紙の本
考えさせられます。
2017/09/20 22:26
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:eri - この投稿者のレビュー一覧を見る
言い回しがコミカルで楽しいです。それでいて、様々な矛盾にはっとさせられました。実践して実感している著者がとてもかっこいいと思いました。
投稿元:
レビューを見る
情熱大陸などでおなじみの、アフロヘアーがトレードマークの元朝日新聞記者が筆者。
節電生活から始まった、掃除機も洗濯機も冷蔵庫もない日々から生まれた「思索」が平易な言葉で綴られている。
ちょっと、日本のエリック・ホッファーかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
著者である稲垣さんのおっしゃること、本当にそのとおりだと思う。私自身、数年前に掃除機をやめて箒と雑巾で掃除しはじめたら本当に気楽になったもの。
いま私を悩ませているのは冷蔵庫。この本を読んだら、その理由もよくわかったし、もういっそ冷蔵庫も捨ててしまおうかと思った。独身だったら即実行するのだが。あ、でもアイスの買いだめはやめられないな。
投稿元:
レビューを見る
前作の「魂の退社」も凄い内容だがこの本はさらに凄く衝撃的な内容でした。
自分の生活、いや人生そのものを根本から考え直すきっかけになる本かもしれません。
幸せとは、豊かさとは、便利さとは・・・一体何なんでしょうね。
非常におすすめの一冊です。
投稿元:
レビューを見る
20170630 前の本の延長で読んでみた。無駄をなくすというよりは人生論に近い。結局は知足なのだと思うが体験から理解しているので説得力がある。自分の生活でも考えてみようと思った。
投稿元:
レビューを見る
全然、寂しくない。きっと稲垣さんの周りにはいい人たちがいっぱいいる。考え方が素晴らしく、共感でき、生きていくための人間力を感じる。何もない暮らしを真似することはできないけど、真似できるところ、共感できるところから始めたい。
投稿元:
レビューを見る
「電通戦略十訓」ってのがあるんですって。
もっと使わせろ
捨てさせろ
無駄遣いさせろ
季節を忘れさせろ
贈りものをさせろ
組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ
流行遅れにさせろ
気安く買わせろ
混乱をつくり出せ
ずいぶんと踊らされちゃったかな。
でも、その呪いがいろんなとこからほどけてきてる気がする。
彼女のように節電しようとか家電を手放そうとかとは思ってないけど、手洗いで洗濯してみてる。
すると、著者が書いているような気持ちの変化がほんとに起きている。メンドクサイはずなのに、続いてる。楽しいのかしら(^o^ゞ!?
わたしの「なにもしたくない病」が、手洗いをきっっかけに快復の兆し!? 楽しいか楽しくないか、やってみなくちゃわからないのかもしれない。
深い本だわ。すごいわ。
エコとかスピとか言ってないけど、いまここなんだわ。
投稿元:
レビューを見る
僕の中では中野孝次の
『清貧の思想』→『五十歳からの生き方』→
『幸福の原理』に連なる本
一人になって、寂しい生活をしたら
予想に反し、
自分のことなんて考えなくなった。
一人じゃなくなった。
自然と人の幸せを願うようになった。
「寂しい生活」を始めたら
「寂しくない生活」…ちょっと違うか。
新し地平が見えだした、という話
P10
小さな、寂しい生活
でね、それがね
もしかすると最高の生活なんじゃないかって
思ったりするわけ
P15
これはとんでもない鉱脈を
見つけてしまったのかもしれない
↑「鉱脈」っていうのがいい
--------------------
P50
節電とは何か。
それは一言で言えば
せっかく手に入れたものを失う行為だ
↑この辺センスを感じる
P15
今の世の中は閉塞感に満ちている。
誰もがそう言います。
浮かぬ景気。減る人口。広がる格差。
どこを見てもすべてがどん詰まりだと。
しかし、私は一人、
それがどーしたと脳天気に生きています。
世の中はまだまだ捨てたもんじゃないと
心の底から思っている
↑すごく魅力的な生き方なんだと思う。
惹かれる
----------------------
P51
もしかして「ない」ということの中に
それが何かはよくわからないけど
別の可能性みたいなものが
広がっているんじゃないか?
↑禅の無と空とかにつながる。
老子をも想起する
---------------------
P60
「なくたって生きていける」
という衝撃
P73
これまでほとんど使ってこなかった
我が脳みその機能、
すなわち「工夫する」っていう
サビつきまくった機能。
それがギシギシと音を立てて
動き始めた
P73
っていうか、
実はそんな機能があったことすら
何十年も忘れきっていた。
そしてそれはなんでもかんでも
お金やモノで解決しようとしていたら
永遠に気づかなかったに違いない
P73
自分の目で見て、
自分の頭で考えて、
自分の手足をやってみるということ。
もしやそのことを今の世の中は
「不便」って呼んでいるんじゃないだろうか。
だとすれば、便利ってもしや
「死んでる」ってことだったかもしれない
↑感動的ですらある
--------------------
P162「コラム2 時代劇に学ぶ」は圧巻。
読み進めれば進むほど
「この本は名著だな」って思う。
気づきがすごい。満ちている。
悟りと言ってもいいと思う。
まだ出版されて1ヶ月位しか
たっていないみたいだけど
今年何か賞貰うんじゃないかな?
素晴らしいもん
-----------------
P229
「何かを手に入れなければ幸せになれない」
という思い込みは
自由どころか不安と不満の源泉である
P229
本当の自由とはその
(「何かを手に入れなければ幸せになれない」という)
思い込みを脱すること、すなわち
「なく��もやっていける」自分を発見すること。
もう何も追いかけなくてもいいんだと知ること。
それこそが自由だったんじゃないか。
------------------
投稿元:
レビューを見る
稲垣さん本当に面白い。一人暮らしをして家電を減らしたくなる。笑
便利とは。 人であることと人としての生活。いつしか「便利」とうたわれたもの達に支配されて物が増えて行き、時間が減るはずが、やることを増やしてしまっている⁈
生きるとは。
ラジオとパソコンとスマホ。羨ましい。
キッチンには家電が多すぎるのは常に感じている。まあ子供の頃はレンジもなかったわけだし。コーヒーメーカーなんて使ってなかったのにもらってしまってからあるのが当たり前になっていた。 でも1日一回しか使わないし汚れるし、今はなくても困らない。場所とるし。家族がいなければレンジもいらない。もはや炊飯器はつかっていない。
本当に必要なものなんてそんなにないのだろうな
冷蔵庫とお風呂は欲しいかな…ミシンもアイロンもやっぱり欲しい…笑 稲垣さんに近づくのはまだまだです
投稿元:
レビューを見る
「魂の退社」で朝日新聞を退社し、原発事故を機に節電生活にチャレンジ。その後も進化し続ける稲垣さんの生活をまたもや稲垣さん自身が紹介。
冒頭「これは、ある都会の片隅で数年間にわたり、人知れず繰り広げられた冒険の物語です」とあるように、まるで冒険譚のように楽しくも刺激的な本。
稲垣さん節、というか、一つ一つが大げさだったり、最近の小ネタを挟んだり、ラフな言い回しだったり、に今回も心くすぐられる。
少ない洋服を、例のフランス人並み、とか。笑
松下幸之助の突飛な逸話を、幸之助様御乱心?、とか。笑
でも、そんな書き方が読者の私もまるで同じ体験をしているような、等身大な感じがして、親近感を持って読めるのかな?と後から感じた。
確かに、ものをそぎ落とし、自分で工夫して生活すると、面倒臭いことが楽しくなる、自分が、自由で進化していくような心持ちになる。そんな気持ちが各所から伝わってくる。
掃除機に始まり、電子レンジとの戦い、エアコン、冷蔵庫、と次々に攻略しレベルアップしていく稲垣さん。しかし、不覚にもオール電化マンションに引っ越してしまう、笑。
そこからの創意工夫、諦めない心も素晴らしい。
読み手の私もワクワクしてくる。
面白い、だけではなく、稲垣さんの生活を変える経過と所感を読みながら、節電や消費や様々なことを頷きながら考えた。
お金を何に払うか。物?作る人?
フェアトレードについて考えた。
捨てることに抵抗する親世代。
その世代の生きた背景について考え、理解した。
食材の買いだめ、料理の幅、何のため?
飽きない食事は意外とシンプル。
料理への考え方が変わった。
便利なものは生活を楽にするが
自分の欲が膨らんでいくことに気がついた。
私は欲張りすぎたかな〜なんて。
読むうちに「生きる」とは何かを問われるようで、自分を省みるきっかけになった。
自分にとって本当に色々な大切なことがたくさん。
ミニマリスト、仕事、社会問題、節電、哲学…
私も稲垣さんのようにちゃんと今を生きたい。
小説以外で読んでいる間中楽しかったのは久しぶり。
また読みたい。
投稿元:
レビューを見る
すごいミニマリストです。
参考になるけど、ここまでやりきるのはすごいです。
最後にある家電製品の考え方は面白かったです。
(家電メーカーで働いている私にとっては複雑な気持ちでしたが....)
投稿元:
レビューを見る
イナガキさんのことは、アフロの新聞記者さんということぐらいしか存じ上げなかったのですが、とってもシンパシーを感じてしまいました。
イナガキさんは、震災後、「原発に反対するなら、まずは原発のない暮らしなんて本当にできるのか、自分でやってみなくちゃ説得力ゼロだと思って単純に節電を始めただけだった」そうです。
それが、面白くなって、エスカレート?
「電気代の全滅」を目指した時、マンションにはもちろんエレベーターがあるけど、5階まで階段で。
そして、家に入ったら、「暗い玄関でしばらくじっとして、暗闇に目が慣れるのを待つ。」
(なぜなら電気をつけないから)
想像するだけで、笑えるのですが、ここまでできるってすごいです。
しかし、イナガキさん、引っ越した先がまさかのオール電化住宅!
イナガキさん、賢い人だろうに、なぜ入居するまでオール電化住宅と気づかなかったのか、
ちょっと笑えます。
そして、冷蔵庫のプラグを抜いたり、お風呂は銭湯に通うようになったそう。
ところどころ、イナガキさんと同じ道を歩んでいて、頷きながら読んじゃいました。
究極の節電生活をしながら、悟りも開いてしまって、ここまでできるとすごいなぁと感心しきり。
でも、当のご本人は楽しんでやられてます。
私はまだ欲にまみれた人間なのでここまでできないのですが、イナガキさんの気持ちはよくわかります。
きっと沢山の人が「こんなことできない」と言うと思うし、私もここまではできないけど、何かしらは自分の生活に取り入れることができると思います。
そして、単に読むだけも、とても面白いです。
投稿元:
レビューを見る
生きることの本質を考えさせられた本。ミニマリスト本ではない。環境保全を喚起する本でもない。
筆者は、原発反対意識からなるべく電気を使わない生活をチャレンジ→節電にハマる→質素生活と行き着いたようだが、行き着いた先は自然に感謝し、自然と共に暮らすということだ。
こう一言で表すととても単純な事のように感じるが
昔の人々が、千年近くかけて培ってきた、自然と共に、人と助け合って生きる知恵を僅かながらではあると思うがひも解いていきそのなかで「今を生きるとはこうゆうことか!」と現代人が忘れかけていた感覚をよびさますのである。
モノで人は豊かになるのだろうか?
便利さで人は幸せになっているのか?
そのことにすら疑問をもたず、企業の戦略に踊らされているといっても過言ではない大多数の中の一人が私であった。
筆者はこのような現代社会を象徴する『幸せ』に疑いをもち始め本来の人間の幸せとは何かを、モノを減らしてゆく過程で気づいたことを紹介している。
今世にある最新技術や高機能なモノが全て悪い訳ではないが今一度、これから手にするものが、自分の選択が、本当に必要なものであるのか、上辺だけの幸福っぽさを取り繕うものではないか、自然や自分の環境に破壊を及ぼすものではないかを一瞬でも考えてから選んでいきたいものである。
寂しいからこそ誰かをおもう。
それが最高の幸せ
そんなシンプルで偉大な概念を与えてくれた筆者に感謝したい。
投稿元:
レビューを見る
いやー、もう大好きです、稲垣さん!
寂しいというタイトルですが、全然寂しくない。
世間的にはストイックに見えるから「寂しい」のかもしれないけど、本人はめちゃくちゃ楽しんでる仙人的生活について。
自分が一人暮らしだったら同じことしてたんじゃないかと思う。
稲垣さんは、震災の原発事故をきっかけに節電生活を始めるのですね。
で、テレビをやめ、掃除機をやめ、電子レンジをやめ、冷蔵庫をやめ、お風呂の湯沸器をやめ、やがてはエアコン(冷房どころか暖房まで)までやめてしまう。
洋服はフランス人なみ(10着よ、あずきこさーん 笑)
江戸時代的生活なのですが、生活の工夫、家事が楽しくてしょうがなくなる。
こう書くと、「変な人ね、私にはできません」という感想で終わりそうですが、違うんですね。
年老いていくご両親が物に埋まれて身動きが取れなくなる様子も書かれていますが、すごく奥が深い話です。
これまでの
昭和の経済成長期的価値観「買えばいい」(モノで家事から解放され、人生が豊かになる)→
昨今もう必要なものは全部あるのに、資本主義的構造で、無理やり需要を生み出し、買わされている →
家事の時間は減っておらず、モノに埋もれて苦しんでいる →
でも、そこから降りることができない
これにひそかに苦しんでいる人、実はすごく多いのだと思います。
ラットレースという言葉があります。
金持ち父さん貧乏父さんで出てきた言葉です。
どんなに一生懸命働いても、人に使われる身分であるサラリーマンはたいして豊かになれないよ、ラットが同じところをくるくる回るだけで、逃げられないよ、という文脈で使われていたと思います。
資本主義的には、それは正しい。
労働者は搾取される立場にありますからね。
でも、私は昨今、自分も含め、ほとんどの人が「もっともっと」の思想からくる購買ラットレースにはまってるんじゃないか、と思う。
つまり、もっと収入が増えれば、もっと大きな家に住めれば、もっと使い勝手のよい電化製品を持てば、人生は豊かになり、幸せになれるとおもわされているけど、実は同じところをぐるぐる回っているラットレース。
稲垣さんはラットレースという言葉を使わないけれど、でも、その欲望には限りがない、いつまでたっても満足することはできないよ、どうするの?ということを書かれてます。
ある年齢まで来たら、今度は「大きくすること」ではなく、「小さくしていくこと」「閉じていくこと」を考えなければならない。
若くて体力があるうちはいいのだと思う。
モノを使いこなせているうちは。
でも、例えば稲垣さんのご両親のように、年齢が上がるともはや便利な家電は複雑になりすぎて、悩みの種でしかなくなる。
使いこなせないから、面倒くさく家事をせずに寝たきりになっていく。
それなのに、経済成長の発想に縛られているからまだ「じゃあ、別のものを買えばいい」と考える。
でも、本当に必要なのは、高性能の掃除機ではなくて、ほうきと雑巾だったりする。
それならば使いこなせる。体も動かすから��体力も養われる。
生活を小さくしていくと、これまで見えなかったことが見えてくる。
エアコンをやめると、風の流れや季節の移り目に敏感になる。
湯沸し器をやめて銭湯に行くことで、ご近所との交流が生まれる。
なぜこの「もっと大きく」「もっと収入を」をやめられないかといえば、背景には不安があるのだと思います。
収入を増やさなければ、いずれ生活が立ち行かなくなるのではないか、
貧困に陥るのではないか、みじめな生活が待ってるのではないか、他人と比較して劣等感や屈辱感を覚えるのではないか、などなど。
ラットレースを降りるのって、二通りあるんだと思います。
資本家になること。(大きくなること)
生活を小さくすること。
全員が資本家になることは資本家の構造上はできない。
でも、生活を小さくすることは誰にでも可能ですからね。
そしてラットレースを降りたいと思う究極の目的が幸せい生きることだとしたら、どちらを選びたいか、それは人それぞれですね。
稲垣さんみたいに一度「大したお金がなくても、楽しく豊かに生きていけるんだな」とわかると、一気にその不安から解放される。
たしか、ミニマリストのたっくさんだったかな、同じようなことを書かれていた記憶があります。
月にX万あれば暮らせるんだ、とわかって一気に自由になったというようなこと。
投稿元:
レビューを見る
2017年59冊目
うーん、ちょっと極めすぎちゃってついていけなくなってしまいました。
じぶんは到底できない、彼女だからこそ、一人だからこそできる暮らしぶりじゃないかなぁ。これは。
でも、そんな身軽で自由で何者にも縛られないえみ子さん、羨ましい。