんちゃんの誠実なインタビュー内容。
この本に書いてある内容から考えさせられること、課題などは、次々にわいてくるが、あまりにも重く、深く、複雑な課題であるため、簡単に解決策や、感想を書くことができない自分がいる。
筆者が、この本で紹介している性被害にあった「かずはちゃん」の人への心遣い。
性犯罪にあった直後の筆者は、そんな心遣いをしている余裕がなかったのに比べて、その心遣いができることの素晴らしさ、人間を信じる事の尊さが、きちんと書いてある。
過酷な現状の中にも信じられる人間がいると思えることの重要さが身に染みて感じられた。
現時点では、描かれていることをただ頭で理解しただけだ。今後時間がたつにつれて、この本に���かれていたことが、少しは実感できるようになれないか、そして筆者のように、人を信じる関係を作ることに、力強く足を踏み出し、性被害を報告して、おかしな目でみられないような社会にしていくには何かできないことがないか、考えていきたい。