紙の本
一人一人の尊厳を守るということ。
2017/12/27 22:33
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たけぞう - この投稿者のレビュー一覧を見る
はじめにで、女性を傷つける傲慢さを指摘し、フェミニズムに
ついて話を展開しています。ただし聖人君主を目指す
つもりはなく、たとえフェミニストたちの期待を裏切ろうとも、
バッド・フェミニストでいいから自分の意見を述べるとのことです。
それがタイトルの趣旨です。
とても正しいと思います。
もしフェミニズムが、ある価値観だけを正しいと決めつけ、
○×で考えを振り分けてしまうのであれば、
ほかのあらゆる硬直的な主義主張と同じ末路をたどるでしょう。
物事を柔軟で多面的にとらえる必要性を感じます。
著者の言葉を借りると、全員が同じフェミニズムを信じる
必要はなく、多元的なものとして存在できるということ。
力を合わせると大きな成果をもたらすが、個人の行動から
成果が生まれることもあるということ。
つまり一人一人きちんと向き合っていこうという主張であり、
それはフェミニズムだけに留まらず、人種問題や多様性の
限界にもつながっていく考え方です。
一つの章ごとに主張が細かく展開されますので、
さらさらとは読めません。しかしそれぞれの重みがあるから
自分の考えを深めることになるのです。
結局は一人一人をきちんと扱っていくという考えに
収まるように思いました。
フェミニズムを女性解放運動と思う人は古いです。
といいつつ、わたしもこの本を読むまでは、女性重視の
主張が強い運動という認識でしたが。
第一章の題は「私を感じて。私を聞いて。私をわかって。」です。
この一文にすべて詰まっている気がしてなりません。
女はこうだという画一的な決めつけが過去から続いていて、
改善はされたがまだまだですねというニュアンスを感じました。
それは、有色人種というものはこうだという言い草と同じです。
些末なところでは、有名大学出身者はこうだとか、
会社で偉い肩書の人はこうだとか、全部同じ過ちに見えますね。
人間は弱いから決めつけに頼りたくなるのでしょうし、
それがなんと多く、綿々と続いているのかということなのでしょう。
自ら肩書を持ちだす人の哀れさがにじみます。
ちゃんと考えるとはこういうことなのだと伝わりました。
昨今のブラック企業は、分かって傍若無人をやるので悪質ですが、
ちょっと昔はある意味いまよりもパワハラ全盛で、
気持ち悪い言葉使いをする人が一部にいました。
いまだに耳に残っています。この本を読みながら思い出しました。
相手を敬わない無礼さが言葉の端々からにじみ出るというやつです。
最近の会社内ではあまり見かけなくなりましたが。
そんなことを、レイプの考察の章で連想してしまいました。
わたしたちは、気軽にレイプという言葉を使いすぎると。
わたしの見た中でも、そんな表現をする人が本当にいたんですよね。
そんな重量級の話もあるので、受け付けにくい人もいると思います。
それでもなお、一読の価値は十二分にあると思うのです。
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「どうもおかしな見下げた話、まったくその通り、だがサリー・ライドは彼女の死に際して立ち上がり認知された」
「女性たちは上昇している」
「私は要求の大きいビッチだったし」
「誠実さは死亡していた」
「いくらかの怒りに身を任せずにいるのは難しい」
「これが彼が俺はこうだと示している男」
「…オハイオ州アクロンに順応しようとしての奮闘について語り、こうした個人的な経験の観察を、さまざまなかたちで周縁化され、沈黙を強いられ、消されてきた女性の作家および芸術家たちについての調査・考察のあいだに散りばめる」
星の評価は翻訳に対して。あまりに酷すぎる。
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ロクサーヌ・ゲイの名前を気にするようになったのは、数年前から。ときどきニューヨークタイムズでキラリと鋭いコラムを目にすると、それが彼女の筆になるものが多いことに気づき、いつの間にか楽しみにするようになった。
そのゲイの本邦初?翻訳書は、ドラマや小説、映画を縦横無尽に論じたエッセイ集。TV番組ほとんどは知らない作品ばかりだけど、映画はそうそう!てうなずくところがたくさん。特に、『ヘルプ』に対して激しく怒ってる評、自分以外には読んだことなかったので溜飲が降りました!
くだらないポップ・カルチャーへのこよなき愛と鋭いツッコミを楽しみながらも、ゲイは、この社会にあまりにもあたりまえにあふれている女性に対する暴力と黒人に対する暴力を忘れはしない。それは身体に刻まれてきたものだから。わたしたちの愛するポップ・カルチャーは、同時に、女性であったり黒人であったりセクシュアルマイノリティであったりするわたしを疎外し、傷つけもする。だからインターセクショナルなフェミニスト文化批評が必要なのだ。
とはいえ、本書のタイトル「バッド・フェミニスト」にはどうも納得できなかった。だいたい、「私はバッド・フェミニストです」なんて、まるで「善い/正しいフェミニスト」なるものが実在するみたいではないですか。フェミニストに「男嫌いで、セックス嫌いで、怒りと被害者意識でいっぱいのイタい人たち」とレッテルが貼られるのは、わたしたちが自分をとりまく文化の暴力から目を背けないから。であれば、わざわざ「私はバッドなフェミニストです」と名乗って、自分を一般的なフェミニストのイメージから差別化する必要なんかあるだろうかと思うのだけど。
とはいえ鋭い書き手なので、これからも要注目ですよ。
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バッドという言い方は、おそらく、規範的なものであればなんにでも当てはまるのだろうけれど。エコロジスト、丁寧な暮らし、などなど。トランプの混乱の中でこれを読むのは面白い。
人種の話を読むのはしんどい。
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「うんうん!うんうん!」と心の中でぶんぶん頷きながら読めた。人種の項では若干の申し訳なさと気まずさも感じながら。だってジャンゴもヘルプもめっちゃ楽しんだもん……。でもこの申し訳なさや気まずさは、よく男性からきく「フェミニズムの話になると申し訳なさや気まずさを感じる」という感覚とたぶん近いものだろうと思う。わたしは、ジャンゴやヘルプが面白かった自分の感覚を卑下したくは無いし、しかしそれらの作品の孕む諸問題を知った上で無視すると言うこともしたく無い。むしろ知ることができて良かったと思う。だからフェミニズムに触れて気まずくなる人がいたなら、自分の好きなコンテンツへのリスペクトとクリティカルな視点を同時に持つことは可能で、そういうわけだからもうみんなでバッドなフェミニストになろうぜ、と言いたい。
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私の耐え性が無いのかもしれないけど、それでも原著を読めるように英語の勉強を頑張ろうとは強く思いました(感想)(ほんとになにが書いてあるかほとんどよく分からなくて序盤早々に諦めた者)
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国立女性教育会館 女性教育情報センターOPACへ→
https://winet.nwec.jp/bunken/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=BB11371051&opkey=B160887235826058&start=1&totalnum=7&listnum=0&place=&list_disp=100&list_sort=0&cmode=0&chk_st=0&check=0000000
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2017年2月発行の初版を購入していて、2018年2月に旅行に持って行っていたのに結局開かずに持ち帰っていた。原書は2014年発行。2020年末から読み始めて、この本はずっとうちにあったのに自分は何をしていたのか、と思った。一方で、インターセクショナルフェミニズムの知識と、ムーブメントとしてのBLMを知らない状態で読んでいたら、実はあまり理解できなかったかも知れない、とも思う(私がCNNキャスターをすぐ思い浮かべられるとか、大坂なおみのマスクにあった殺された黒人のことを覚えているとか、それはすべて2020年に起こったことだ)。フェミニズム内の分断、そしてアメリカで黒人として生きるということ。なんとも居心地の悪い気持ちも追体験することになった。レビューを見ると「翻訳が悪い」のオンパレードなのだが、私が全然気にならなかったのは、それらの前提が共有された後に読んだからなのではないか。
(英語版kindleのサンプルが結構長いのでこれから読んでみるつもり。読んで感想が変わるかは不明…)
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拾い読みして、読むのをやめた。
合う人には合うんだと思う。
ドラマ「オレンジイズニューブラック」が、イマイチって話はへえーと思った。
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疲れる読書だった。8割型読んで、あとは読んでない。訳文の問題というよりは、筆者が読者と共有できることを前提としているノリ(口語ベースの英語を基本としていると見られる言語使用や文化的コンテクストの共有、ポップカルチャーに関する知識など)についていけなかったのが原因。でも内容自体は面白い。面白いからこそ自身の経験にグッと迫る語りも多くて、それがさらに疲れさせた。個人的に苦しかった思い出を抉る描写もあった。これは見方によっては、「いい意味での疲れ」と言えるかもしれない。でも最後まで、あまり入り込めなかったかな。