紙の本
幸せを恐れる気持ち
2023/09/11 14:32
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投稿者:kisuke - この投稿者のレビュー一覧を見る
ごく地味で慎ましく暮らしてきた男性が、いきつけのお店で勧められて結婚相手を探し、現れた極上の美女と恋に落ち、そこから地位も名誉もお金も一気に手に入れて…というお話。
この女性の正体は何となく気づいてしまいましたが、困惑しながらも変化していくギリシア人男性と、周りの思惑が面白く、一気に読んでしまいました。
幸福度が高まる程不安になる気持ち、これは私も経験がありますが、いっそ自分で壊して元の不幸に戻りたくなる所がリアルでした。
紙の本
鬱陶しい杓子定規&
2017/08/18 17:11
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投稿者:igashy - この投稿者のレビュー一覧を見る
結構な厚かましさの併せ技を絵に描いたような中年童貞の主人公が、いきつけの定食屋の女主人の勧めで出した広告に応えて現れた女性は夢のような美女。 そして彼に恐ろしい程の幸運が連続してやってくる。分不相応な昇進その他に戦きつつ結婚の日を迎えたが……。
船の切符売場係が彼に好意的にならなかったのはヒモつきの同性愛者だからかな? 私は凡人なので「貸本屋向け終り」の方がわかりやすい。
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これは……何と言えばいいのか、つい吹き出してしまうほど面白いのだが、途中から背筋がざわざわするような感覚が起こる。『デュレンマットが本来書きたかった結末』と、『貸本屋向けの結末』と題されたふたつのラストを読み比べてみると益々、ざわざわして来る。
読み終えてから帯を見ると、『こんな幸せ、あり?!』という惹句。これまた的確でざわざわするw
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雨が降り続き道路は川のようになった。そのうち霧が出た。やりきれない一月だった。アルノルフ・アルヒロコスは独身のベジタリアン。身なりは貧しいものの、いつもきちんとした服を着て煙草も酒もやらず、四十五にもなるのに女を知らなかった。プティ・ペイザン機械工場の経理課に勤め薄給を得ていたが、稼ぎはやくざな弟にせびられてばかりで、便所の臭いと騒音の絶えない屋根裏部屋に住んでいた。
行きつけの店<シェ・オーギュスト>のマダム・ビーラーはアルヒロコスのような善人が、いつまでもこんな不健康な暮らしをしていてはいけないと考え、結婚を勧めていた。本人の同意を得て『ル・ソワール』紙に出した広告がタイトルでもある「ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む」。すると、クロエという女性から返事があった。二人は店で待ち合わせ、一度で惹かれあった。二人は結婚を決める。
クロエは美人で、毛皮のコートを着、香水をつけていた。仕事はメイドということだった。結婚を決めた二人が街を歩くと、大統領や司教、今売り出し中の画家、市の名士たちが、アルヒロコスに挨拶をするではないか。果ては、雇用主のプティ・ペイザン氏までも。いったい何が起こったのか。その日からアルヒロコスには考えられない好運が舞い降りてくることになる。
翌朝、出勤したアルヒロコスは、次々と上司に呼ばれ、最後は社長室に行くことに。そこで常務に昇進したことを告げられる。一流の店でしつらえた洋服で旅行会社に行き、新婚旅行としてギリシア行きの船旅の予約をする。結婚式を挙げるため司教の元を訪れたアルヒロコスは、自分の不安を司教に打ち明ける。
突然好運に見舞われることになった男が、どうして自分ばかりがこんなに幸運に恵まれるのか、その理由がわからず不安に襲われる。それはそうだろう。普通ならありえない話だ。ところで、いつからそうなったかといえば、クロエと結婚することを決めてからで、この幸運がクロエから発していることはまちがいないのだ。でも、何故?
そこには、なるほどと納得できる理由がある。よく読めば、読者にも分かるように伏線が張られている。しかし、当人には事態がのみこめていない。この話は、周りは分かっているが当人にはわからないことから起きる、主人公の困惑を周りから眺めるときの面白さを描いている。話を聞いた司教は、この事態を「恩寵」だと説く。
重要なのはこれらすべてが何を意味しているのか、ということなのです。あなたが恩寵を受けた人間であり、あなたにその恩寵のしるしがこの上なくはっきりと積み重なっているということなのです。(略)これから問題になるのは、あなたがその恩寵にふさわしい人間であるかどうかを証明することなのです。このことを謙虚に我が身に引き受けなさい。もしもそれが不幸な出来事であったならきっとあなたが引き受けたように。私があなたに申し上げることができるのは、これがすべてです。ひょっとしたらあなたはこれから幸運の道という、非常に困難な道を歩むことになるのかもしれない。幸運の道を歩むという課題はたいていの人には課されていません。というのも、私たちが普��この世で歩むのは不幸な道なので、人は不幸の道の歩き方は知っていても幸運の道の歩き方は知らないからです。
この言葉にすべては尽きる。まさしく、アルヒロコスこそは、不幸な道ばかりを歩いてきた男なのであって、クロエと出会ってからはじめて幸運の道を歩き始めたわけなのだから。アルヒロコスは、結婚式の最中に、それまで気づかなかったある事実に思い至る。式場を飛び出したアルヒロコスは自暴自棄となり、革命家にスカウトされ、尊敬する大統領暗殺の計画に加わることになる。
この小説には、二つの終わり方が記されている。終わりⅠは、本来作者が書きたかった結末であり、終わりⅡは、「貸本屋のための」と書かれた娯楽小説としてのお約束の結末である。普通に読んでいけば、読者はいわゆるハッピーエンドに導かれるわけで、無事安堵して読み終えることになるが、心の中に一抹の疑問が残る。主人公の突然の変容が、あまりに不可解であるため、事態をのみこむことができないからだ。
そのために訳者あとがきが付されている。作家はプロテスタントの牧師の子として生まれ、それまでに書かれた戯曲にも本作の主題とされている、新約聖書の思想に基づく、一番取るに足りない人間が恩寵を授かる」という設定をすでに何度も披露している。カフカやキルケゴール由来の、ちっぽけな人間が大きすぎる幸運を受け止めることの困難を描いた本作も自家薬籠中の主題だったということだ。
しかし、読者はそんなことに関係なく、単なる喜劇として読めばいい。それも、何故この男に突然信じられない幸運が舞い降りたのか、という謎を抱えたミステリとして。初めは何かの寓話か、と思いながら半信半疑で読んでいくにちがいない。しかし、最後まで読んでから再読すれば、実に事細かに作者はウィンクを送っていたことに気づくにちがいない。手練れの劇作家ならではの巧みな目配せに、いつあなたは気づくだろう。評者などはいつまでたっても人間観察に疎い甘ちゃんであることに改めて気づかされ、苦笑させられた。
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スイス人作家が何故ギリシア人で書くのか?
同郷の美女とお付き合い始めたら、昇進するわ、名士は軒並み挨拶してくるわ。マジックリアリズム系かと思ったら、オチがあった。まあ、ラストはハッピーエンドで何よりかと。スイス人の感性ってよく分からん。
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経理部所属、酒タバコやらず童貞で屋根裏部屋で暮らす40代男性。スイス在住の温水さん。具合悪くなり毎日夕御飯食べてる定食屋のおかみさんに看病され、キレられる。 スイスの渡辺えり子さん「いいかげんに結婚しろこのチョンガーがあ!」 と無理矢理新聞の結婚相手募集の広告を出されようとする。 温水「まって!タイトルだけはこだわりたいの!『ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む 』にして!」 えり子「(いらあ)まあええよ、それで」 と言った具合です。 とってもシンプルでとっても面白い。まわりくどい言い回し一切なし。
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うだつの上がらない、けれども生真面目すぎる40代男性が、ふとしたことから結婚相手を募集する広告を出す。それが「ギリシア人男性、ギリシア人女性を求む」という言葉。
やってきたのは絶世の美女……それから奇妙な幸運が次から次へとやってくる。
作者フリードリヒ・デュレンマットは20世紀後半に活躍したスイスの劇作家。
経理係で定職を持つも収入は低く、貧しく、それでもろくでなしの家族や知人を養う主人公。
自ら付けた模範とすべき人物のランキングには、大統領や総司教、有名画家や大企業の社長たちが並び、見習うべきとして崇拝していた。
その彼らが突然、名前も知らない主人公に幸福をプレゼントし始める、なぜ……?
理由は中盤で想像がつくため謎を解くのが目的ではなく、崇拝していた著名人の実態への戸惑いからいつ主人公が気付くかが、読みどころ。
エンディングはブラックユーモアの名のとおりとなるが、後日談的にもう一つエンディングがあり、そちらは少し救われる。でも著者的には後日談はサービスとのこと。
読者としてはハッピーエンドのほうがいいかな……。