紙の本
<文学の魔術師>と呼ばれたイタロ・カルヴィーノ氏の寓話的世界の始まりです!
2020/07/09 10:10
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、20世紀に活躍されたイタリアの作家であるイタロ・カルヴィーノ氏の作品です。同氏は、第2次世界大戦中のパルチザン体験にもとづく長篇『くもの巣の小道』や、さらに『まっぷたつの子爵』、『木のぼり男爵』をはじめ、同書を含む三部作で奇想に満ちた寓話的世界を創造して名を馳せた作家です。同書は、中世のシャルルマーニュ大帝の御代、サラセン軍との戦争で数々の武勲を立てた騎士アジルールフォが主人公として話が進む物語です。しかしながら、その白銀に輝く甲胄の中はからっぽだったのです。肉体を持たず、意思の力によって存在するこの「不在の騎士」は、ある日その資格を疑われ、証を立てんと15年前に救った処女を捜す遍歴の旅に出ます。付き従うは過剰な存在を抱えた従者グルドゥルーです。<文学の魔術師>とも呼ばれたカルヴィーノが人間存在の歴史的進化を奇想天外な寓話世界に託して描いた傑作です!
投稿元:
レビューを見る
『冬の夜ひとりの旅人が』に続き、『不在の騎士』もUブックスに。
『木のぼり男爵』『まっぷたつの子爵』と共に『我々の祖先』3部作を構成する。
『冬の夜〜』とはまったく違う雰囲気で面白かった。割と滑稽味が強いが、読後感に妙な寂しさがある。
投稿元:
レビューを見る
からっぽのヨロイである「不在の騎士」アジルールフォ、理想と現実のはざまで元気よく生きて恋するランバルド、自分と他人の区別がつかず、メチャクチャに生きているグルドゥルー、生身の男に幻滅した女騎士ブラダマンテ、こんな人々が織りなす中世騎士物語風の話です。語り手は修道院の罰でお話を書かされている修道女テオドーラなのだが、なんとも頼りにならない語り手で、めんどくさくなって話を端折ったりする。アジルールフォは几帳面で現実的、騎士道小説のなかにいながら、騎士の「物語」を「記録」によって「事実」に格下げしてしまうので、ほかの騎士からはうとまれている。そんなかれに騎士の資格が否定されるという事件が起こるという部分が話の筋です。物語の人物がどのように自ら存在するようになるのか、「存在することを学ぶ」というなんとも形而上的な小説、というか寓話であると思う。アジルールフォが存在がつねに物を数えることによって、自らの存在しない存在を確認するところは、SNSでつねに反応を数えている現代人にも通ずるところがあるのではないかと思う。最後はなんとも面白いシカケである。
投稿元:
レビューを見る
品切だったのが、白水社から出版され、ついに3部作読破。『木のぼり男爵』が一番面白かったけど、これも作家の想像力に感服。なぜ不在なのに存在?やはり不在?奥が深すぎ、十分に理解できたかわからない。
投稿元:
レビューを見る
「不在の騎士」の話を書いている修道尼が、「不在の騎士」のストーリーに出て来るキャラクターと同一人物であるという構造の本で、なりきり小説を書く夢見がちな人間の話かと思ってしまった。特に後半のご都合主義な展開は修道尼が子供であることを表しているのかもしれない(訳者あとがきの「子どもの視点」の話からそう思った)
しかし、「不在の騎士」のストーリー自体は「全てを兼ね備えた理想の騎士は存在しない、それならば存在しない理想的な騎士が存在しないということはありうるのでは?」という出発点があるのでそれだけで楽しめた。何故なら私も架空の人間を架空だからこそ好きでいられているので……。というのも理想の人間が架空の存在であるからこそ、現状への諦めと同時にある種の現実への希望を持つことが出来るからである。
従者グルドゥルーはなかなか味のあるキャラでとても良かった。存在感がすごい。
投稿元:
レビューを見る
20年以上前、カルヴィーノにハマった私がせっせと読んでいたのは、こういう非SF系の作品群だった。
(今でもレコスミコミケの良さはたぶん分からない)
この作品を含む、我々の祖先三部作はわりと初期に読んだ覚えがある。
当時、まっぷたつの子爵の暗さから救ってくれたのは、不在の騎士と、木のぼり男爵だった。
(でも、どちらかというと、木のぼり男爵のほうが明るい話だったね。)
騎士物語は私の本籍地なので、それもあって楽しんで読んだ気がするが、20年後に再読して、こんな話だったかなと思った。
まず、話が本格的に動くまでが長い。
全体の真ん中までいって、トリスモンド、ソフローニア問題が起きてようやく話らしい話が始まる。
そこからの描き方は羽があるように自在で、書き手のテオドーラが海や国境をまたがる描写を作り出す様子はメタ的な笑いに富んでいて、手塚治虫マンガのワンシーンのよう。
ソフローニアとの近親問題もジョークのようにとんとん拍子で話が解決して、そのスピーディさに笑ってしまうのだけど、ここに真相を知らぬまま、主人公アジルールフォは自分の鎧を脱いでしまう。
そのまま終わることに、やはり驚く。
なぜ彼は消えてしまったのか。
それは幸せな結末なのか?
ブラダマンテが突然明るく正体を表して、一見大団円のまま物語は終了する。
今読むと前半の、アジルールフォがキッチリなんでもやることで、陣営の普通の騎士やシャルルマーニュに疎まれるシーンがリアルで笑える。
ランバルドが仇の眼鏡係に行くところ、通訳無しに戦争は成り立たないところも笑ってしまう。
そして、プリシッラとの謎の一夜も、トリスモンドの聖杯騎士たちのダメダメぶりも全ては騎士道物語への盛大な一撃で、皮肉な笑いに満ちている。
1959年の作品とのこと。カルヴィーノの目が素晴らしい。
投稿元:
レビューを見る
騎士道そのものが、理想として存在しているが、実際には騎士の中の騎士そのもがいないという。
戦場で
理想だけが、実在している、理想が存在し続けるために必要なこと、その理想が疑われる時、、、
理想という存在が滑稽なのか?理想とかけ離れた現実が滑稽なのか?とても面白い