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謎多きソクラテスにせまる
2022/05/23 01:07
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投稿者:見張りを見張るのが私の仕事 - この投稿者のレビュー一覧を見る
西洋の哲学はソクラテスに始まったと言われるが、ソクラテスとはいったい何者か。ソクラテスが刑死してから少し経つと、ソクラテスを死刑にしたあの裁判ははたして正当であったのかどうかという潮流がおこり、弟子のプラトンやクセノフォンはソクラテスを弁護するために、ソクラテスの批判者は裁判を正当だと論じるために、多くの人がソクラテスについて書くようになった。本書ではこのソクラテス文学という視点から新たなソクラテス像を打ち立てようとしている。
周知のとおりソクラテス自身は著作を残さなかったために、ソクラテスについては弟子のプラトンやクセノフォンの著作からしかうかがい知ることができないという史料上の制約がある。ソフィスト対ソクラテスという構図はプラトンが、ソフィストと混同視されたソクラテスを、彼らから区別するために意図的に強調した構図であるという。そのためプラトン流の見方を受け入れれば、ソフィストと哲学者は全く違う存在だということになる。しかし、同時代の史料を比較検討すると、ソクラテス、あるいはソクラテス派の哲学者とソフィストには共通点を見出すことができるのであり、また、同時代の人たちも両者を同じ範疇でとらえていたのだという。
いわゆる「無知の知」という言葉について、これは世の中に広まっているが、実はプラトンはそのような言葉を使っていない。知ることと思うことを厳格に区別していたプラトン哲学に忠実に従うならば、「無知の自覚」だとか「自身が無知であると思う」というのが正確な理解であるという。「無知の知」という言葉が正しくないとすれば、そのような誤りはどうして広まったのか。これは、アウグスティヌスらが使っていた、docta ignorantia(知ある不知)という神学用語が、15世紀のクザーヌスによりソクラテスと関連付けられて論じられたためで、そしてそれが日本では、西洋近代哲学を専攻していた東北帝大の高橋里美によって、ソクラテスの説明にクザーヌスのラテン語(docta ignorantia)を用いたところから広まっていったという経緯が説明されている。
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古代ギリシャにおいて哲学が生まれる動的なプロセスを明らかにした興味深い一冊です!
2020/04/13 10:23
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、今から2400年前の古代ギリシャで哲学が生まれる状況を浮き彫りにしようと試みた画期的な一冊です。同書は、ソクラテスは哲学の祖と言われているが、何の著作も残すことのなかった彼がなぜ哲学の祖と言えるのか?また、ソクラテスと彼の弟子たちであったプラトンやアリストテレス3人による奇跡的な達成と考えるには何か致命的な見落としがあるのではないか?という著者の問題意識の下で、ソクラテスが何者だったかを膨大な史料を駆使して明らかにし、哲学が生まれる動的プロセスを解明していきます。非常に興味深い内容で、一度読み始めると読者を魅了してしまいます。
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ブログ更新:『哲学の誕生 ソクラテスとは何者か』納富信留
そこでネックになるのがソクラテスはどこまでがソクラテスでどこからがプラトンの創造なのかという問題である。プラトン作は初期・中期・後期と後の研究者によって分別され、初期の対話篇に登場するソクラテスが史実に近く、中期以降になるとプラトンが独自の哲学をソクラテスに語らせるようになっていった、という理解がオーソドックスである。私もそんなものだと思い、初期の対話篇に価値を置いていた。
http://earthcooler.ti-da.net/e9800316.html
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最新の研究成果が導入され、人口に膾炙したソクラテス理解を誤りとして指弾している。厳密な学問的態度を貫くため、文献の一字一句を詮索するのはある意味仕方ないだろう。それより私にはソクラテスを巡る知的攻防が、ソクラテスの生前においても死後においても沸騰していた様子が浮き彫りにされていて、面白かった。当然ソクラテスも聖賢の称誉を始めから得ていた訳ではなく、ソクラテスの生前の活動を基軸としながらも、死後において弟子達がソクラテスを巡る誤解や紛争を乗り越えて、真実に近づく形でソクラテス理解を確立したからこそ、我々はソクラテスに学ぼうと発奮するのである。とはいえ、少なくとも私にはソクラテスがしたような悠長な議論をする時間はないし、言論に専心する以上に働いて生活をしていく重要性を重く見ている。その点を踏まえて、ソクラテスに何を学ぶのか、この問いは真剣になされるべきだ。
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哲学者として有名なソクラテスに対する考察本。
有名な『無知の知』が、「知らない事を知っている人の方が知らない事を知らずに語る者より優れている」という論ではない説明がとても面白かった。
ソクラテスの著作は何もないので、その思想は弟子や知人というフィルターを通じてしか残っていないため、そこから吟味する必要がある、という主張なのだが、正直前半は読み飛ばしてしまった・・・。
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納富信留『哲学の誕生』ちくま書房,2019(初出2005)
だいじな本である。ポイントはソクラテスの「無知の知」というのは誤りだし、問題が多いと論証しているところだろう(第六章)。教員採用試験の用語集とか、高校の倫理の教科書もそのうち書き換わるんじゃないかな。(もう書きかわっているかも)
(プラトンの)『ソクラテスの弁明』で言っているのは、原文にもとづくと「知らないと思う」(不知の自覚)という透明な自覚で、この意味で『論語』の「知らざるを知らざるとなす」と同じだそうである。それで、「知」を二重化する「無知の知」というような「メタな知」ではないそうだ。そもそもソクラテスは対象をもたない「知」を認めていないのである。日本で標語のようにいわれている「無知の知」は明治以来の哲学の受容のなかで、禅や儒学の下地のうえで言われだした誤解なんだそうだ。要するに、ソクラテスはそんなに難しいことを言っていないのだけれど、実行するのは難しいのである。ついでにいうと「悪法も法なり」は「厳しい法も法である」という意味とのこと。
第一章は、ソクラテスが毒杯をあおいだところを書いている『パイドン』の舞台が、ピタゴラスと関係があると指摘していて、「哲学者」(知を愛し求める人)という言葉をつかったのはヘラクレイトスという人で、ピタゴラス派の「博学」を批判した言葉だったそうだ。プラトンにはピタゴラス派の影響がある。ちなみに哲学のはじまりをタレスとするのはアリストテレスの『形而上学』に書いてある意見で、文献的にはピタゴラス派を指す方が有力なようである。
第二章・第三章は「ソクラテス文学」というジャンルがあったことを書いている。ソクラテスの死後、いろんな人がそれぞれの立場からソクラテスについて書いており、プラトンもその一人だった。それで、クセノフォンとかいろんな断片もみていかないといけないという話で、学問のやり方の話が主となっていると思う。プラトンの『ソクラテスの弁明』も決して歴史的ソクラテスをそのまま書いたものではなく、プラトンの創作として扱わなければいかんそうだ。もちろん、創作だからといってデッチアゲではなく、ソラクテス裁判の「真実」を探究するものである。
第四章は、ソクラテス裁判の背景を書いている。前404年、ペロポネソス戦争でアテナイが負けて、スパルタ王の後援をうけてアテナイにクリティアスらの「三十人政権」ができた。この政権は裁判にかけずに殺された人もふくめて、1500人も市民を弾圧して殺したのだが、一年でこの寡頭制が打倒され、民主制が復活する。ソクラテスの処刑(前399年)の時期には民主派の復讐心が渦巻いていた。ソクラテスの罪状は「瀆神」のほうはあまり問題にならず、「若者を堕落させた」ことが主になるんだが、この「若者」が「三十人政権」を指導したクリティアスだったり、アルキピアデスであったりしたそうだ。なんとなく、プラトンの民主制ぎらいが分かる気がする。
第五章はソクラテスとアルキピアデスの関係を書いている。アルキピアデスは美男で雄弁で金持ちという「アイドル」のような人なんだが、ペロポネソス戦争の和平を邪魔して、シチリアから包囲して全ギリシアを支配しようとする作戦を考えて、アテナイのために戦い、気にくわないことがあって裏切ってスパルタに走り、「そこまでやるか」と思うくらいアテナイ軍の攻略法を教えてたりした。だけど、スパルタでも王妃を誘惑して孕ましてしまい、暗殺指令がでて、ペルシアに逃げてペルシアも手玉にとった。里心がでてアテナイに戻ったときは、なぜか英雄扱いされた。とにかく善にも悪にもふりきれた人だったらしい。この人を教育したかどでソクラテスは断罪されるんだけど、アルキピアデスはソクラテスの魅力が分かっていて、「一生そばにいるしかない」はめになるんで、ソクラテスを避けたそうだ。だから、アルキピアデスについてはソクラテスに政治目的で近づいた「ほんとうの弟子ではない」という弁護は、弁護になっていないんじゃないかという指摘がある。
補遺はソフィストと哲学者をわける発想は「ソクラテス文学」の作品群のなかでも、プラトンに独特な点で、この意味でプラトンの創作だそうだ。ソクラテスの時代はこんな区別はなかったと指摘している。
全体的にソクラテス裁判の歴史的背景がしっかり書いてあって、古典屋の仕事だなと思った。おもしろかった。
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ソクラテスの生きた時代は、ソクラテス・プラトンだけが突出していたのではなく、同時代に生きる思想家たちの大きな潮流の一環として位置付けとして再認識すべきとして、紹介しつつ、後代における主にソクラテス思想の受容の仕方を紹介した著作。