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その時代であったからこそ
生れ出た人がいる
その時代のその町であったからこそ
人々の記憶に鮮明に残った人がいる
その時代のその町のその人たちがいたからこそ
その時代の雰囲気を伝えることができる
一人の伝説上の娼婦の足取りを追うことによって
戦後の混乱期の場末の記憶が
浮かび上がってくる
丁寧な取材と粘り強い思いに裏打ちされた
戦後史の大きな事実の一つがここにある
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今でこそ東京から近い観光地で、おしゃれなデートスポットでも
ある横浜。でも、私が10代の頃は違った。横浜に長く住んでいた
友人の体験ほどではないが、そこそこに猥雑な街でもあった。
この友人と歩いていた時に一度だけ見掛けたことがあるのがメリー
さんだった。真っ白に塗った顔に白のドレス。私はきっとぎょっと
した顔をしていたのだろう。
「あれがメリーさん。恐くないよ。昔からこの街にいるおばあちゃん
だから」
メリーさんがいる風景。友人には日常のものだった。そのメリーさん
を題材にした映画の監督をしたのが本書の著者である。著者がメリー
さんの映画を撮りたいと思った時には、既に横浜からメリーさんの
姿は消えていたのだが。
対象不在のドキュメンタリーという手法がある。メリーさんに係わっ
た人たちのインタビューを中心に据え、メリーさんのいた横浜を、
それぞれのメリーさん像を描く。
生憎と映画は見逃してしまったのだが、本書はメリーさんの映画が出来
るまでのドキュメンタリーでもあり、幕末からの横浜裏面史にもなって
いる。
自分の体を資本にしなければならなかった女性たち。メリーさんもそん
な女性のひとり。時代の変化と共に彼女たちは商売から足を洗って行く
のに、メリーさんは老いても娼婦として横浜の街と共にそこにいた。
でも、街は変わる。横浜もみなとみらい地区などの再開発が進み、
戦後の猥雑さは薄れて行った。だから、メリーさんが姿を消したの
も必然だったのかもしれない。
住む家もなく、街を歩くメリーさんに暖かく接した人たちがいた。
その人たちだって世代交代する。徐々に出入り禁止になるビルが増え、
メリーさんの居場所も限られて来たのだろう。
メリーさんが横浜からいなくなったきっかけ、その後のメリーさんの
消息については本書でつまびらかにされているのだが、街が包み込んで
いた人を、街が追い出す。そんなタイミングでメリーさんは姿を消した
のではないだろうか。
そして、本書に登場するメリーさんを知り、係わった人たちの心遣い
が胸を打つと同時に、迷いながらもメリーさんの足跡を追う著者の
優しさが行間から伝わって来る。
外国人専門、それも相手にするのは将校のみ。気位の高い娼婦だった
というメリーさん。帰国したひとりの将校を待ち続け、横浜に居続け
たとの説もある。私はこの説を信じたい。
メリーさんがいた横浜は、もうあの頃の横浜ではない。今の横浜に
メリーさんの居場所はないのかもしれない。それでも、ひとりの
老娼婦がいたとの記憶を記録した本書は貴重だと思う。
戦後、メリーさんのような女性は多くいたのだよね。ひとりの老娼婦
の向こう側には何人もの「メリーさん」がいたのだろう。
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かつての横浜は大型客船の玄関港だった。戦前のサンフランシスコやシアトルなどの北米航路、戦後の南米航路などで多くの日本人が外国に渡り、多くの外国人が横浜から日本に入国した。占領下にはアメリカ兵が港にあふれた。彼らの豊かさから、敗戦国の惨めさを感じ、そしてアメリカという国に憧れた。港町横浜は一番アメリカに近い場所だった。
でも今は海から外国人は来ない。クルーズ船が時たま寄港することはあっても、降りてくるのは中年老年で、若いアメリカ兵ではない。出会いやロマンスが生まれるような機会はほぼない。横浜に来る外国人のほとんどは、たぶん羽田から京急かバスでくる。タンカーなどの商業船は大黒ふ頭か本牧ふ頭に行くので、大桟橋に停泊することはない。だから、もう横浜はかつての港町じゃないのだ。
かつて港町ヨコハマにはメリーさんと呼ばれた娼婦がいた。横須賀から横浜に移ってきたのが40歳の頃、黒澤明の映画でも使われ、繁華街伊勢佐木町の象徴だった根岸屋の前に立ち、アメリカの将校だけを客としてとる高級娼婦だった。
しかし、占領が終わりアメリカ兵がいなくなると商売が成り立たなくなった。そして老いが娼婦としての寿命を告げはじめる。しかしメリーさんは娼婦をやめることができなかった。
伊勢佐木町の近辺に住んでいたらしいが、あるとき全財産を盗まれてしまい、ホームレスになってしまったようだ。
被害にあっていなければ、老いたらやめるつもりだったのかもしれないが、生きるために続けざるをえなくなった。しかし、老娼婦を買う客はいない。体臭を安い香水でごまかそうとするので臭かった。出入りを禁じられる店が増えた。豊かになった街も人もはホームレスの老娼婦には冷たかった。
しかしそんな冷たい目線にさらされた彼女に救いの手を差し伸べる人も少なからずいた。戦後の貧しい時代を知り、娼婦たちと街の密接な記憶をいまだ持っていた年代の人はメリーさんに同情的だった。
その中でも特筆すべき人がシャンソン歌手の永登元二郎さんだ。
若いころは男娼として生活を支えながら、歌手を目指し、売れないながらもシャンソン歌手として活動を続けてきた。後年は関内ホールでコンサートを開いたり、淡谷のり子と何度も共演するなど、その実力を認められた苦労人でもある。
元二郎さんのコンサートにメリーさんが来てくれたところから交流が始まり、それは死ぬまで続いた。最もメリーさんを支え、最も知る人が元二郎さんだ。
映画「ヨコハマメリー」はメリーさんが横浜から消えてから、メリーさんの実像を追うというドキュメンタリーだったので、メリーさんの映画ではあるのだが、元二郎さんの映画のようにもなっている。いや、メリーさんと元二郎さんのダブルキャストと言っていい。ふたりの心と心の交流が見る人に感動を与えてくれる。
なぜ彼はメリーさんを支え続けたのか、それは元二郎さんが母親とメリーさんをダブらせていたからだ。
元二郎さんの母親は子どもたちとの生活を支えるため水商売をしていた。客である男との関わりもあった。十代の頃、新しく恋人をつくった母親を汚らわしく思ってしまい、実の母親であるのに、パンパン! と侮辱してしまった。そのときの母の顔が忘れられず、なんてことを言ってしまったんだろうという後悔は終生消えず、娼婦とをして生きていたメリーさんの姿にダブらせてしまったという。母親には果たせなかった贖罪をメリーさんを通して、していたのだ。
元二郎さんはゲイだ。差別を受けながらも誇りをもって歌手と言う人生を歩んできた。メリーさんも娼婦として蔑みの視線を受けてきた。しかし決して施しは受けようとしなかったらしい。晩年はエレベーターのボタンを押してあげて、チップをもらうという仕事しかなかったようで(実際どのように生計を立てていたのかは本でも映画でも不明)、労働の対価としてもらうという誇りがあった。
言葉ではなく、心で語り合えるものがあったのだろう。
本には興味深いエピソードがあった。
ゲイである元二郎さんに嫌悪感を抱いていたカメラマンが、生理的に耐えきれず、一度は撮影を放棄してしまうこともあった。しかし、元二郎さんの内面がわかるにつれ、次第に人柄に惹かれ、交流の中で自分の中にあった家族に対するトラウマにも気づいていくというもの。
映画の中では、末期がんの元二郎さんが命を絞り出すように歌う感動のシーンがあるのだが、そのカメラワークがとても酷い。フレームに顔がおさまらず、半分以上切れてしまっているような場面もある。カメラマンが泣きすぎてしまったためレンズを覗いていなかったのだ。仕事人としては失格だが、人としては共感できる。
横浜から消えたメリーさんは故郷にある老人ホームに入居していた。
映画には、分厚い白塗り顔のメリーさんではなく、薄化粧のメリーさんが映っている。映画はメリーさんの元を訪れた元二郎さんが慰労のためのコンサートを開いたところで終わる。
元二郎さんの好きな歌は「MY WAY」 自らの人生を歌に乗せる。苦労は多かったが、信じた道を生き抜いてきたという強い信念を力強く歌い上げる。それに呼応するように、何度も何度もうなづいているメリーさんの穏やかな表情が印象的だ。
最後のカットは握手した二人のツーショット。
可愛らしい笑みを浮かべたメリーさんの表情からは、人生に対する後悔は微塵も感じられなかった。
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今は商業地として反映しているヨコハマにかつてメリーさんという娼婦がいた
私も何度か遭遇して驚いた事がある そんなメリーさんを受け入れたヨコハマが世代が変わりメリーさんを排除する街になっていく
晩年娼婦としての商売はニーズがなくなりGMビルのエレベーターガールとしてチップをもらいながらの生活はどれだけのものだったのだろう 胸が痛くなる
最後は弟さんが老人ホームに入れるなど穏やかな人生の終焉だったことにホッとする
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横浜ってところの、いろんな意味でごちゃごちゃしてて、なんでもありな感じが好きだったけど、メリーさんの姿を見かけなくなり、街の姿もどんどん変わって、今は何だかこういう歴史を隠そうとしているようにも見える。
それってなんか、かっこ悪くないですか。
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学生時代にメリーさんを見たことがある。横浜出身のクラスメイトに連れられて行ったダイヤモンド地下街で、彼女の指さす先にメリーさんはいた。その後、年月が経ち、記憶のかなたに押しやられていたメリーさんと再会したのは、本牧の映画館のレイトショーで観た映画『ヨコハマメリー』だった。
その監督の書いたドキュメントということで、かなり楽しみに読んだのだけれど、正直つまらなくて途中放棄。映画はヒットしたみたいだけれど、私的にはどうしてこういう構成にしたのかな?と思いながら観たので、本には期待していたのに。
ってか、映画があれだから、本がそれを超えることはないってことか。
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子どものころ、メリーさんを横浜駅西口で見たなあ。
メリーさんといえば伊勢佐木町というイメージがあったから、西口で見たのは記憶違いだと思ってたけど、西口も縄張りだったんだなあ。
しかしこうして読んでいると、いわゆる”横浜”というのは中区や西区のことなんだなあとつくづく思う。
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子供の頃、都市伝説のように伝え聞いていた、白塗りの娼婦「メリーさん」。彼女の周辺の人々に話を聞き、メリーさんの軌跡をたどった1冊、なのですが。(本であろうと映画であろうと)ドキュメンタリーを作る人々の心に肉薄したところに、この本の凄みがある。時に精神を病み、仲間に裏切られ、取材相手に辛辣な態度をとられ、自分が何のために誰のために作ろうとしているのか分からなくなってさえ、追い求めることをやめられない病的な情熱。綺麗事では語れないドキュメンタリー制作の現場の熱気が感じられ、こみ上げるものがありました。時代が過ぎれば街が変わるのは当然だけど、横浜のそれはあまりにも激しく、人間味が溢れている。
横浜にゆかりのない方でも、歴史好きなら楽しめるはず。
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とっても不思議なのは、娼婦・風俗・色街・売春婦など言われる商売は穢れを表す世間の対応なのに、なんでみんな好奇心や興味を持つんだろう。それは私も同じ。身内からするとやっぱり穢れで、放っておいて欲しいことなんだよなぁ。当たり前か。自分が育った街は、ストリップ劇場、ロマンポルノの映画館、昼サロン、トルコ風呂、赤線跡、風俗なんでもありの街だったので、それが街の一部でもあった。今は何一つ残ってないけど、あの頃が古き良き時代?だったと言うんかな?でも、子どもだった自分からは、気怠い大人が多かったことしか印象にない。
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メリーさんや、彼女と関わった人たちひとりひとりの人生が、とても重く、濃く、厚く伝わってきた。にもかかわらず、10年という歳月をかけても、その人のすべてを映しとることはできないのだと思った。
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興味深かった。戦前戦後を娼婦として、生きた女性。その女性の話というよりメリーさんを通して横浜、日本の歴史が描かれていた。娼婦の歴史…どんな時代にも
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ヨコハマメリー
~かつて白化粧の老娼婦がいた
中村高寛著
2017年8月20日発行
河出書房新社
2015年11月、とりさんがプロデューサーを務める「第1回かさぎドキュメンタリー映像祭」が開催され、そこで中村高寛監督作品「ヨコハマメリー」が上映され、ステージ上でトークショーもありました。
不肖わたくし、司会進行役を務めました。
とてもすばらしい映画ですが、中村監督がメリーさんを題材にしたドキュメンタリー映画を思い立ったところから、取材、撮影、編集、試行錯誤でやり直し、上映、ヒット、そしてその後の話に至るまでを詳細に綴った本を、去年の夏に上梓されました。この本です。
とてもおもしろい本でした。あの時には見えなかった中村監督の姿が見えました。
ところで、この中に興味深いことが書いてありました。白塗りのメリーさんが横浜で有名になった頃、三重県津市にもメリーさんがいて、こちらは赤いメリーさんと呼ばれていたとのこと。
また、「80年代に入ると、「メリーさん」と呼ばれる老婆の噂話はいくつもあった。全身緑色をした名古屋市・昭和高校前のメリーさんや、白塗りの顔で派手なドレスを着ていた愛知県一宮市・尾張一宮駅前のメリーさんもいたらしい」と書かれています。
「うわさとは何か」(中公新書、社会心理学者・松田美佐著)に、口裂け女の噂は1978年末に岐阜県から始まって、翌年に全国の小中学校に広まったとあります。
私も、名古屋の平和公園という墓地を舞台にした話を、77年に聞いていますが、その後は各地の田舎町の駅前での目撃情報が続々と生まれていきました。
メリーさんの噂、いずれも東海地区。これって口裂け女の噂となんか共通項があるような。なかなかに興味深いことです。
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横浜の予備校に通っていた頃に西口で初めて見かけ、その存在を知ったメリーさん。
横浜周辺の人たちにはとても有名な方だということをクラスメイトに教えてもらうも、都市伝説かのように個々から語られるプロフィールやエピソードが様々なことがとても不思議で、自分が横浜と縁遠くなってからもずっと頭の片隅で気になっていました。
映画は残念ながら観られなかったですが、この本を通じてメリーさんの人となりだけでなく時代の背景なども知り、単なる個人史ではなくちょっとした社会史にもなっているように感じました。
著者や周囲の方の本筋には必要ない個人的なことや、人を悪し様に著してるように感じる箇所が少し多いように思い、ちょっと興醒めしてしまったのが残念です(ドキュメンタリーではなく映画製作記録というのならアリかもしれないけど)。
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昭和の終わりから平成初期は、まだ戦争によってなんらかの運命を背負った人がそこここにいたように思う。
メリーさん。自分も都民ですが一度だけ見かけました。子どもでしたが。
ハマっ子の友人は《近々いいことあるよ》と言っていました。一部の人たちからは、そんな幸せのアイコン的存在だったのかな。
強烈なインパクトは残ったけれど。
新宿には派手な月光仮面の新聞配達の人がいたし(まだお元気で、新宿タイガーと呼ばれているそう。)とはいえこの人はどうやら団塊らしく、戦争の影響があるっちゃあるし…程度かな。
そしてその人たちは思い出したくないのか、寡黙なひとも多い。
でも戦争が遠くなるほどに
こういった普通の人たちが背負った戦後は他人の手によってでも記録があった方がいいと思う。
そう遠くない未来、戦争を知る人は残らずいなくなる。
2023年、昭和98年。戦争が終わって78年が経った。