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一概に頭の良い人、教養のある人とは、どのようなひとをさすのであろうか?その蓄積された知識を役に立たせるためには、他者にどのようにして伝えるか?のスキルが大切であり、またそれをできると言うことこそが大事。
知識の断片をそのまま頭に詰め込んでいるだけでは、到底教養があるとは言い難い。
どのような文で、どのような文字数で、相手にわかりやすく伝えるには?
そのノウハウが描かれている。
相手に映像を見せるように、理解されるように伝えるには。
リーダーと呼ばれる人、人の上に立つ人、
何かを成し得ようとする人。
大きな物事を達成するには、まずは一緒に働く人に
伝えると言う一番ありふれた、が、難しくもある
それこそが成功の第一歩。
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↓のブログの 3/29 にある書評にたいへん同意。
http://www.tenasaku.com/tenasaku/tepipi/diary201703.html
「竹内薫 著・嵯峨野功一 構成『教養バカ』(SB新書)を読んだ。だいぶ反省させられた。「伝えた」と「伝わった」は違う、というのは、俺だって確かに、頭ではわかっていたことだ。しかしこれまで、俺は伝えるための努力を惜しんでこなかっただろうか。伝える相手のことを、ちゃんと考えていただろうか。そうでなくても難しい話を、独りよがりの言葉づかいで一方的に喋って、余計に理解不能にしてしまったことはないだろうか。最近の俺はむしろ、「わかってもらえない」ことに慣れっこになってしまって、伝えること・表現することに対して、情熱を失なっているんではないか。
竹内薫によれば、ひとは頭のなかに「絵」が浮かんだとき「わかった!」と感じるという。「わかった!」と納得するのは嬉しく、楽しい。そして、もうほとんど忘れかけているけど、わかってもらうのも、それに劣らず、楽しく、嬉しい。
わかってもらうこと。威力や情実で言うことを聞かせるのでなく、納得してもらうこと。大学教師たるもの、まずは理を説いて人に納得してもらい、さらにその人に「人を動かすにあたって、じゅうぶん納得させた上で動かす方法を身につけ、かつ、その方法を、他のすべての方法に対して優先する意欲をもった人」になってもらわねばならん。それが、公教育の場で教師としてメシを食う者の使命というか責任のはずだ。いわば、人が「わかった!」で動く世界を作ること。そのことを諦めちゃいけない。その手始めに、まずは自分が、人にわかってもらうことを、もっと大切に思わなくちゃいけない。そして本来、それは、楽しいことのはずなのだ。
(楽しいことだが、簡単なこととは限らない。そのことはあの『論語』の冒頭の章に謳われているとおりだ。「学んで時にこれを習う、また説(よろこばし)からずや。朋友あり遠方より来たる、また楽しからずや。人の知らずして慍(いきどお)らず、また君子ならずや。」(試訳:くりかえし勉強してわかるとなんとも嬉しいじゃないか。遠来の友人と語りあうことはなんとも楽しいじゃないか。人にわかってもらえないことを不満に思わないのはなんとも人格者じゃないか。)礼楽にもとづく仁政が人の世に行われることを熱望した孔子は、わかることの楽しさだけでなく、わかってもらえないことの口惜しさも語っている。)」
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つまり、「わかりやすい人」とは、相手の脳内にすばやく「絵」を描いてくれる人です。逆に、なかなかうまく「絵」を描かせてくれない人が、「わかりにくい人」ということ。その意味では、書店で見かける「よくわかる」「マンガでわかる」というタイトルの本は、脳内にすばやく「絵」を描く助けをしてくれるのだといえそうです。(p.30)
絵を描いてもらうときには、相手に先を予測してもらうことがとても大切なのです。人の話を聞いているとき、頭の中は論理モードになっています。これは内容を理解したり、つじつまが合っているか確認したりするためです。
「つなぎの言葉」は、脳への合図となり、次の話を予測させます。すると、脳は「受け入れ万全の態勢」になり、話をちゃんんと聞けるようになるのです。(p.60)
スパロウ氏は実験を通じて、「人間の脳は、自分で覚えなくても誰かに聞けば教えてもらえる事柄については記憶しようとしない」としています。心理学でこれを「交換記憶」と呼ぶそうです。誰かに聞けば、の「誰か」が「ネット検索」になっているのでしょうね。(中略)記憶の外付けハードディスクですね。必要なときだけ引っ張り出してくればよいということです。これはこれで、一つの手段ですが、会話の相手がいる場合、話の途中で検索ばかりするわけにはいきませんよね。(pp.160-161)
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<目次>
はじめに
第1章 教養人の話し方は、なぜわかりやすいのか
第2章 教養人が使っている「わかりやすさ」10の技術
第3章 あなたの周りの「教養バカ」7つのタイプ
第4章 語彙力こそが「わかりやすさ」である
第5章 【脱・思考停止】「わかりやすさ」にダマされるな
第6章 心に刺さるフレーズのつくり方
<内容>
タイトルからは「教養バカ」をディスる本かと思ったが、内容的には「わかりやすく」伝えるためにはどうすればいいかを書いた本だ。
では、その秘訣とは
①自分のアタマの中の「絵」を相手のアタマの中の「絵」に近づける
②専門用語や抽象表現などは避け、相手の世界に近づける言葉を選んで話す
③一文を短くして、つなぎの言葉(つまりは接続詞など)をうまく使う
④相手に興味を惹かせるフレーズをはさむ
⑤「3」にこだわる
⑥結論を先に言う
⑦伝えるためには準備が必要。その際に「カンペ」は用意すべし(ただし、できれば自分のアタマの中の「絵」を表現したものを
⑧表現技法として、語彙力を増やせ
また後半では、「わかりやすさ」に惑わされるな!ということで、そういうフレーズの裏を指摘。最終章では、トレーニング例も載っている。
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なかなか強烈なタイトルだが、相手にちゃんと「伝える」にはわかりやすさが伴わなければ意味がない。
案外、知らず知らずに教養バカになってしまっている部分ってありますね~。
子供向けの作文教室で行われているというプロフィールクイズというものが大変興味深く面白そう。
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『どう伝えるか』よりも『どう伝わるか』
教養バカとは知識を蓄えただけの人で、
本当の教養人はそれを他者に上手に伝えることができる。
なぜなら教養人は『他者意識』を持ち、キャッチフレーズや人の惹きつけ方など、伝える技術を何通りも持っているからである。
相手に伝えられてこそ、『知識』は『教養』として生きてくる。
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わかりやすく説明するのはほんとうに難しい。
頭で絵が描けるか、想像できるか、そういう喋りかたを学びたい。
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タイトルに惹かれ、帯を見て面白そうだと思い、著者が彼なら間違いなし、と購入。期待に違わぬ内容でしたが、どちらかというと、食い足りなさを感じてしまいました。当然というか、論の骨子は他の著書と共通している訳で、あまり目新しさを覚えなかったせいでしょうか。でもそもそも、会話にせよ文章にせよ、自分の表現力の不自由さにもどかしさを覚えることしきりだから、どうにかそれを打開しようという思いはありまして。注意すべき要点が列挙されているのは、ふとしたときに手に取って、ザッとおさらいするのに便利だと思いました。
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知識が豊富でも話がおもしろくない「教養バカ」でなく、わかりやすくおもしろく話ができる真の教養人になりたいと思ってますし、そのように努めてるつもりですが、できてるかどうかはわかりません。
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教養バカ=知識だけの人、というのが本当に刺さる。話す力を実例とともに書いているので、かなり読みやすかった。
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「教養バカ」にならない方法と、そういう人への対応策(が少し)。
個人的には、今まで読んだ本以上に得るものはあまりなかったかなぁ…と。
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空前の教養ブームである昨今、知識はあるものの、実際に話してみると面白味がなかったり、ストーリーがなかったりする人がいる。そのような人は知識をひけらかしているだけの「教養バカ」といえ、他人から敬遠されたり、物事を多角的な視点から考えることができなかったりする。そのような「教養バカ」を脱して真の教養人になるには、相手に分かりやすく伝えるためのトレーニングをすることが必要なのである。
端的に言えば、分かりやすい人とは、相手の脳内に素早く絵を描かせてくれる人である。すなわち、相手を意識し、相手を知ることを通じ、相手の想像力に働きかけることによって、自分の脳内の絵を相手の脳内に可能な限り正確にかつ具体的に描ける人が、アウトプットの上手な教養人である。技術としては、相手に話の先を予測してもらうために接続詞を用いること、相手の脳内にハテナを作り、解消させたいと思わせること=喰いつかせること(もちろん答えは後で回収するべき)などがあろう。
以上から導かれるように、分かりやすさとは、「相手が分かる言葉を使う」のが鉄則である。そこで、語彙力こそが分かりやすさであるということもできよう。というのも、相手に合わせるには、知っている言葉の数がものをいうからである。語彙の数や知識があれば表現の幅が広がり、たとえ話や言い換えもうまくなる。
また、心に刺さるフレーズの作り方として、無作為に並べられた複数の言葉からいくつかを抽出してくっつけるという方法(※)がある。その際にその造語を説明するという訓練をすれば、相手に分かりやすく伝えるための想像力や構成力が養われるであろう。加えて、このトレーニングは、キャッチコピーやタイトルなど世の中にない新しい言葉を作り出すときに役立つはずである。
真の教養人は話し方が違う。機知にも富んでいる。そのような人間になれるよう、自分が伝える側になっても、伝えられる側になっても相手がいることを意識し、分かりやすく物事を伝える訓練が今必要なのである。
本書は、単に知識を詰め込むだけの「教養バカ」にならないためには、物事を相手に分かりやすく伝える能力を培うことが必要であるという主張から、分かりやすさを養うテクニックや「教養バカ」の典型例を複数挙げて解説をしている。したがって、本書自体から知識を得るのではなく、知識の伝え方を学ぶことを目的に執筆された書である。筆者もその「分かりやすさ」を意識してか、比較的平易な用語で説明されており、全体として読みやすいが(2時間あれば十分)、少々刺激が足りないというのが正直な感想ではある。ただ、(※)の方法は斬新で、報告のタイトルを検討する際に有用であると感じられた。
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教養バカ。そう。僕です。
最近実は本を読む数減らしました。
月に5冊くらいでしたが今は10日に1冊ペースで月3冊。
読むのも1冊読み終えてから次を読みます。
前まで本って序盤面白くて中だるみして終盤また面白いというのが多いので、中だるみした時にもう1冊違う本を読み出して2冊同時に読んでましたがそれもやめました。
結局入れ過ぎてもダメだと思うんですよね。
この本にもありますが相手に伝えられるようにならないと知識になってないというか。
本の内容とは少し離れましたが本当の教養人になるためにはひたすらわかりやすく伝えるということ。
話を作り上げるための知識と知識を繋ぐ接着剤を多く持つことだとしてます。
ちょっと頭いい学生の子とか大人の人でたまにやたら専門用語使って話してる人いますよね。
あれは教養バカということです。
日々の会話から意識しようと思いました。
あとインプットの質と。
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わかりやすく説明するために意識するが書かれている。『バカの壁』を思い出しました。伝えることの難しさは日々感じます。相手の頭の中に絵を浮かび上がらせることを意識して話したいと思いました。
■メモしたい箇所
・教養ある人と教養バカの違い、それはストーリーテラーになれるかどうか。教養人とは相手が興味を持つようにストーリーとして伝えることができる人。
・わかりやすさとは何か。それは、「相手の頭の中に『絵』が浮かび上がった瞬間に、人はわかった。と感じる」
■知らなかった用語
・交換記憶:「人間の脳は、自分で覚えなくても、相手に聞けば教えてもらえる事柄は覚えようとしない」
=>妻に聞けば答えてくれるので。郵便番号覚えれないことを思い出しました。仕事ができる人に聞けばわかるので一向にスキルが伸びない理由がわかりました。
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哲学書をイメージしてKindle版を購入し、読んだが哲学書というよりはハウツー本である。
教養バカというインパクトのある題名についてはそこそこに、筆者のしゃべり方の工夫やコツが書き連ねてあった。
営業の入門書としては悪くないかもしれないが、いかんせん内容が軽すぎた。コスパは悪い。