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失礼ながら滝川先生のことを知らなかった。
中井久夫先生と一緒にお仕事をされていたとのことで、さすがによく整理されている文章。普段臨床で考えていたことを、わかりやすく、余すところなく言語化してくれている。
読み物的な作りになっているが、精神科医だけではなく、小児科医、発達に関わる心理士、教師、児童福祉に携わる職員、看護師などいろいろな職種の人に読んでもらいたい一冊である。是非とも小児系の学会などで講演してもらいたい。。
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493.937-タキ
300556875
「子どもの育ち」の名著です。著者の滝川一廣さんは児童精神科医で学習院大学教授。発達とおくれについて、わかりやすい普通の言葉で書かれています。
とくに「いじめ」に関する項は「目から鱗が落ちます」。
私は病院でご一緒に働いたことがあり、子どもの話を根気よく聴くのでみんなに慕われていました。子どもが肯定的にみえてくる本です。
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子どものこころのケアに関わる人たちに向けて書かれた本のためか、450ページ近くの大著であるが、値段はその割に安い。
臨床的な本である。
発達障害の診断は「行動」からなされるが、ケアに取り組むには「体験」に入っていかなければ、適切なケアにならない。それぞれの行動の意味、そして彼らがどのように体験しているかをくどいくらいに解説。
育つ側のむずかしさとして発達障害をあげ、育てる側のむずかしさとして、子育て困難のグループをレベルアップした現代の子育てが生み出す問題と、そのレベルに達していない子育てから生む問題として、整理して解説。前者の代表として、家庭内暴力から引きこもり、摂食障害など、後者の代表として虐待問題など。
この本は、1.子どもは育ちつつあるもの、成長途上の存在である、2.子どもは社会の中を生きている存在である、3.子どもの育みもケアも、マニュアル通りにはいかない、という観点を基本に書かれており、そして実践に役立つ土台が提供されている臨床的な本である。
何回も読み解くことで味が出る本と思うが、子どもの臨床に携わる人にはかゆいところに手が届く本と思われる。
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フロイトやピアジェなど心理学の知見を使いながらも、日本人の特質や日本の社会状況に合わせて、主として未成年の心理失調を分析している。この、未成年に見られる心の現実を明らかにした分析は圧巻で、子供の発達過程を辿りながら、社会倫理も絡めて、現状を浮き彫りにしている。従って、現状分析は極めて独創的で、この分野に興味があるなら必読だ。ただ、問題の所在を明らかにした後に、対処法を示すが、それがあまりにも定式化され過ぎていて、これが現実の解決に一役買うとは思えない。これが科学としての心理学の限界で、未来を切り開く上での理想は、いにしえの思想を、時代の風雪に耐え得た思想を参照しなければならない。その意味で、仏教かキリスト教か儒教かなど、選択の余地はあるものの、現代の科学が単独で解決を目指すのではなく、古きを温める必要がある。西洋では心理学もキリスト教と地続きかもしれないが、日本では違うので、その点で古と新を架橋しなければならない。
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http://catalog.lib.kagoshima-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB23413408
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児童精神医学の専門家である滝川一廣先生が子供の精神障害についてわかりやすく解説した良書。発達障害や精神障害は不登校やいじめなどの問題とも密接につながっている。発達障害や精神障害の子供たちと関わる可能性がある人にはとてもおすすめできます。
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とても丁寧で分かりやすく、発達障害への理解が深まった。発達を認識の発達と関係の発達に分けて説明している部分など、特になるほどと思った。仕事で子どもに接するときのみならず、育児書としても利用価値があると思う。
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診断を超えて子どもを理解するために。若手のうちに読んでおくと良いですね。分厚いけどスイスイ読めるぞ!
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子どもの問題を社会的、文化的視野の中で捉えるという視点に立ち、子どもの精神発達とその困難について総括的にまとめてある一冊。
発達に困難のある子どもと関わる大人だけでなく、親や教育に関わる人にとっても役立つ知識や、考えが散りばめられている。
心に響いた部分をいくつか抜粋。
障害名や診断名をつけることに意義は感じていたものの違和感があったが、「名前を知ることで、周りと分かち合うことができる。名前をつけることは、納得や安心感をもたらす力がある。」という記述で納得できた。
「支え合うとは、仲良くもたれ合うことではなく、競争と協力、対立と妥協、主張と譲歩、自愛と他愛など、相反的なものを調和させながら関わりあうこと。」→もたれ合う関係は、親子や恋人でもあると思うが、その違いについて理解できた。
「社会性をつけるケアやトレーニングをする考えもあるが、そこまでせねばならぬほど、社会性とは良きものなのか?」
→「私たちの社会が過敏に対人関係を働かせなければならない世界になっていないか。(礼儀、マナーとか)」
→「もっと懐の広くて深い、おおらかな社会を作り上げることが、子どもたちだけでなく、私たちに取って必要かもしれない。」
「『みんなちがって、みんないい』を、現実に振る舞わせるのは理念ではなく、異質性、多様性の中を生きてきた経験がもたらす違うことへの「慣れ」なのである」
→だから、多様性を顕在化し、子どもが意識できるかが大事。
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精神医学の大家、滝川一廣先生による子どもを対象とした精神医学の包括的な概説書。精神医学という名前がついているが、発達障害・虐待・いじめ・不登校と様々な子どものメンタルヘルスの問題について触れられており、精神医学に携わるもの以上に、子どもに携わる者全員に役に立つ本となっている。自分自身の様々な子どもとかかわってきた経験を、ここまで明快に言語化してくれた本は初めてだった。生物、心理、社会的な要因に至るまで幅広い視点で捉えられており、こんなにも分厚い本なのに一言一句に学びがあった。
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400ページを読む胆力があるならば、子どもに関わる前に必ず読んでおいて欲しいと思いました。この本を読もうと思う方なら絶対に理解できる内容となっています。
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400ページあり少し手が出しにくい感もありますが、基礎や理論から実践まで適宜症例を提示しながらわかりやすく解説してあります。内容が重複してる部分も多く、ページ数ほどは時間は取られないかと思いますし、何より理解しながら読み進められます。
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学校・教育関係者のためのベースラインとして極めて有用。教育現場における心理学的知識のアップデートが包括的に行える。精神疾患を博物的に並べるだけでなく、捉え方・関わり方の点で著者の主観がところどころ顔を出すため読み進めやすい。
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物事に対する言語化が非常に上手く、とてもわかりやすい。一貫してためになる内容だった。
精神発達って本当に奥深くて面白いな。
✏人間には「名前」を得てはじめて落ち着けるところがある。私たちは世界を意味(概念)によってとらえる認識的な体験のしかたを身につけ、いわば「言葉の世界」を生きている。
✏操作的診断は加点法だけでなされる(この障害ではこういう行動は見られないといった逆のチェック項目も用意して減点法を加味するしくみになっていない。これは大きな不備)。そのうえ操作的診断のチェック項目の一つひとつはほとんどが非特異的なものである。
→操作的診断は過剰診断を引き起こしやすい。
✏分類という意味での「診断」ではなく、理解という意味での「診断」
✏一般に「知能」と呼ばれているものはおおむね、この「認識」の獲得能力ないし獲得水準と考えて良い。
✏発達障害の原因論において、個体側の要因(ex脳損傷)、環境側の要因(ex栄養不足)、生物的要因(ex自閉症スペクトラム)、社会的要因(ex虐待)のどれなのかしばしば論争になる。
✏生まれ落ちたときがもっとも「個性的」
✏乳児のアタッチメントは他の動物と違い、子の側から一方向的には成り立たず、親の側も接近的に応える双方向性によってはじめて成立する。
✏授乳をしたりおむつを替えたりという一見して身体管理的なマザリングが、一方で安心感や基本的信頼など「関係の発達」の土台を、他方で身体感覚の分化と共有という「認識の発達」の土台を作り上げて、精神発達上の大きな役割を果たしている。
✏世界には色々な約束やルールがあって、それは大切なものだという体感と、その約束やルールに従って欲求や衝動を自分でコントロールする力を身につけるところに精神発達上の大きな意味がある。
✏必要なのは「もう少し様子を見ましょう」と先送りすることでもなく、早々と診断名を告知することでもなく、発達の分布図の中で今太郎くんがどこを歩いているのかを知ることである。
✏「自分の部屋」とか「居間」といった意味(概念)によって認識的にその場をとらえることがまだできないため、そこにある事物の色彩や形態など直接に視覚されるものを手がかりに認知的にその場をとらえている。そのため、敷物が巻かれたり家具の位置が変わった途端そこは見知らぬよそよそしい世界になってしまうのである。
✏自分の努力でなんとか保ちうる恒常パターンを、外界を少しでも恒常的な安定した世界として体験するためのよすが(定点)としている。身の回りの事物の配置とか順序とかが、しばしばそれに選ばれる。そのパターンが変わるのは、よすがを失い、世界が崩れかねないほどの一大事で、パニックまで引き起こすのである。
✏自閉症の子どもたちは環境の影響が少ないとみなされがちである。しかし、実は逆。環境にみずから能動的に関わる力が弱いぶんだけ、環境の側からの影響を一方的に被りやすい。
✏大人とのつながり感が薄い子どもは、大人の意志を取り入れて自分のものにできない。自分なりの理解ができないと行動に移さない。それが頑固な「こだわり」に見える。関係の支えが乏しい分、新しいことへの不安や警戒心も強い。
✏自分の体験は、ある一般性をもったもので自分ひとりの特殊ではないこと。その体験がどんな性質のものかについて社会には知見の積み重ねがあり、どうしたらよいかの経験値や工夫もすでにあって、それらを手がかりにしながら自分なりの生き方を模索することができること。「診断」にはこれらを共有する目的がある。
✏専門家が障害を「告知」し、家族や本人にはその障害を「受容」するというあり方が好ましいとは思われない。また障害名かますっぽりと「自己アイデンティティ」となってしまうことも望ましくない。
✏精神医学の診断は、近代医学的な方法による診断ではなく、あくまでもその医師の判断であり、煎じ詰めれば、かりそめそのものである。専門家にはそのことへの謙虚さが不可欠。
✏社会の柱が第一次・第二次産業から第三次産業(ひとの欲望にはたらきかけて消費を生み出す労働)に変化した。これに合わせて社会の求めるものが「勤勉性」から「社会性」に変化した。「社会性」のあるなしが人間評価の基準と化したのである。これは自閉症スペクトラム系の人たちが最も不得手なところだろう。
✏以前は「才能」だったものが「障害特性」とされる。
✏これは自閉症スペクトラムという「脳の障害」であって、決して「身勝手で周りに合わせられないのではない」という社会性圧力から護ることが精神医学の役割となった。
✏自己コントロールは能動的な心の働きである。「我慢」や「辛抱」は受け身の努力で、能動性を育まないことに留意が必要。
✏達成体験を生活の中で味わえる支援を忘れないことが大切。それが能動的な自己コントロール力を育ててくれる。
✏複雑な社会生活が可能なだけの認識の力や関係の力を身につけるには、その力を備えた大人との密接な交流の積み重ねが必要となる。これが人間の子育ての持つ固有の特徴で、子育てが必ずしもたやすくない普遍的な理由といえる。
✏近代化とともに捨て子の形で子どもを世間に託す暗黙のシステムが消えた。それと入れ替わるように親子心中が増え始めた。このことは、近代化の進行とともに生活に窮した時、捨て子よりも共死が選ばれる社会になった可能性を否定できない。
✏過敏で過剰な危機意識が社会に広がるところに、現代の子育てが強いられる困難の有り様が見て取れる。
✏個々人の欲望や欲求を高めることで発展する消費産業が社会の中心となればその個人意識、「私」の意識は一層拡大(肥大)する。この意識変化によって、近隣づきあいはむしろ煩わしいもの、共同社会は私的な生活を侵害するとのとすら感じられるようになった。
✏子育ての自由性がとても高くなった。その反面、子育てをすべて親の肩にかかるものとし、また共同社会から孤立しがちなものとした。これは、なんらかの事情で親の力が落ちれば、その子育ては一気に劣化するようになった。
✏公共の場で他所の子供を叱れない、公園で子どもたちが遊ぶ声がうるさい。これらも子どもを「社会のもの」(自分たちのもの)とする公共感覚の薄れを示している。
✏他方、「どうしても自分の子」が産みたいという願望とそれに応える生殖医療の発展が見られる。「育てるなら自分の子」と、ここにも子育ての「私」化の強まりが見られる。
✏社会化を担う公教育に個人化が要求されるようになり、子育てと教育のシンクロナイズが難しいものとなった。
✏家族間の「思いやりや気遣い」と「おしつけや干渉」との境目は微妙で線が引けないけれども、後者に傾くほど拘束性を帯びた関係が生じて生きづらさが出てくる。いっそ思いやりも気遣いもない関係だったならば、子どもが反抗して家を飛び出すといった一種の「打開」があるけれど、そうではないところに別の難しさがある。
✏家族からの密着性から身をもぎ離そうとするもがきが非暴力的なものに変わった(家庭内暴力→引きこもり)ことで、問題が「遷延化」しやすくなった。家族とのコンタクトを回避するだけでは心理的に独立したとは言えず。むしろ親にすっかり依存した生活を抜け出せなくなるからである。
✏この傾向が嵩じれば、自閉症スペクトラムにおける社会性の障害とは別の意味で「社会化」の困難が生じる。
✏近隣共同体が消滅したあとは、子どもに社会的な力を育む役割は「学校」がほとんど全面的に引き受けるようになった。
✏家族以外の大人と触れ合う機会が、大人へと成長していくために大切な意味をもつ。
✏専門家の役割は、家族という閉じられた世界の風通しを良くし、視野を広げたり、社会とのつながりをつくることによって、本人と家族の解決努力を支えるところにある。それに加え、危機介入の必要性に対する判断とその手立てをもっている。
✏不備な子育てをもたらす要因①経済困難②家族間の不和③疾病④子どもの障害⑤子育ての不得手さ
→①と②が極端に不備な子育てをもたらす最大の背景であり続けている。
✏子育てを支え合う隣保的な相互扶助のネットワークが消えて、貧困は生活難に加えて家族の孤立、子育ての孤立をもたらすようになった。現代の貧困の大きな問題は、物質的な貧しさ以上に、何よりも関係の貧しさ、つまり社会的な孤立をもたらすものになったことである。
✏減って希少な現象になるほど、起きれば注目を集める。
✏虐待発見への眼差しの強まりは、自ずと虐待概念を押し広げる。合格ラインに届かぬ育児への人びとの目がだんだん厳しくなっていくのである。
✏虐待の概念は、子育てにおいて起きる現象にも関わらず、育児の難しさがもたらす不備や失調という視点に意外なほどかけている。虐待防止法も、親の加害からの「保護」を主眼としている。
✏現代社会での子育ての困難や失調は、その営みが社会とのつながりや支えを無くしてきたこと、孤立的になったことを大きな背景としている。
✏その体験を「虐待」と名付けること、あなたの親は「虐待者」であなたは「被虐待児」だとすることが、子どもに救済感を与えたり自尊感情を守るだろうか。むしろ、不遇感・不幸感を募らせるか、被害者性にしがみついて何事にも他責的になるかである。
✏周りの常識的な善意や同情と、子どもが耐えんとしている怒りや悲しみや不信、失うまいとする矜持との間には深いギャップがある。
✏怒りが引き出される5つの理由
①いわれのない攻撃を受ける
発達の早期から養育者からもっぱら「攻撃的な情動」を向けられながら育った子どもの場合、その情動のあり方が共有されて、その子のムードの基調になる。それが状況に関わりない攻撃的な態度となる。
②試し行為
人への不信や警戒が根深いため、怒らせたり苛立たせたりしてこの人は安心かどうかを試す。はっきり意図した「試し」というより、ほとんど自然に出てくる身についたふるまいである。
③拙い愛情希求
愛や甘えを求めつつ満たされないできたこと、安定した親子関係をもてなかったことへの寂しさや苛立ち、怒りが背景にある。
④はっきりとした攻撃
自分の境遇や運命に激しい怒りを抱いており、その感情を安心できる相手を選んでぶつけるようになる。
⑤虐待現象の再現
怒りを通した関わりばかり経験してきた子は、望まずして相手の怒りを引き出す関わり方をしてしまう。
✏こちらが子どもたちの前で自分の苛立ちや怒りをコントロールできれば、自己コントロールの不得手なこの子どもたちにとってモデルとなる。
✏自分がなんとかしようと、知らず知らずその子どもを抱え込んでしまうのは、燃え尽きにつながる危うい兆候である。
✏その子がずっと背負ってきた孤立無援さを担当者がともに背負い始めたわけであるが、孤立はケアからゆとりを奪うし、視野をせばめる。
✏全員が横並び一線で関わるのではなく、誰か子どもにとってキーパーソンとなる者が必要である。キーパーソンをチームで支え、そのチームを職員集団全体で支え、その職員集団を施設の管理体制が支え、その施設を地域が支える(施設が地域で孤立していないことが不可欠)という二重三重の入れ子構造の保護があって、初めて子どもたちは護られる。
✏子供側には愛着的な希求力が相応にあっても、養育者側の接近的・交流的な反応が不全であれば、同様に対人関係の発達に遅れやつまずきが起きうる。これが「反応性愛着障害」で、こちらの方が発達障害よりも複雑でこじれた関係困難となりやすい。
✏強圧的な子育てを通して、「約束やルールとは自分を責めたり罰するためにあるもの、自分を苦しめるもの」というネガティブな感覚しか抱けずにきた子が少なくない。また、ある時は許容されある時は叱責されるなどルールに一貫性のない関わりが続いたため規範意識が根づいてない場合もある。
✏強い自己不全感と自己否定感とから「どうせ自分なんか」と自尊感情が失われれば、不得手なりになんとか自分をコントロールしようとか、ルールを守ろうとする意欲が抱けなくなる。
自己コントロール力を以下に育むかがADHDに対する支援の参考となる。
✏インセスト(近親姦)が固く禁じられているのは、それが家族といく関係の構造やつながり、その心の世界を内部から破壊するものだからかもしれない。
通常の「性犯罪」とは別の固有の深刻さをもつ。
✏生じる事態の深刻さ、子どもの辛さ、そうなってからケアすることの大変さやコストの多大さを考えれば、やはり子育ての失調そのものを防ぐ道���真剣に探らねばならない。
→貧困格差を減らす。親を叱責しない。乳児期から幼児期初期までの子育てを社会が護る。妊婦のフォローから始める。
✏特定の親友ができることは、相手を鏡にしあいながらonly oneの「個」としての自分を掴んでいく重要な体験となると同時に、やがて「大人」として(異性との間で)性愛的な二人関係の世界を育んでいく下準備ともなる。
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仕事のために手に取りましたが、いわゆる専門書にありがちな学術用語は少なく、読みやすかったです。
発達障害を知っている程度の多少の医学的知識はあるけれど、十分に理解はしてない人にはピッタリと思います。
なるほどと思うことも多く、実地医家ならではの視点や事例を交え分かりやすく記載されていました。