紙の本
「正義とは」
2020/06/05 09:36
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投稿者:いち - この投稿者のレビュー一覧を見る
植松被告(出版時)は19人殺害・27人負傷させた。植松被告は「安楽死させることが日本国のため」と述べている。それを「正義」と思っている。これは私の見解だが、植松被告は自分より弱い人間に対して方向が向いてしまったことである。
人間は強く見せようとしているのは相手に強く見せようとしているだけである。結局強いようで弱いと思う。
何故植松被告は事件を起こす前に冷静になることが出来なかったのか?植松被告が考える正義は正義でない。しかし植松被告の行為に対してネット上では賛同する方達がいるのも事実である。しかし「人間としてどうあるべきか?」を考えていくことで答えが見えてくると思う。
現代は「社会の不寛容」と言われている。最首悟さんは「現代は(私の存在価値は何か)(社会に役立っているのか)」という存在証明が難しいと述べられている。
社会の流れが良くなること。そして事件を検証しない限り同じことを繰り返す結末になってしまうことが心配である。
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相模原障害者殺傷事件に関して真相の追求と、障害者に関する問題提起をする本。
朝日新聞記者の取材が元になっている。
前半は、加害者の特異な行動を時系列で紹介し、事件に至る経過を説明している。
後半は、障害者が社会に受け入れられていない現状に関する問題提起をしている。
「妄信」というタイトルから、加害者の異常性を暴き出す少し文学的な香りのする作品なのかと思ってしまったが、障害者の問題がメインの様に感じた。
不寛容で無関心な日本の社会に一石を投じる力作で、障害者や弱者について考えるべきだと思いました。
障害者や弱者に無関心な人にこそオススメです。
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犯人像を書くというよりは、差別によって起こった事件として取扱い、障碍者の差別を描いた形の本になっています。
この事件を中心に語るのが、本当に良いことなのか・・・よくわからないけれど。
まずは考えるきっかけを得るのは大事なことなんでしょうね。
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一気に読めるような、大変引き込まれる本でした。
(読み終わってすぐ友人に貸したので正確に感想をかけません)
印象に残った点
・亡くなった方々の氏名が一切公開されず、その点で他の重大犯罪と違うということ。その背景には障碍者への根深い社会的差別があるということ。亡くなった方々の氏名が非公開である理由は、「その家族が公表を拒否したため」とされている。被害者家族の中には親族に障碍者がいたことを秘密にしている場合もあった。もちろん、そのような判断の背景には社会的な無理解と差別がある。
・優先保護法の歴史。つい最近まで、私が生まれた後も存在していた法律のこと。国家によって子どもを産めないように同意のない手術をされた人がいたということ。ナチスに遡るまでもなく、戦後日本をみればそこには重大な障碍者差別と異常な人権侵害があったのだと知った。
・職員の人々の労働環境の問題。加害者の行為は全く容認してはならないが、職員の苦悩は確かにあるらしい。入居者に腹が立ったり、職員が少なすぎることで入居者一人一人と向き合う余裕がない、というような。
・青芝の会の活動。
・朝日新聞記者の苦悩について。本書の特色は内容の豊富さだけでなく、事件を追った記者の葛藤も載っていること。亡くなった被害者の氏名が全く明かされなかったために、この事件の取材は特別な困難が伴っていた。その中で取材を行うことはまた、特別に被害者家族とも世論とも摩擦を生み出していた。記者の葛藤も相当あったようだ。
結論としてはかなりの力作と思います。事件の詳細、事件の特殊性、施設職員の思いと苦悩、障碍をもつ当事者の思い、日本社会の問題、そして「共生」とは何か。多様な視点から学ぶことは多く、今後このようなことが起こらないためにはどうするべきなのか示唆に富む一冊でした。
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相模原障害者殺傷事件が起こった背景や日本社会の問題点をまとめた良書。自分勝手な誇大妄想と歪んだ価値観を持つ容疑者によって多くの尊い命が奪われたこと、忘れてはならないと思う。
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朝からとんでもなく重たい本を読んでしまいました。
図書館で見かけて借りた本です。
やまゆり園での事件に関する本です。当初この事件が起こった時、「どうか犯人に精神科通院歴がありませんように。」「どうか犯人に精神疾患がありませんように」と願いました。お亡くなりになられた人もいるのに、その方を悼む前に私は自分勝手にもそう考えてしまったのです。
そしてしばらくたってから精神鑑定を受けパーソナリティ障害を持っていると診断されたのを読んでから私の思いは「私が加害者になってしまうのでは?」という恐怖へと変わりました。今回は優性思考からの障害者殺傷事件でしたが、違う形でも私は私の精神の病気のせいで誰かを傷つけるのではないかという事が怖くて怖くて仕方なかったのです。
この本で植松被告の考えや犯罪を犯す動機などが知れて良かったです。彼の思想は私とは相いれないものではありますが、介護の現場にいた彼がどうして?と思っていたので本書にあった「粗相を他のを掃除していたら上から見下された」というのがとても胸に刺さりました。
私たちと同じように意思表示のできない障碍者たちにもそれぞれ思いがあり伝えたいと思っているという事、誰もが誰かの大事な人で家族がいるという事をあたりまえのことながら実感しました。
私のいとこにも二人重度の障害を持った人がいます。施設で暮らしていますが幸せであってほしいと願います。二度とこのような事件が起こらないように。
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妄信とは恐らく、「身勝手な思い込み」から事件を起こした植松容疑者の事であると思うが…
もっと深読みしてもいい一冊なのではないかとも思う。何故なら、被害者の遺族は被害者の実名を明かしていないから。この本の半分以上は、近しい所に障害者が居り、彼らがハンデに負けず力強く生を謳歌している様を描き、そしてそれを見守る人たちがこの事件について軒並みただただ「痛ましい」という感想を述べていく構成である。ハンデがあろうとこんなにも直向きに生きる姿が愛おしい。
そう思うならなぜ実名で悼み、弔わなかったのか。
生まれてきたことも施設に預けたことも、この残酷な事件の被害者として生を終えたことも、何一つ人として認めたくはなかったからではないのか。酷い言い草なのは承知で書く。
No障害者ヘイト!という事に徹していない本書は取材をした方々の努力と手腕に頭が下がるばかりであるが、本当は世の中の「不寛容」だけでは済まない事に気付いてしまっているのではなかろうか。
健常者であれ今の世の中は不寛容であふれ非常に生きにくい。そして皆自分のことで手一杯なのだ。
私事であるが、私は若い時分に電車内で体を執拗に触られたり、深夜早朝自宅の玄関先に居座られたりするストーカー行為に遭ったことがある。いずれも相手が障害者であったため、警察は取り合ってくれなかった。私は不寛容であろうか?
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相模原障害者殺傷事件について、朝日新聞記事をまとめるなどしたもの。
この手の本は普段全く読まないけど、カッコーの巣の上でを見て、優生思想や尊厳死、人間らしく生きるということ等、諸々考えてみたくて手に取った。
誰もが弱者になりえること
共生する社会を目指す
障害児を家族に持つ方の思い
介護福祉職員の激務と、それに伴う抗い難い負の感情
特に最首さんの『一定の地獄』という表現が重たかった。
難しく考えると難しくなるけど、
結局、生きたいと思う権利を誰も侵害してはならず、
その人らしく生きることを、他人が強制することなく、思いやれれば良いんだろうなと。