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投稿者:なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い、確かにそうだなあと思う。でもこの本に書かれてるような考え方が認められるようになるのはいつのことやら。
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<目次>
はじめに
第1章 生きる意味を見失った現代人
第2章 現代の「高等遊民」は何と闘っているのか
第3章 「本当の自分」を求めること
第4章 私たちはどこへ向かえばよいのか
第5章 生きることを味わうために
<内容>
言いたいことはわかった。「ハングリー・モチベーション」の時代(いわゆる”高度成長期”)は、「生きること」=「仕事」で、そこに生きがいを求めることもあながち間違えではなかった。しかし、もはや満ち足りた現代、「生きること」ために「仕事」を死ぬほどにやらなくてもいいではないか、と著者はいう。
成熟社会において、人間は次の目標を見失っているようだ。著者は古今東西の本を引っ張り出して説く。生活を遊べ、と。
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『ワークライフバランスがー』、『プライベートの充実がー』といった今の労働問題を取り上げたものではなく、精神的自立を説いた本。
『この問題を解決すれば幸せになれる』というハングリーモチベーションの時代は終わり、満たされてしまった故に『仕事』にアイデンティティを見出せない時代に移り変わった。
『新型うつ』なども、原因の1つがこれではないかと言われているらしい。
そう遠くはない仕事をリタイアした後の人生も決して短くはないので、『自発性』を身につけ何かにもたれかからず生きたい。
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タイトル一点買いだが、当たりだった。
漱石やアレント、オスカーワイルドなどを引用しながら、仕事について、また生き甲斐とは何かについて考察した本。
自分探しを外に求め、しかも職業という狭い範囲に求めるのが間違いというのは腑に落ちた。
仕事は人間の活力になるはずのものだったのだが、いつのまにか労働教に堕してしまった。
いまや人間らしさを取り戻すべきだ。
道徳は「お前は不快だ」の言い換え。
後半が抽象的で分かりづらいが、
そもそも現在の我々に支配的な、量の概念から離れたことを言ってるし、生き甲斐とか充足感も抽象論の話なので、しょうがないかもしれない。
与えられた価値に振り回されず、自ら価値を探していきたい。
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精神科医である著者の臨床現場での実感から、生きることの意味・生きがいを見出せない人が増えている理由と、どのように解決していけばよいのかが論じられている。
労働に価値創出を見出しづらくなり、効率や有意義であることがひたすら追求されてしまう現状を指摘し、芸術や遊び、意義ではなく意味のある今を生きることのために、「頭」と「心=身体」を協働させること、即興に身を委ね、面倒臭いことの豊かさを楽しむことを提案する。
自分本位や無駄の大切さなど、直前に読んだベネットの主張との重なりに驚くが、本書の方は漱石やニーチェ、フロム、フランクルなどの思想を多く引用しての説明であることから、(もちろん著者の主張を補強するための、ある意味、都合の良い引用ではあろうが)納得感は高かった。
17-28
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看板と中身が大きく違うなぁ。著者の言いたいことはもちろんわかるんだけど、ならば、そのことをもっとタイトルにきちんと表現してもらいたい。
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自分は今まで、ハングリーモチベーションで生きてきて、ここにきて行き詰っているのだと認識した。実存的な問いにぶち当たっている。ハングリーモチベーションだけで働いてきて、今の仕事は「労働」に成り下がってしまている。ときに誠実さを欠く。活力資産も減ってきて、精神が疲弊している。ここらでギアチェンジしたい。
自発性や愛が大切ということは分かったけれど、その先は少し難解で自分には理解が追いつかなかった。そこから芸術につながっていくところが難しい。ここが授業やカウンセリングや行動、と「ただ本を読む」との間に横たわる大きな溝だと思う。
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仕事というものは本来人類にとってどんなものだったのか。それが如何にして労働に組み込まれ、人間的な手応えから半れていったのか。「働く」ということに係る歴史的変遷と文化的バックグラウンドを紹介したうえで、「そのように」なってしまった今、如何にして人類は生に意味を見出していくか(意義ではない)を解説している。医学、科学、哲学、心理学と多方面から考察を深めているが、結局落ち着くところは『何者になるでなく、ただ何かと戯れる』というシンプルかつ唯一解。おそらく、重要なのは、その着地点よりも、それに至る複雑なプロセスの中で自分に響く部分を見つけ、それを主体的に昇華することなのだろう。それこそが、面倒臭いことをして人生を楽しむ、ということ。
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日本てのはなぜこれほど情報過多な国になったのかわかりませんが、その辺に疑問を持って生きている人なら共感することがたくさんあるんじゃないかなと思います。遊ぶことだって、芸術を嗜むことだって、消費システムに組み込まれているもんね。「がんばってがんばって遊び♪」ですから。一方でつげ義春を読んでいると、仕事と生きがいを結びける難しさも感じますね。これも現代に生きる両義性に挟まれるせいかもしれません。
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20171215
タイトルと中身の違いに驚いた。
文章のリズムが合わずに読み進められないので
久々に途中でギブアップ。
残念。
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浮世から離れたフワフワした議論で、論旨が全く不明である。自称知識人の観念上のお遊びはチラシの裏にでも書いたらいい。
おまけに著者の思い込みと事実が区別されてなくて、『ホントにそうか?』の連続。
例えば産業革命で仕事が労働に変質したと決めつけているが、それは一般化できるほど普遍的な事実なのか?少なくとも僕は自分の『仕事』をパンを買うためだけの『労働』とは認識してないし、周りにも己の仕事に誇りと使命を持って働いている人は数知れない。また、仕事よりも遊びや芸術の方が尊い活動だとの考え方は、仕事が何よりも尊いと言うのと根が同じで、どちらにも絶対的な根拠はない。優劣をつけること自体が『意義』至上主義の裏返しである。
最後のアリとキリギリスの寓話の珍解釈も意味不明だ。蟻の無慈悲を非難しているが、キリギリスは不幸な事故によって困窮したのではない。散々遊び呆けた挙げ句の自業自得なのだ。資産家の親のすねをかじって引きこもっていた人間が、親の死後に年金がもらえず生活に困窮したとして誰が喜んで暖かい手を差しのべるものか。
こう言う現実に立脚しないフワフワの議論は誰の何の指針にもならないし、価値を生まない。
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働くことこそ生きること、何でもいいから仕事を探せという風潮が根強い。しかしそれでは人生は充実しない-。気鋭の精神科医が、仕事中心の人生から脱し、新たな生きがいを見つける道しるべを古今東西の名著を繙きながら示す。
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生きる意味、生きる意義、本当に生きるとは?悩める現代人は一読してみれば、得るところも多いと思う。哲学的で若干とっつきにくいが、その分中身は濃い。生きる意味を求めて悩んでいる人は、この本から得られるところ多いと思う。
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エーリッヒフロムの「自由からの逃走」が中心。天職、本当の自由、高等遊民、自分探し、ヴィクトールEフランクルの夜と霧、等。
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仕事の話。ビジネスの話ではないです。
生き方の話。
人生の意義と、人生の意味
これは大違い。
意義は人間にとって利益となるものを得ること。
意味は人間が意味を見出す行為をすることで生まれること。
心の動きから生まれること。
社会は、頭でっかちに直ぐ効果があることだけに価値を置き、一見無駄に思える遊びや、無意味なことに価値を見いだせない。
価値を認められない人間は、自己を確かなものと考えられなくなっていく。
頭から離れ心で自分が本当に求めているものに、愛をもって真摯に向き合う事、自分を見つめることが重要。
何が好きなのか。何をしたいのか、大層なことでなくてよい。
時間が空くことを無駄だと考え、何か情報を得たりすることで、結果的に不安感を埋めているような過ごし方は、いまいちだなと思った。
一見何でもない時間、回り道、無駄な営みに見える事でも、自分自身の余裕を生み出し、自分を楽しませることができると最高なんだろう。
引用される文章
漱石、ニーチェ、フランクル、ミヒャエル・エンデ。
短いフレーズだけど、詩的でいて、深く世界を、そして一人の人間を洞察している。
とんでもない人たちですね。
ハンナ・アーレントは文章も哲学的で頭に入りずらかったですが。