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1935年9月から1年間、夫婦ともにアメリカ人の文化人類学者ジョンとエラのエンブリー夫妻は熊本県須恵村(現在のあさぎり町須恵)に滞在し、その暮らしを記録した。帰国後、ジョンは『須恵村』(1939)を、エラは共著で『女たち』(1982)を出版。宮本常一、梅竿忠夫、鶴見俊輔に絶賛された。
ジョンは、娘クレアとともに、15年後、事故で亡くなってしまうのだけれど・・・
本書は、須恵村の日々を二人のそれぞれの記録から、読み解き、更に今日と共に、時に比較しつつまとめられたもの。
エンブリー夫妻が横浜外国人墓地に葬られていること。
墓の近くにある元町門は、エラの実家から寄贈され、「ルーリィ門」があるという。
それだけで親近感を抱く。
日本の農村の暮らしを外国人の眼差しで、記録する・・・
日本の親は子どもを大事にする・・・はイザベル・バードも書いていたけれど
甘やかしている・・・
結婚後、夫婦の中に愛はあるけれど、ロマンスはない・・・
など、今の暮らしにも通じる指摘も多々ある。
「橋が流されるたび部落は結ばれていく」90頁
毎年6月に球磨川が氾濫し橋が流されるので、収穫前に新しい橋を架けると決まっている。前日に必要な材木や竹、ツルを集め、翌日、村民総出で橋を付け替える。
お昼で上がった娘達が酒席の準備をし、夜には慰労の宴会となる。
ボスがいるのでもなく、皆で働く・・・金もかからない。
ムラの自治・・・すごい。
エンブリーが村で見た「協同」(本書では「はじあい」)は、村の光も影も包み込んで存在するところに、これからのヒントがあるのではと評されるのもうなずける。