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チリの女性作家イサベル・アジェンデのデビュー作にして、秀作です!
2020/05/29 11:48
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、チリの女性小説家であるイサベル・アジェンデ氏のとっても面白い作品です。内容は、主人公であるデル・バージェ家の末娘クラーラは念力や予知能力といった超能力を持っていました。彼女は家族の死を予言し、その結果、姉のローサが毒を飲んで死んでしまいます。自責の念にかられたクラーラは9年間の沈黙の後、ローサの婚約者だったエステーバン・トゥルエバと結婚します。エステーバンは荒廃した農場を再興して金持ちになっていました。やがてクラーラは3人の子供を産みます。さて、この続きは、一体どうなるのでしょうか。河出文庫からは上下2巻で刊行されており、同巻はその下巻です。とっても興味深いストーリーですので、ぜひ、多くの方にお読みいただきたい作品です!
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矛盾と混乱に満ちたラテンアメリカの近現代史の全てを詰め込んだ物語
2018/05/27 22:35
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投稿者:KTYM - この投稿者のレビュー一覧を見る
チリ出身の女性作家イサベル・アジェンデの1982年作品。精霊たちの棲む「角の邸宅」と大農場ラス・トレス・マリーアスを舞台に矛盾と混乱と暴力と純愛に満ちたラテンアメリカ近現代史の全てを詰め込んだ物語。
精霊と交信し、三本脚の椅子を踊らせ、蓋を閉じたままのピアノでショパンを奏でるクラーラと、近代合理主義と資本主義的経営を体現し、血の滲むような努力の末に荒れ果てた農場を地域で最も豊か農場に育て上げたエステバン・トルゥエバが結婚する。クラーラとその娘ブランカ、孫娘アルバの三世代の女性たちの必ずしも幸福に満ち溢れたとは言い難い人生を主軸としながら物語は展開する。
図式的には(透視者クラーラに象徴される)精霊たちが棲む土着的世界と、(エステバン・トルゥエバに象徴される)西欧近代的価値観/行動原理の相克を軸にラテンアメリカの近現代史を描いたということなのだろうが、あまり堅苦しいことは考えずに、多彩な登場人物(反権力のカリスマ国民歌手、変態フランス貴族等)、奔流のように語られる出来事(マルクス主義運動、農地改革、降霊術、革命、クーデター、恐怖政治、更には大地震や蟻の大量発生まで)を楽しめば良いのだと思う。この矛盾、混乱、過剰さこそがラテンアメリカの現実なのだ(と想像する)。豊かな物語性でこの矛盾、混乱、過剰さを描き切るのがラテンアメリカ文学の魅力だと思う。
壮年期には傲慢で精力横溢し、男性至上主義の権化のような偉丈夫であったエステバン・トルゥエバは、軍政下でそれまで築き上げてきた財産を失い、老いさらばえ、身体も(文字通り)縮んでしまうが、精霊となったクラーラに見守られながら、最愛の孫娘アルバの腕の中で安らかな最期を迎える。悲惨な死に方でなくて、本当に良かった。
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ラテンアメリカ文学の傑作
2017/09/15 05:22
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
超自然的な存在と日常が違和感なく共存しているところが良かったです。9・11でなくなった、サルバドール・アジェンデへのレクイエムも込められていました。
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上下巻纏めて。
南米文学独特のスケールと想像力に圧倒される。三代に渡る物語をじっくり読むのは楽しかった。
帯にも巻末の解説にも『百年の孤独』が挙げられており、確かに共通点があるのだが、私としてはこちらの方が好みだった。
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精霊の時代から暴力の時代まで、百年を記したラテンアメリカの女性三代記。
アジェンデはこれをどのような気持ちで書いたのだろう。
幼少時代の懐古、祖国への郷愁、
圧制への抵抗、復讐心の解放?
それら様々な感情・出来事が、登場人物たちに注がれ、
繋ぎ、交差し、引き継がれ、編まれていく因果の織物。
物語の力にただただ圧倒される。
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南米チリの女性三代にわたる物語。
南米文学特有の非現実的な出来事を交えながら物語が語られるものの、突飛すぎるわけではないので、ガルシア・マルケスやリョサといった作家に比べれば、比較的読みやすいと思います。
女性は三代ですが、その女性を見つめる男性は一人です。
その男性の目を通した描写もあります。
どんどん先を読ませてくれるストーリー性がいいです。
南米文学入門編、といったところでしょうか。
ご興味ある方は、ぜひ。
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ちょっとね、受け止め切れないくらい、どっしりと重い。
歴史は、代から代、口から口へと伝わるごとに重量が増していくね。
特にこの(下)に入ると、濃くてつらくて濃くて。途中で、泣きながら「ミゲル!」と叫んでしまいそうに。
「精霊たちの家」は、マルケスの「百年の孤独」と比べられたり模倣と言われたりするようだけれど、「百年の孤独」とはまた違う感触で、もっと生々しいと思う。。。
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大雑把に把握すると、女性三代記にして男性一代記(夫として父として祖父として)。
女性はみな個性的。
彼女らの性格は生まれつきのものに加え、育った時代の雰囲気の現れにもなっている。
グラデーションとしては、牧歌的→政治的。夢→悪夢。
三代の女性に対して背骨としてエステーバンがいるが、彼は夫として父として祖父として活躍呻吟する。
もう少し詳しく把握すると、
1-4章
……マジカルで牧歌的な生活。クラーラとエステーバンの世代。
5-10章
……身分違いの恋愛と社会主義。ブランカ、ペドロ・テルセーロ、ハイメとニコラスの双子、アマンダの時代。
11ー14章・エピローグ
……リアリスティックに展開する軍事クーデターと独裁。政治的惨劇。アルバ、ミゲルの時代。エステーバンは老いる。
場所としては、
首都。お屋敷町にある「角の邸宅(おやしき)」。
南部ラス・トレス・マリーアスの農場。
を行き来する。
時代としては、
資本主義→数年間、社会主義の大統領(ただし共産主義的独裁ではない)→軍部の独裁(独裁は一時のことだろうと資本家ははじめは楽観)
wikipedieによれば、
「チリ・クーデター(スペイン語: Golpe de Estado Chileno)とは、1973年9月11日に、チリの首都サンティアゴ・デ・チレで発生したクーデターのこと。世界で初めて自由選挙によって合法的に選出された社会主義政権を、チリ軍が武力で覆した事件として有名である。」→ピノチェト独裁政権。
連想できるのは、「百年の孤独」「嵐が丘」「赤朽葉家の伝説」。
エステーバンには「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のダニエル・デイ・ルイスをイメージしたりした。
一冊で三色。大満足。
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ガルシア=マルケスの「百年の孤独」との類似性を指摘する声が多いというが,それは間違いだと思う.確かに南米を舞台にして三世代におよぶ大河小説で,エキセントリックな登場人物達に加えて精霊が出てくると聞けば,そのような連想があっても不思議ではないが,この本はチリのピノチェトのクーデターによって死んだアジェンデ大統領の親族であるイザベル=アジェンデが,恐らく自らの体験に,肉付けして書き上げた悲劇であり,また現実である.少なくともジャングルのような息苦しさは感じない(これはもちろん舞台がジャングルではない,という単純な違いではない).前半のフワフワしたような捕らえどころのない奇譚の連なりは実は単なる前振りで,すべて最後の惨事に向かって疾走してゆく.「百年の孤独」とは全く違ったベクトルで傑作である.
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作者は明確にしていないが、おそらくチリの軍事政治下で行われた身の毛もよだつ出来事に対して、これも南米の歴史風土の中の一つですよ、と悟ったような書き方に、この国に生きる人々の、運命を受け入れているある種の強さや儚さを感じた。
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現実が幻想的に見えたり、現実そのものに見えたりして語られる一族の物語。そう考えるなら百年の孤独に似ている。
幻覚を見て、精神を病む傾向のある一族の出である妻は、娘から見ると聖霊と語り合い未来を見通す母でもある。現実と向き合う力が薄いからこそ恐怖もなく、また偏見にもとらわれない母は、独特な魅力を持って家族や社会の中に存在する。
心を病むということが、どんなことなのか、悪いことばかりではない事が感じられる。とはいえ、母には苦しみも多くあり、思う通りに生きているわけでもない。
旧来の差別的な考えに満ちた父が財産を築くが、社会の変化、母の死とともに一族は力を失い、屋敷は荒れ果てていく。南米の上流階級の話だけれど、家族が直面する愛情、苦悩、失望や失敗の数々は普遍的な物語になっている。
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最後の20ページで評価がガラリと変わった物語。
読了後は昔中学校で習った魯迅の故郷に近い感覚。
ピノチェト独裁政権時のチリの混乱ぶりが窺える。合法的な手段で政権を握った共産主義勢力の増長を防ごうと国軍が軍事クーデターを起こし、そのまま軍が独裁者となってしまう……という、全然フィクションと感じないような話。本作は精霊とか超能力とか予知とかオカルト的なものが度々登場するが、前述した絶望的な歴史を中和する作用があるようにおもえる。この小説はノンフィクションというジャンルではないが、このようなオカルト的なものが登場することによってかえって、描かれてある地主と農民の関係であったり、歴史であったりがノンフィクションのように思えて仕方がない。
上下合わせて約800ページと長く、序盤中盤は正直言ってグダグダな話の進み方で中々ページを進めることができないでいたが、終盤(特に選挙が始まったあたり)から夢中になって読んでしまった。この本は全人類に勧めたい。
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加速する愛の物語。
ハイメがアマンダを抱きしめて眠るところが好き。みんながアルバを猫可愛がりするところも。じつを言うと僕は宝石泥棒なんだ。
何が幸福かは他者には決められないから、自分で見つけた幸福をそれぞれ大切に守っていく。家族はそれを他人の価値観で判断しないで見守って欲しい。
家族って難しいよ、って配信のコメントでさらっと流れてきてどきっとしたのもここ最近。
出典がわからなくなっていたけれど、ずっと忘れなかった引用を見つけました。148ページ。
彼女は、この世界を涙の谷と考えてはいなかった。むしろ逆に、神様が冗談半分でお創りになったものだと考えていたので、それを生真面目に受けとるのはばかげたことだとみなしていた。
恐怖政治のくだりが嫌すぎて震えながら読む。ここいらない、、、けどここがないと話が成立しない。姉の死体が解剖されるのを見てクラーラは9年間誰とも口を聞かなかった、があらすじなので騙された。
政治や残虐な話があるなら読まなかったのに。
でも騙されて読んでよかった。
祖国が突然めちゃくちゃになったときの反応がとても独創的。執筆時点で軍事独裁政権が終わっていないというのもすごい。それでもここを描きたかったのはジャーナリストとして避けられなかったからなのかな。と解説を読んで考える。
突然なにが起こるかわからないからあんまり世間に無関心じゃいけない。
クラーラは超能力者だし、不思議な世界が見えるけれど困っている人のために祈ったりしない。フェルラが祈っている横で人を助けるために物理的に助けられるように動き回る。
モラ三姉妹は運命の三女神。人の運命の糸をつむぎ、測り、切る。最後末っ子が現れたのは糸を切る、を司るから。
好きなキャラクターはローサ、クラーラ、ハイメ、アルバ。
上巻でエステーバンドに嫌悪感を抱く表現にも意味があり、最後長生きすることで変化していく人間のしなやかさを見せてくれる。
上巻の出来事には全て意味があり、下巻で回収される。トゥルエバ家のエステーバンに指を切られたガルシア家の子孫がトゥルエバ家の子孫の指を切り、教会の説教で地獄の描写を聞かされた人たちの子孫は現実で地獄を再現する。死体の代わりに詰められた砂は、武器の代わりに詰められた石になる。
細部にこだわり、同じモチーフを繰り返し、国語で習うような文学的価値が高いのは私の読む作家では舞城王太郎とこの人くらい。
でもイサベルが言いたいのは、文学的すごさを見せつけたいんじゃなく、この世は文学のように全てのことに意味があり回収されていく、恨みや憎しみを繰り返すけれど、それに振り回されるのではなく、それを知った上で自分の頭で考えましょう。
それが本当の自由だし、なまじ力で物事を解決できる男の人には難しいけれど、彼らは振り回されていることにすら気付かず、半ば眠ったように一生を終えるのだ、女性のもつ魔術的力と柔軟さをもってすればできるんじゃない?ってことだと思いました。
いやむしろ男とか女とか関係なく、祖国で苦しんでいる人、平和だと思って生活している��たちみんなに、苦しいだろうけれど憎しみの連鎖を断ち切る方法を考えましょう。そもそも植民地支配の名残のある南米の抱える矛盾、憎しみの記憶にあなたならどうやって折り合いをつける?という問いかけなのかもしれない。
と言う意味では途中で挫折した百年の孤独よりこちらのほうがずっと好き。始めから夢中で読めたし。クラーラが生きてた時が1番よかった。
そして解説でもどこでもガルシア•マルケスと比較してるけど、どちらかというとパウロ•コエーリョとかピエール•マッコルランを彷彿とさせられました。