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この本は面白いと思いました。
著者の飲茶氏は、いろいろ哲学系の本を書かれていて
それぞれの本がなかなか面白い内容だったような気がします。
今回のこの本は科学、とくに量子力学などの化学の真髄が
よくわかる内容です。非常によくわかる内容でした。
哲学と科学、イデア論。相対性理論。エントロピー増大の法則。不確定性原理。2重スリット実験。シュレディンガーの猫。多世界解釈。帰納主義。反証主義。チューリングテスト。クオリア。などとても面白い内容です。
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大変興味深い!!
哲学って口で説明するのが難しい分野ですし、何か研究している人はやばめな人のイメージが強いですが、こんだけおもしろおかしく紹介された興味をみなさん持つと思います。
もとがブログ?か何かだったはずですが、その軽い口調も良いです。
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タイトルが何か、イマイチとか。
・特殊相対性理論:速度=距離/時間、光速が一定であれば、距離と時間の方を変えるしかない。⇒観測者ごとに時間と空間の定義が異なる
・物体が光速に近づいていくと、時間の流れが遅くなっていく
・物体が光速に近づいていくと、その空間(長さ)が縮んでいく
・フォン・ノイマン:心や意識といった現代物理学では語れない何かが、可能性の決定を引き起こしていると主張。人間の心は、量子力学を越えた特別な存在であり、人間が観測すると、物質の状態は決まるのである
・分子構造が異なる10時間前のあなたと今のあなたは同じあなたなのか
・左脳と右脳分割の思考実験:我々は唯一無二の魂の存在を認めるなら、同時に魂を持たない人間(哲学的ゾンビ)の存在も認めなくてはならい
・左脳と右脳にそれぞれ私の意識があった(移った)場合、なぜそれは他の人の脳ではなかったか
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「哲学的な何か、あと科学とか」飲茶
不完全性定理(自己言及のパラドックス)
ある矛盾のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する。
ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がない事をその理論体系の中で証明できない。
例:「私は正直者であるor嘘つきである」と自分の事を言及しても自分ではその言葉の正しさを絶対に証明できない。
我々が理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない。
論理性というものは、暗黙の了解によって成り立っており、それは証明不可能な前提の一つであり、本質的に公理と同様。つまり、我々が行う論理的思考とは、実は「証明不可能な思い込み」の一つ。
「AはBである」と言う時、そこには確実に飛躍と矛盾がある。それが論理的思考の正体。
人間は、ある要素Aとある要素Bが集まってできた性質(システム)に対して、「これはXである」と名前をつける。
人間が持ち得る妥当な基準は、「人間にとって役立つ知識であるかどうか」
初期値鋭敏性
ほんの少しでも初期値を変えると全く違った結果が出る事。
エントロピー増大の法則は、「確率的に正しい」のであり、ものすごく低い確率ではエントロピーは減少しうる。
今存在する秩序は全て時間が経つと必ず壊れる。そして一度壊れたものは元の秩序には決して戻らない。
エントロピー増大に逆らって局所的に小さな秩序を作る可能性のことを「ゆらぎ」と呼ぶ。
ゆらぎという偶然により小さな秩序が生まれ、その小さない秩序がほんの少しだけ全体を動かし、その全体が小さな秩序を強化するように動く。
この世界に「一方的に相手に働きかける力」は存在しない。
観測とは、「観測対象物に力を相互作用させて、その影響をを調べる」という事。つまり、影響を与えずに観測することはそもそも矛盾しており、ありえない。
電子(物質)は観測される前は波のような存在であるが、観測されると粒子になる。
観測される前の波とは、粒子がどこで観測されるかという確率の波である。
量子力学とは、「その粒子がどこで見つかるか?」を波の方程式を使って確率的に述べる物理学。
量子力学が正しいのであれば、ミクロの物質はずっと可能性のままであり、位置とかの状態が決まることはない。しかし、事実として人間はどの物質を観測しても「位置Aにある」とか「位置Bにある」等、一つの可能性だけを認識している。つまり、人間の心は、量子力学を超えた特別な存在であり、人間が観測すると物質の状態が決まるとも考えられる。(ノイマンの抽象的自我)
人間も含めて、全ての物質(宇宙)もあらゆる可能性が重なりなった波のような存在。宇宙とは、波のように漂う巨大な可能性の塊。あらゆる可能性は今ここに重なり合って存在している。
電子が多重に存在するなら、猫でも多重に存在するはずであるという「シュレーディンガーの猫」の思考実験について、「であればそれを見ている人間も多重に存在するはずだ」とヒュー・エヴァレットが気づいた。
「見ている人間が多重に存在する」という事は、「私がいる世界」が多重に存在しているという事であり、それは「多世界」が存在しているという結論になる。
人間が観察によって科学理論の正当性を証明することは原理的に不可能。観察によってできる事は、ある理論が誤りである事を証明(反証)する事だけ。(カール・ポパー
反証主義)
科学とは一般的に「明らかには正しいもの」というイメージがあるが、実は今のところまだ反証されていない仮説に過ぎない。
科学である事の前提条件は、「間違っていると指摘されるリスクを背負っているかどうか」である。
小中高校で習っている科学は、とっくに反証されている間違い(古典科学)だらけ。
実験を行なって理論と異なる結果が得られたからといって、理論が間違っているのか?たくさんある前提条件のうち、どれかが満たされていないだけなのか?の区別をつける事はできない。
人類にとって、反証すら確かな検証方法ではない。我々は間違っている理論を間違っていると言う事すら確実にはできない。
今、現実に「この私」が感じている「この赤」がどこからきたのか説明がつかない。
科学がどんなに発展しようとも、同じ仕組みである限り、クオリアの問題を解決する事はできない。
もし我々が自分自身の選択について、「なぜそれを選んだかの仕組みが完全にわかっていた」としたら、それはもう自由意志ではなく、機械的な意志になる。従い、機械的な意志でない為には、「なぜそれを選択したのか、その仕組みがわからない」事が必須条件となる。だがそうすると、「なぜそれを選択したのか、自分ではその仕組みがわからない」ので、結局我々は何を選択しようと、その選択はブラックボックスから生じた事になり、やはり自由(自分の好き勝手)意志ではない事になる。
意志とは我々の計り知れないところから起こるものであり、むしろ我々の計り知れないところから起こるものでなくてはならない。そうでなければ機械的意志になる。つまり、いずれにせよ我々には「自由に意志を引き起こす自由」は存在しない。
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だいぶ昔にウェブ版を読んだことがあると思うが、そのときはピンと来なくて途中で読むのをやめてしまった記憶。
科学的な謎についていくつかの章に分けられており、その中でも個人的には二重スリット実験が気になった。
実験結果もそうだし、それに対する解釈も面白い。この本だけだとさらっとなぞった程度の説明なので、他の本も読んでみたい。
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普段当たり前に見えている世界も、よくよく考えてみたら不思議で満ち溢れている。そして、科学的に正しいとされていることでも、それがなぜ正しいのかを証明することは原理的に不可能である。量子力学やココロの問題を通して、自分を取り巻く世界のものの見方が変わる一冊。
本書の最後の方に、自分とは何かについて、どこでもドアを用いた思考実験で考察している箇所がある(かなりドラえもんが嫌いになる)。自分とは何かを考えるのに、なぜあのような、原作とはまるで異なるどこでもドアを想像したのか。ドラえもんを悪い奴にした意図は何か。その辺が腑に落ちなかったので、☆4の評価にしている(ぼくの読解力不足が原因だったらごめんなさい)。
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ずっと理解出来なかったシュレリンガーの猫が、ようやく理解できた。文章がわかりやすかった。
要点は以下;
・原理的な部分から証明することは難しい
→私が絶対だと思ってた幾何学は、実は証明できない
・全ての物質の元となる原子でさえ、存在確率を示されたに過ぎない
→シュレリンガーの猫について
・こころの有り無しも証明できない
⇨三角形や原子でさえ実在の証拠を証明できない以上、こころのありようについては、数学や科学のロジックで追及は難しい=>哲学に触れてみよう!みたいな結論。
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ある矛盾のない理論体系の中に、肯定も否定もできない証明不可能な命題が必ず存在する。
ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、その理論体系の中で証明できない。
どんな理論体系にも、証明不可能な命題(パラドックス)が必ず存在する。それは、その理論体系に矛盾がないことをその理論体系の中で決して証明できないということであり、つまり、己自身で完結する理論体系は構造的にありえない。
我々が理性により作り出した理論体系が真理に到達することは決してない。
あらゆる学問は、ある一定の公理(=証明は不可能だが、正しいとする暗黙の了解)を元にして、論理的に組み立てて体系化されたものである。
どんな理論体系にも、必ず最初に公理が存在しなくてはならない。
あらゆる学問の理論体系は、ある一定の公理のもとに論理的思考を蓄積することによって作られた構造物。
我々が行う論理的思考とは、「証明不可能な思い込み」の1つ。
人間は「ある要素Aと別のある要素Bが集まってできた性質(システム)に対して『これはXである』と名前を付ける」ということをしており、そういう存在を「物質」だと呼んでいる。
概念・理論はそれらがいかに精密で無矛盾であっても、仮説とみなされるべきである。概念・理論は道具である。すべての道具と同様に、それらの価値はそれ自身の中にあるのではなく、その使用の結果現れる作業能力(有効性)の中にある。
ニュートンの方程式でさえ「重力は物体間の距離の2乗に反比例する」という数式を「なぜそうなっているのか」という理論的な説明もなしに物理学の基礎として置いている。
つまるところ、人間は理論の正当性を決める絶対的な基準を持たない。よって、せいぜい人間が持ち得る妥当な基準は「人間にとって役立つ知識かどうか」ということになる。
ゲーデルの不完全性定理によって数学は不完全であることが証明された。それを覆すことは原理的に不可能である。「数学は不完全である」というのは「数学の証明によって導き出された結論」である。したがって、数学者は「数学によって証明されたことは正しい(=数学は正しい)」という前提を了解するならば、「数学は不完全である」という結論をも了解しなければならない。もし、「不完全性定理こそ間違っている」と主張するのであれば、それは「数学の証明によって導き出された結論が間違っている」と述べていることになるため、つまりは「数学は正しいという前提が間違っている」という主張をすることになってしまう。
「ゆらぎ」という偶然により小さな秩序が生まれ、その小さな秩序がほんの少しだけ全体を動かし、その全体が小さな秩序を強化するように動く。「ゆらぎ」によって生まれた小さな秩序でも全体に大きな影響を与え、とてつもなく大きな新しい秩序を生み出すことがある。
物理学は常に「現実的な営み」である。現実の現象とそぐわない物理理論は何の役にも立たない。
この世界は「波であり粒子である何か」から出来上がっている。
我々は観測していない存在について「〇〇である」と断言することは出来ない。「◯◯かもしれない」という可能性しか論じることが出来ない。
科学は世界について本当のことを知ることが出来ない。量子力学が科学に与えた革命的な影響。それは、人間の科学観を「真理探求の学問」から「道具主義的な学問」へと転換させてしまったことである。
論理実証主義のように、厳密に考えてしまえば相対性理論や量子力学でさえ正しいと確実には言えない。
この世界に「確実に正しいと言える理論」は存在しない。その性質上、どんな実験と観察を繰り返し検証を進めようと、原理的に科学理論は決して確実なものにはならない。
人間が観察によって科学理論の正当性を証明することは原理的に不可能である。観察によって出来ることは、ある理論が誤りであることを証明(反証)することだけである。
意志とは我々の計り知れないところから「起こるもの」である(そうでなければ機械的意志となる)。つまり、我々に自由意志などというものはない。
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哲学と科学のつながりを知りたい人にはいいと思う。平易だが、根っからの文系には少し難しい。これが面白く、より知りたいと思うなら理系の資質があると思う。
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シュレディンガーの猫に代表される量子論やや相対性理論など、難しいと思われがちな分野を数式をほとんど(あるいは全く)使わないでわかりやすく、楽しく説明している。
哲学と科学の間を書いた本で、自分たちが普段認識している「当たり前」についてよく考えることができる本。
たのしぎてすぐに読み切った。
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結局この世界で確かだと言えることは「我思うゆえに我あり」くらいかと思いきや、
最後に"自由意志"なんてものは、よく分からないところから起こると言われ、それってつまり、"この世界を疑う意志"も、出所はよく分からないってことでしょう? もしかしたら、何か(誰か)から疑うようコントロールされている可能性もなくはない…
この世界とは、自我とは一体、、、
純文系、数学化学大嫌い、物理受けたことないマンでも、エントロピーやら(特殊)相対性理論やら量子力学のざっくりしたことが理解でき、「めちゃめちゃ面白い!もっと数学とかがんばっておけばよかったな!」とすら思える良本。
この世界パラレルワールド説(他世界解釈)が、量子力学の実験から生まれたと分かり大変満足。
クオリア以降のくだり、文章はくだけた読みやすいものだが、取り扱っている内容は超難解。
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科学にある程度信頼をおいていて、哲学にあまり触れたことのない人にすごくオススメ。
哲学って面白い!って思えるし、あれっ?科学って突き詰めると絶対的な信頼をおけるかどうかは分からないなぁってことを思わされた。
量子力学の話は物理を学んだことなくてもなんとなく理解できるように書いてくれているし、哲学的な要素がたくさんあって面白かった。
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専門書で扱えば超難解になるであろう哲学的や科学的な内容をわかりやすい言い回しで書いている
特に量子力学の電子の二重性、スリット実験からのコペンハーゲン解釈や多世界解釈の流れが面白く、わかりやすかった
量子力学を学ぶ前の入門として一読すると理解がしやすくなると思う
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爽快な読み心地と言うべきか、哲学も科学もとっつきやすいとは言えない分野にも関わらず、誰でも理解できる言語、思考プロセスの再現によってわかり易く書かれている。
特殊相対性理論、二重スリット問題はじめ、科学って意外と大胆な解釈がたくさん採用されているんだなと良い気づきになった。
例えで出てくるダークなドラえもんの世界観も個人的に好きだった。
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科学者、哲学書の世界をチラ見できた
作者がわかりやすく書いてくれたおかげでだいぶ易しくなり、読みやすかった