紙の本
この作者の作品は、こころに染みます
2019/12/11 22:27
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この作者の作品を読むのは「オリーブ・キタリッジの生活」についで2作目。前の作品で感じた、何の変哲もなく感じられた生活の中にも確実に歪みはあり、その歪みは人々を苦しめているという感想は田舎町が舞台だった前作と同じように今回のニューヨークを舞台にした作品でも同じだった。いつごろまでは私は私小説的な作品というのは日本にしかない特殊な文学と思っていた、でもこのエリザベス・ストラウトや「シカゴ育ち」のスチュアート・ダイベック、「イラクサ」のアリス・マンローを読んでいるうちにクジラや拳銃は登場しないが読み応えのある小説はいくらでもあるということに気づかされる。当然のことなのだけど
紙の本
母娘の物語
2024/01/21 10:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kisuke - この投稿者のレビュー一覧を見る
「ああ、ウィリアム!」読了後、久しぶりに読み返してみました。入院した主人公ルーシーのために、疎遠になっていたお母さんを夫ウィリアムが呼んでくれて、病室で一緒に5日間を過ごします。その間に交わされる様々な言葉に、二人の関係が近づいたり遠ざかったり、いろんなことを思い出したりします。
海外小説を読むと、国や人種等が違っても、やはり同じようなことに喜び、悩み、泣くものだなぁとあたらめて思います。
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オリーヴ・キタリッジの作者に小川さんの訳。期待に満ち満ちて読みはじめるや、たちどころにルーシーの人生に呑み込まれたかのように読み終える。決して厚くはないのに、ひとりの女性の人生と、アメリカが抱えるあらゆる歴史と問題が埋め込まれた濃密な一冊である。
大傑作!
が、最初に出たひとことであるが、ではどういう物語かと問われると答えるのはむずかしい。
印象的なシーンが断片的に思い浮かび、温かい気持ちにもなれば身が縮むような後ろめたさ、底なしの寂しさも覚える。
数年後に読めばまた違う思いを抱くかもしれない。
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地味な話なのに、読むのを止められない。
入院中に、長いこと疎遠になっていた母親が付き添いに来る。入院生活、思い出す子どもの頃のあれこれ、学生の頃、大人になって結婚してからのあれこれなどが交錯する。
そのどれもがルーシーだし、やはりその選択しかなかったのだろうとも思う。
「誰だって一つのストーリーしかない」。
キラキラした癒しはないが(そんなものは最早いらない)、なんだろう、心強く思えてくる。
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派手な物語ではないけれど、所々、静かにささる。またこの人のファンになった。
「〜ほかの人に対して、ほかのグループに対して、どうにかして自己の優位を感じていようとする。〜その習性にどんな名前をつけるにせよ、人間の成り立ちとしては最下等の部分だと思う。〜」
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くせになりそうな作家だと思う。自室に独りでいる自分の傍らに来て、低い声でぼつぼつと語りかけられているような、よほど親密な仲なら構わないが、そうでもない場合にはちょっと距離を置いた方がいいのではないか、と思わせるような、内心に秘かに隠されてあるものを中に手を差し入れてつかみ出して目の前に見せられているような、純粋ではあるのだろうが、この人とは友だちにはなれないな、と思わせるそんな気にさせる作家である。
何故そんな気になるのか。きっとこの人は読者を選ぶ、というかこの人の書く物を好きな人は、この語り手の視点に魅せられるからだと思う。ほとんどユーモアというものを感じさせない、ひどく乾いた語りである。いつも人を値踏みしながら観察している。自分にとって「いい人」なのか、そうではないのか。相手が自分にとって利用価値があるかないか、というのではない。こんな自分を受け入れてくれるかどうか、が判断基準なのだ。
話は、ルーシーが盲腸で病院に入院しているところからはじまる。すぐ退院のはずがなかなか退院できない。今暮らしているのはニューヨーク。病院の窓からはクライスラー・ビルが見える。夫は仕事と子どもの世話で忙しく妻に付き添えないので、妻の実家に電話をかけて母を呼ぶ。そんなわけで、故郷を出てから長い間会っていなかった母がある晩ベッドの先にいた。久しぶりに会った母が娘に語るのは、何故か昔の知り合いが結婚して、ほかに男を作って逃げた末、男に捨てられた話だとか、他人の不幸な噂話ばかり。これが伏線となる。
病院にいる五日間、母の語る知人の話を聞きながら、ルーシーは、これまで出会った人物のスケッチをまじえながら、自分の過去について語りはじめる。ジェレミーという古風な宮廷人のような紳士だとか、服飾店で出会った魅力的な女流小説家だとか、自分を診てくれている感じのいい担当医のことだとか。読者は、この語り手の心の中が何故孤独なのか、他者との関係をどうとればいいのかをいつも測ろうとしている理由が何なのか、次第に理解してゆく。
ルーシーは、中西部の貧しい家の生まれ。一家は大叔父の家の隣にあるガレージに暮らしていた。テレビはおろか、本も満足にない、夕食が糖蜜をつけたパンだけという貧しい生活。それでも父が働き者で優しい母がいて兄弟仲がよければ、家族で助け合って何とかやっていけるだろう。ところが、仕事の長続きしない父は時に娘を虐待し、縫物で家計を助ける母は父の言いなりである。姉とも兄とも心が通いあう関係ではない。家の貧しさのせいで、兄妹は学校では差別され、いじめられて育つ。
寒々とした家に帰りたくない少女は、学校が終わるまで教室で宿題をしたり、本を読んだりして過ごした結果、兄妹のうちでただ一人勉強ができ、シカゴ近郊の大学に進学する。一般的な家庭生活を知らないルーシーは、音楽やテレビの話題についていけず、人との間に距離感を感じるようになる。他人との間に間合いというものが取れず、話に入ったが最後切り結ぶしかない、そんなコミュニケーションの取り方といったら分かってもらえるだろうか。
それでも、男と知り合い、結婚して二人の子の母となる。子育ての間に書きためた小説が、文芸誌に掲載され小説家となる。いつか偶然街で出会った作家のワークショップに出席し、作家の現実の姿にも触れる。執筆のために必要なアドバイスも貰う。それらが、細かな章割りを通じて、看病に来てくれた母との会話や彼女の半生の間の出来事の間に、切り張りされたように混じりあう。そんな小説である。派手なところはないが、凡庸さも持ち合わせない。
いくつかの主題がある。アメリカに渡ってきた先人たちが「インディアン」に対してしたこと。当時話題となっていたエイズという病気のこと。同性愛者のこと。知人や自分の身の回りにいる人との関係の中から、自然に語り出されるそれらの主題は声高な主張とはならないが、自然に触れないではいられないことのように持ち出される。内省的で、静かな語り口ではあるが、譲れない一線というものを持つ。
自分に正直に生きることが、家族との間に溝を作り、都会で一人で生きることを選ぶ。それでも家族は家族であり、ほかの人を選ぶことはできない。そういう環境の中で育つことが、人にどのような生き方を強いることになるのか、ルーシー・バートンという一人の女性作家の視点で語る一人称小説。話者は母にとっては娘であり、夫にとっては妻。娘に対しては母であるという当たり前のことが、この人の語りで語られると何と不自由に聞こえることか。「私」の名前は、ルーシー・バートンだが、「私」とはいったい何者なのか?他の作品も読んでみたいと思わせる小説家である。
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「オリーヴ・キタリッジの生活」を読んで以来
大好きな作家
今回の作品は短く短時間で読めてしまったけれど
その短い中に多くの感情と多くの人生が
凝縮されていて読後も余韻が続く。
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後半はまるで詩のような。
簡単に読めそうな本かと思ったら、なかなかどうしてだった。
ひとりの女の人生のことがぶ厚く深く描かれてあった。
静かに、淡々と、と言ってもいいくらい。
なんでもなさ気なのに、先にいこうとした手をハッと止めてしまうような、心をつかむフレーズに時折ぶち当たる。
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本は、持ち続けない主義なので、ほとんどは区の図書館利用、購入したものは、読了後はブックオフに売るか、誰かに回す。でも、稀に、本当に稀に、手元に置きたいな、と思う本に出会う。本書がまさにそう。
文章は、生きる示唆とヒントと実像に満ちていて、甘えも逃げも許されない。物事の本質が、驚くべき正確さで捉えられ、脚色なく、描かれている。
主人公の心の痛みが、本質のあらゆる隙間から垣間見える。
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主人公の作家の女性が、盲腸の手術後に原因不明の不調で、9週間の入院。予想外にも見舞いに来て5泊した母親とたどたどしい感じで語られる思い出話から物語が始まります。
その他人の噂話や主人公の思い出話、記憶の断片が、短い章で並べられます。まるで、付箋のメモがペタペタと貼られていくように。大きな盛り上がりもなく、最後まで記憶のペタペタが続きます。
その中から、主人公の生い立ちや性格、作家としての考え方まで浮かび上がってくるのが、不思議でした。他人のエピソードでも、「主人公はこういう場面でこういう人がこう言えば『優しい』と感じるだ。彼女はそういう人なんだ。」と、題名につながっていくかのようでした。
幼少時にあった虐待の経験ですら詳しくは語られないけれど、関係のない別のエピソードに漏れ出したその痛みにこちらの胸がチクッとすることもありました。
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ルーシーの場合は入院だったけど、きっかけはなんであれ、一度立ち止まって、じっくり自分を振り返る、見つめる時間を持つことは大事。何が目の前に現れるか怖くもあるけれど。泣くかもしれないけれど、打ちのめされるかもしれないけれど。
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全ての人には人生がある。距離を保ちながらあくまでも静かに、しかし熱量を持ったまま淡々と語られる記憶の断片の物語。語られる記憶を読み、語られない人生を想像し、胸が熱くなる。
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数ヶ月前に読了。
読んでいるときはなんともなしにページをめくっていたものの、読み終えたあとに大きななにかを心に置いていく本、それが良書なんだと最近感じつつ。
本書もそんな存在感を私に残した。娘と母親の関係性は、それは娘が母親になったときにまた形を変えていく。
私の場合、自分の育児を通して母を見直し、フラッシュバックする自分の幼少期を俯瞰で見直したりすることで、自分が母にしてもらえなかったことを娘にしてあげたり、負の連鎖を娘で止めてあげたいと思っていることがルーシーの幼少期と重なっていった。ルーシーの過去の回想と現実を行き来しながら感じる、母と娘、家族の確かな相対性の中にある不確実なものに共感と生きるヒントを得た気がする。
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ワタシのなかの何かがこの小説を求めていたって大きな声で叫んでいる。そんな風な本。ドキドキが止まらない。何回も何回も読むことになるだろう。
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何の前知識もなしにエリザベス・ストラウト初読。他人のせいにしたりせず、これまでの来し方を是とするルーシー・バートンの姿勢が美しい。良い本。