紙の本
中米の貧困を生きる青少年の現実
2017/01/03 17:06
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投稿者:リン - この投稿者のレビュー一覧を見る
学校や社会、家庭も自分の存在を守ってくれない場であったら、たった9歳や10歳の男の子が見つけられる居場所はギャング集団だった。
しかし、ギャングに居ながら、少年は「殺し」というギャングの儀式の前に
踏みとどまり、考え、偶然も手伝いながら意志を持って国外に飛び出す。
貧困の中、「自由」と「居場所」を求めて過酷な路上へ飛び出す青少年の生き様が胸に迫る。そして、自分の生き様から信仰を持つ人間の強さを学んだ。
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一気に読了。
読み応えのある本で、全く知らない世界だったので新鮮だった。
必ずしもホンジュラス全体がギャングに染まっているわけではなく、マトモに育った人たちはギャングから離れたところで、ギャングを敵視しているということが分かり、一安心。
もっとも、この本は、ギャングにならざるを得なかった人や奇跡的に抜け出せた人たちに焦点を当てているので、ギャングを掃討するという政府の方針がむしろギャングを凶悪化したと批判。
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殺人事件発生率世界一の中米ホンジュラスには凶悪な若者ギャング団「マラス」がはびこる。マラスの一員になる条件は、誰か人を殺すこと。そして、組織から抜けるときは、死を覚悟しなければならない。なぜ少年たちは、死と隣り合わせの道を進むのか。元マラスや現役マラス、軍警察、そして若者ギャングの人生を変えようと奮闘する人々を取材していくなかで、暴力と貧困のなかに生きる少年たちの驚くべき現実を明らかにしていくルポルタージュ。
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宇治さんの読書評を読み、手に取りました。警察さえも信じられない社会を想像出来ませんが、劣悪な社会環境でも健気に生きている人々の存在を知ることができました。
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ホンジュラスの暴力組織「マラス」への取材。
筆者の危険な中での行動力の賜物で、現場のインタビューに成功する。
少年たちの極貧社会において、暴力で支配されている地域で、マラスに入っても、入らなくてもどちらも過酷な状況が待ち構えている。
その中で、本誌に登場するアンジェロは元ギャングリーダーで刑務所で改心し牧師となる。
キリスト教という救いが、極貧の最悪の状況にも礎となる、宗教の力を見た気がする。
筆者の渾身のルポであることは十分わかるのだが、もう一歩踏み込んで記載してほしいとも思った。
インタビューを正確に、時系列に記載するスタイルだが、何かもう一味、他の国の状況だとか、ストリートチルドレンとの比較とか、別の観点が加わると厚みが出たと思う。
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「マラス」を知っている人は少ないのではないだろうか?
「マラス」とは、ざっくり言うと、中米の「凶悪な若者ギャング団」なのだけれど、その成り立ちや流派などはかなり複雑で、一言では説明できない。
貧困、家庭問題、ネグレクト、人種差別、地域柄…様々な問題が複雑に絡み合って誕生したのが「マラス」なのだ。
ホンジュラスというと珈琲の産地ぐらいの認識だった私だが、この本を読んでこの国の人々が抱える深刻な問題を初めて知った。
そこで誕生した「マラス」とは一体どんな存在なのか?
この本は、ジャーナリスト・工藤律子さんとフォトジャーナリスト・篠田有史さんが自分たちの目で見て感じた「マラス」のドキュメンタリー。
殺人、強盗、強奪…そんな事件が普通に起こる街で人々が生きていく術は結局自分たちもそこに染まることなのか…。
そんな「マラス」のリーダー的な存在だったアンジェロの話は特に印象深い。
ギャングリーダーから、ある出来事をきっかけに牧師になったという男・アンジェロは地獄を見たからこそ人々の心を救うことができるのかもしれない。
彼を救ったのは宗教と信仰だった。
自分の中に信じるものがあるということは何よりも強い。揺るがない自分を持っているものは何よりも強い。
宗教を持つこととは…自分の中にある善と悪を神によって感じることなのかもしれない。
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道新の書評で取り上げられていて気になってた本。
大切なのはお金じゃない~なんて、所詮先進国のキレイごと…。最低限の生活が保障されてない貧困国で生き延びるためには殺人さえも厭わないギャングになるしかない、そんな現実の重さ…。
でもそんな状況から更生に向かえたのは、NGOなどの地道な活動の力と、国民に当り前のように根付いているキリスト教信仰があってこそなのかなと。最後に縋れる信仰心があることの尊さを感じずにいられない一冊だった。
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10歳前後でギャング団に入り生き延びるか、断って殺されるかしかの
選択肢しかないとはどんな残酷な世界なのだろうと思う。
長年、ストリート・チルドレンの問題にかかわって来た著者が、中米の
小国・ホンジュラスのマラスと呼ばれるギャング団とその問題点を追った
秀逸なルポルタージュだ。
原液のギャングのリーダーに取材出来ていないのは残念だが、元カリスマ
的なリーダーで現在は牧師補佐として刑務所や教会で神の教えを説きなが
ら更生を手助けする男性、ギャング団との関係は保ったままに「他の道も
あるのだ」と訴え続ける「穏やかになったギャング」たち、職業訓練や
スポーツの場を提供するNGOの職員などへのインタビューを過不足なく
まとめている。
衝撃だったのは敵対するギャング団に狙われ、不法移民としてメキシコへ
渡った少年の話だ。日本なら小学生から中学生の年齢で命の危機を迎えな
ければならないって…。幸いにも少年は難民認定をされ、メキシコの施設
で職業訓練を終え、職を得ることが出来ている。これは救いだった。
年端も行かない子供たちが何故、ギャングの道を選ぶのか。根っこにあるの
はやはり極度の貧困なのだと言う。日々の糧を得るのに精一杯の親は、子供
に気を配ることまで出来ない。
だから、子供たちは居場所を、誰かとの繋がりを求めてギャングの道を
選ぶ。そこには少なくとも仲間がいるからだろう。重大な犯罪に手を染め
れば、「大した奴」として認めてもらえるのだ。
環境が人を作るとはこういうことなのかと思う。ギャング団に入り、犯罪を
重ねる少年たちは特別な存在ではない。置かれた環境さえ違えば、彼らも
穏やかな日常を当たり前に送れたのではないかと思う。
元ギャングや穏やかになったギャング、NGOの支援を受けて、ひとりでも
多くの少年たちが「頼れる大人」がいることを知り、犯罪まみれの日常か
ら脱出できるよう祈りたい。
ホンジュラス政府の対マラス対策の酷さも相まって、読み進むうちに暗澹
たる気持ちになるが、小さいながらも光はあるのだもの。
そうして、貧富の格差の拡大は、他国だけの問題ではないのだから。
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【まとめ】
1 マラスの台頭
ホンジュラスの国土面積は日本のおよそ三分の一弱で、人口は約810万。2010年以来5年連続で、人口10万人当たりの殺人事件発生率世界一という、不名誉なレッテルを貼られてきた。
その原因の一つとなっているのが、ギャング。マラスと呼ばれる若者ギャング団の抗争と彼らによる犯罪だとされる。
かつてマラスは単なる若者ギャングにすぎなかったが、転機はリカルド・マドゥーロ政権(2002〜06年)がギャングへの弾圧を始めてから起こる。マドゥーロが打ち出した政策と政治キャンペーンが、若者たちを出口のない暴力と犯罪の闇のトンネルの奥へと、追い詰めていったからだ。
皮切りは、2003年の刑法332条改悪だった。俗に「反マラス法」と呼ばれ、マラスと呼ばれるギャング団や犯罪組織に所属しているというだけで、リーダー格の場合は最高で懲役12年の刑に処されるという内容だ。これを受けて、警察は大々的なギャング掃討作戦を展開し、各ギャング団メンバーがシンボルとして使っている タトゥーを入れている者を、ほとんどそのタトゥーだけを理由に次々と逮捕していった。
2005年に懲役年数が最高30年まで延長され取り締まりがきつくなると、ギャング団のほうも、この弾圧に抗するために、無差別に暴力を行使するようになる。皆が盗み、殺し、誘拐し、 ゆすりや強盗をして、警察など権力側の人間も一般市民も、関係なく傷つけるようになってしまった。若者ギャングの問題に対して、政府が「対応策」を考えるのではなく、「壊滅策」を打ち出したことが、本来、青少年の生活・教育支援課題であるはずの問題を、完全なる「治安問題」に変質させてしまった。
2 不平等が犯罪を生む
政府による弾圧に遭い、それに対抗するためにいまや軍隊並みの規律をもつようになった二大マラスでは、ピラミッド型の指示系統に従うことが、生き残るための絶対条件となっている。この掟と組織の拡大欲のせいで、マラスに入るよう誘われたのに断わった、要求されたカネを払わなかった、マラスから抜けたいと思った、あるいはマラスメンバーの恋人になることを拒否したというだけで、地元を仕切るギャング団に命を狙われる少年少女が後を絶たない。危険にさらされた子どもたちは、リスクを冒してでも、単独で米国への不法入国を試みている。
警察は特定のグループの犯罪を見逃し、その代わりにカネや麻薬を譲り受ける、あるいは別の犯罪者の情報を流してもらい、手柄にする。給金の安い貧乏警官たちの間では、家族を養うためには手段を選ばない、あるいはそれに慣れてしまっている者も多い。ギャングたちはそのおかげで、「協定」が効力をもつ特定の地域内では、自由に悪さができるようになる。政界や財界の大物なら、最初から司法関係者と取引をしており、逮捕されてもすぐに釈放されるか、裁判が始まらないまま、刑務所で「自由に」暮らす。
まわりには定職に就いている大人がほとんどおらず、仮に職を得て真面目に働いていても、貧困からはいつまでたっても抜け出せない。ラテンアメリカのスラム社会では、いわゆる努力が報われることは、ごく稀にしかない。世間一般には、��高等教育を受ける努力をすれば、きっといい職に就けるし、いい給料がもらえるようになる」と言われるが、スラムでは必ずしもそうはいかない。なぜなら、ラテンアメリカにはほぼ固定化された貧富の格差が存在し、どんなに有能な人間でも、コネなしで経済的な成功を手にするのは至難の業だからだ。
3 マラスの一員として生きるということ
政府による殲滅作戦が激しくなればなるほど、マラスは麻薬カルテルなどのよりプロフェッショナルで残虐な犯罪組織とのつながりを強固にし、あらゆる犯罪に関わらざるをえなくなっていく。そしてそれはマラス自体がただのギャング団ではなく、筋金入りの犯罪組織になり、国際的な犯罪にすら、間接的であれ関わるようになることを意味していた。
マラスというレッテルの意味するところが、彼ら自身の想定をはるかに超えたところへと向かうなか、マラス自体は生き残りをかけて、仲間を増やすことに躍起になっていた。その一方で、スラムの少年たちは、仲間を持つことや強い者への憧れから、軽い気持ちでギャング団に入っていく。近年、マラスのメンバーになる少年のなかには、6、7歳の子どもまでいるという。彼らは、マラスが国境をまたいだ凶悪犯罪に手を染めていることを知ってはいるが、「自分たちを守ってくれる兄貴たち」に近づくために、その事実から目をそらす。
つまるところ、マラスで「いい仕事をこなす」には、罪悪感がどこかへ消え去ってしまうほどに自分を追い詰め、感覚を麻痺させなければならないということなのだろう。ただ必死で自分の役割をこなすことで、居場所を確保する。それが彼らがマラスに入っている理由だ。その理由を見失うと、役割を全うできなくなり、やがて敵にやられるか、味方に裏切り者扱いされるかの危険が、我が身に降りかかる。
マラスというレッテルを貼られた少年たちだって、ストリートチルドレンがそうであるように、本当はそのほとんどが何かに傷つき、それから逃れようともがく普通の子ども、若者なのではないだろうか。
子どもたち、若者たちが、自分ひとりではどうしようもない問題を抱えたとき、それをどう解決あるいは昇華していくかは、その個人の性質や能力以上に、彼らを取り巻く環境が、その大部分を決めている。
自分は何者なのか。どこに帰属するのか。何のために生きているのか。疑問ばかり漂う深い霧の中を歩むスラム少年たちに、ギャング団はそれを払拭する機会を、アイデンティティ を与えてくれる。ギャング団という「家族」、帰属先を提供され、「マラス文化」と呼ばれる特定の「スタイル」と、ギャング団の中での「役割」を与えられることで、少年たちは自らの存在に対する安心感を得る。そして、ギャングとなって手にする大金が、お金で買えるアイデンティティまで提供してくれるのだ。
ギャング団のメンバーとなることで手にするアイデンティティは、正真正銘のまがいもの。だとしても、道しるべをなくした少年たちにしてみれば、ないよりはずっといい。ただし、その切迫感が彼らの目をくもらせ、最終的には危険な状態へと追い詰めていくことになるのもまた真実だ。
世界中で、未来ある少年少女たちが、偽りのアイデンティティで自分をごまかし、生き延びようともがいている。そうして結果的に、自身の未来を台なしにしている。その未来を取り戻すためには、大人が立ち上がらなければならない。